第7話 傷モノ令嬢は直感を欲する
ガーネットは2つの腕輪を手のひらにのせ、父ジャスパーへと静かに差し向けた。2つの腕輪は双子のように同じ形を成していながら、片方だけ表面が摩耗している。積み重ねた年月に僅かなズレが生じていた。
「ほら、腕輪に装飾されたエメラルドを見てください。宝石の傷までそっくり」
真剣な眼差しで腕輪を凝視しながら、ジャスパーは生えはじめの顎髭に指を添えた。
「ふむ。この腕輪はオーダーメイドで作らせた一点物、同じものはひとつとして存在しないはずだ。ここにベルフィオーレの紋章も入っているし……」
ジャスパーが指し示した先には、控えめながら可憐な鈴蘭の紋章が施されていた。
心の奥で何かを反芻するように、ジャスパーは思案に沈んだ。眉を僅かに寄せた顔には、言葉にし難い複雑さが滲んでいる。
やがて、織り交ざった感情を噛みしめるように、躊躇うように言葉を紡ぐ。
「う、うーん……俄かには信じ難いが、ガーネはあと1年で母親になる、のか……そうか……月日が流れるのは早いものだ…………そう、かぁ……」
抵抗を胸に残しつつも唸るように声を零した父に、ガーネットは目を見張った。
「し、信じてくれるのですか? こんな現実離れした空想話……下手をしたら勘当されて、露頭に迷うことも覚悟していたのに」
娘の心配を吹き飛ばすかの如く笑い声を響かせ、ジャスパーの目尻は三日月を描く。
「はははっ。娘が言うことなら、お父様は信じるよ。時空転移はベルフィオーレ家の人間なら有り得る話だし、ルビィちゃんは幼い頃のガーネにそっくりだ……実はね、言葉では言い表せない血の繋がりを感じていた」
お父様は第六感というか、直感が常人よりも冴えた方だ。
ベルフィオーレ侯爵領はニーレンベルギア王国の端の領という土地柄、隣国と暫し衝突が起きる場面がある。だが父は、踏み外せば一触即発の修羅場を人並外れた直感で幾度も切り抜けてきた。
その閃きの直感もあって、ルビィのことを感覚的に家族と感じ取ったのだろう。
私にも直感があったらいいのだけど、残念ながら受け継がれていない。
例の直感が囁いたのだろうか。
ジャスパーはルビィに視線を流すと、さりげなく疑問を呈した。
「ところで、ルビィちゃんは私のことを知らなかったようだが、未来ではお祖父様に会ったことがないのかな?」
ガーネットのドレスの布地を掴んでいたルビィは、瞳をぱちくりと瞬かせた。
「んー? ルビィ、おじいさまに初めて会ったの」
その言葉が示す意味に気づいた途端、ガーネットは眉間に深い皴を刻み、一瞬で表情を強張らせる。
「え、お父様に会ったことがないの? そういえば……セイラのことも知らないようだった。私の身近な人と会ったことがないって、それじゃまるで……」
胸の奥から深い息をひとつ落とし、ジャスパーはある予測を読み解き始めた。
「ふむ。ルビィちゃんは、ベルフィオーレの屋敷に身を置いていなかったのだろう。ルビィちゃんの父君の実家に身を寄せていたという可能性もあるが」
ルビィの視線の高さに合わせるように膝を沈め、ガーネットは柔らかく言葉を投げかける。
「ねえ、ルビィはどんな場所で暮らしていたの?」
そんな質問なんて朝飯前とばかりに、ルビィは鼻を高くして胸を張る。そして、得意満面に声を張り上げた。
「ルビィはね、お母さまと森の中で暮らしていたの!」
「……え…………もり?」
意表を突く返答に、ガーネットの声も思わず上擦った。だが平常通りのルビィは、森で過ごした日々を懐かしむように頬を緩ませた。
「そうなの。怖い人がずっと追いかけてくるから、お母様と一緒にかくれんぼしてたの」
ルビィにとっては何気ないひと言。しかし、ガーネットとジャスパーは同時に顔を上げ、互いの瞳に驚愕を宿す。ジャスパーに至っては即座に腕を組み、思考の断片を埋めるように次々と可能性を描き始めた。
「ずっと追いかけて、だと? 狙われていたのはガーネか、はたまた…………下手をすると、その怖い人が父親の死に関わっている可能性もある。何かよからぬことに巻き込まれるのでなければいいが……」
ガーネットの唇は震え、言葉を発することはできなかった。
怖い人に追いかけられることが……ルビィにとっては日常だったというの?
まだ5歳で、自由に好きなことに目を輝かせる年頃なのに、そんな危険の中に身を置いていただなんて……。
ガーネットはただ、ルビィの小さな身体をひしと胸に抱き寄せるのだった。
何とも形容しがたい、張りつめた緊張が室内を重く支配した。
その空気の変化を、ルビィは敏感に察知した。ぱちぱちとまばたきを繰り返しながら、戸惑いを宿した瞳でガーネットをじっと見上げている。
淀んだ空気を打ち払うべく、ジャスパーは奇跡のように降って湧いた愛らしい孫に明朗な口調で声を掛けた。
「それにしても時を超える力なんて、ルビィちゃんはすごいなぁ!」
突如降り注いだ誉め言葉に、ルビィは淡い青碧の瞳を星のように瞬かせた。
「ルビィすごい?」
膝を折ったジャスパーの口元は淡くほどけ、ルビィへの称賛の言葉が溢れ出る。
「ああ、数百年もの間、うちの家系から失われていた力を宿しているなんてすごいよ! ママさまもお祖父様も宿していないとっても珍しい力だ。これはエメルダも、ルビィちゃんのお祖母様も大喜びだろう」
エメルダという名が耳に触れた瞬間、或る事を思い起こしたガーネットは顔を上げた。
「あ、そうだわ。ルビィが時空転移術を使った場所が、『おっきな石』があったらしいのです。たぶんベルフィオーレの遺跡じゃないかしら。それで、ベルフィオーレ領に帰って、一度お母様に話を聞こうと思うのですけど……」
静かに頷きを落とし、ジャスパーは同意を示した。
「なるほど。確かにエメルダならそっちの専門だし、別の角度から捉えられるかもしれないな」
私の母エメルダ・ベルフィオーレは、遺跡の研究をする考古学者だ。今もベルフィオーレ侯爵領で遺跡の調査を行っている。
おそらく屋敷にあるどんな文献よりも、濃密な話が飛び出すことだろう。
視線を一瞬だけガーネットへと滑らせたジャスパーは、胸元のポケットにそっと触れた。布地越しに伝わる僅かに硬い感触に、重く沈んだ声が室内を震わせる。
「……ガーネはしばらく王都は離れたほうがいいし、丁度いいだろう」
父のどこか憂いを帯びた声に、ガーネットは重大な何かを忘れていることに気がついた。
あ、あれ……何だったかしら。ルビィの件以外にも、お父様に伝えないといけないことがあったと思うのだけど。
確か謝らないとって…………あ、そうだ! 私、婚約破棄されたのだった。
くるりと父へ向き直り、申し訳なさを込めて深く頭を垂れた。
「お父様、勝手に婚約解消の書状にサインして申し訳ございませんっ」
娘の謝罪に対し、父は怒りを落とすわけでもなく、さらりと言葉を返した。
「ん、気にすることはない。というか、ルビィちゃんの話を聞いたら、婚約破棄などちっぽけな気がしてしまった。それに私としては、解消して良かったと感じている」
あまりにさらりとした清涼感さえ感じる言葉に、ガーネットは青碧の瞳を満月のように丸くした。そんな娘に微笑みかけながら、ゆっくりと言葉を積み重ねていく。
「ガーネとカイザー殿下は、円満とは言えない仲だったろう。すでに二人の婚約破棄は、明朝に貴族院で承諾された。これでガーネは晴れて自由の身だ……だが」
刹那、穏やかだったジャスパーの微笑みが夕闇に覆われるように静かに翳る。
「私が王都を離れたほうがいいと勧めた理由だが……」
胸ポケットから何かを取り出し、流れるようにガーネットの眼前へと差し出した。それはあたたかな光沢を放つ美しい羊皮紙の手紙だった。
手紙を受け取り、丁寧な筆致の文面へと視線を滑らせる。が、読み進めたガーネットの表情が、みるみるうちに驚愕の色に染まっていく。
「……え、ガーネット・ベルフィオーレ様との婚約をお許し願いたく……ってこれ、婚約申込書……?」
ガーネットの瞳は即座にジャスパーを捉えた。言葉にならない不満を漏らすように、ジャスパーの視線は床へと貼り付いていた。
再び手紙に目を落としたガーネットは我が目を疑った。
「差出人は、えっと……れ、レオンハルト・シュナイダー……な、なんで!?」
突如届いた幼馴染みからの婚約申込書。
彼の名には、ルビィの父親の可能性を秘めた『レオ』の文字が踊っている。
弟のように想っていたレオンハルトからの求婚は、ガーネットにとって現実味を欠いていて……戸惑いだけがその瞳にゆらゆらと揺れていた。
【登場人物メモⅡ】
ルビィ
5歳。時を駆ける時空転移術が使える。
実はルビィニア・ベルフィオーレという立派な名があるが、未来のガーネットがルビィと呼んでいたため、本人は知らない。好奇心旺盛なので、よそ見注意。




