第78話 麗しの月だけが知っている
寝台の上。
笑い合ったガーネットとコールは、ある人物の話題に花を咲かせていた。
何かを思い起こしたように、コールは言葉を紡ぐ。
「そういえば、姫様がいない間、ルビィは1人で眠っているのか?」
「いいえ。コールを見張るために私が厩舎に泊まっていた時から、お母様と一緒に眠っているの……あ」
ふと、ガーネットは口を開く。
「そういえば、ルビィにお土産を買ってきてってお願いされていたんだった。何がいいかしら」
お土産と聞いた途端、コールの舌が甘い記憶を思い出した。
ほろりと崩れる、ほくほくとした甘みが広がっていく。
俺が落ち込んでいた時、ジャレンが隠し持っていた『それ』をくれたっけ。
皮を剥くのが意外と難しいんだよな。
「それだったら、今の時期ガルシアは栗が旬だから栗なんてどうだ?」
「栗! いいわね。モンブランでも作ろうかしら。この前読んだルビィの好きな絵本に、モンブランが出てきて食べてみたいって言っていたし」
不意に、コールはくつくつとした笑みを浮かべた。
「好きな絵本……もしかして、名探偵にゃんコフか?」
「そうなの。ルビィは今、名探偵にゃんコフに夢中なの。将来は名探偵の助手になるのですって」
ほんの数分前まで気まずそうにしていたのが嘘のように、2人は柔らかな微笑みを交わす。
2人の輪を明るく照らしたのは、ここにはいない小さなルビィだった。
あまりに突飛な夢を耳にし、コールは肩を震わせる。
「あはは。名探偵の助手かあ……じゃあ、まずは名探偵を見つけ出さないとだ。そういえば、姫様の将来の夢はお姫様だったよな」
ガーネットの青碧の瞳が瞬いた。
私の夢、覚えていてくれたのね。
子供の頃の私は、お姫様になることを夢見るどこにでもいる普通の女の子だった。
だから、カイザー殿下の婚約者に決まった時、実はすごく嬉しかったの。
これで本当のお姫様になれるって、私の心は夢と薔薇色に包まれていた。
結局カイザー殿下とは、絵本に登場する王子様とお姫様のような仲睦まじい関係を築くことはできなかった。
けど、今はそれでよかったとさえ思っている。
コール、覚えていてくれたんだ。
そっか……。
ゆるやかに視線を上げ、ガーネットはコールを見つめた。
そっと撫でるように、優しく問いかける。
「ねえコール……もしかして、あなたが私を姫様って呼ぶのはそれが理由なの?」
ゆっくりと、コールは寝台の端の、自分の定位置へと戻ろうとしていた。
だが寝台を後ずさる足を止め、考えを巡らす。
「……どうだったかな。最初は久しぶりに姫様に再会して、なんか気恥ずかしくってさ。それで『姫様』って呼び始めた気がする。でも今は、姫様はやっぱり姫様だから姫様って呼んでるな」
「私が私だから?」
ガーネットは首を傾げた。
その仕草に愛らしさを感じながら、コールは口元をゆるめる。
「……俺にとって姫様は、子供の頃からの大事な冒険仲間だから。絶対に守りたいって感じかな」
ま、本当は冒険仲間というよりも、ただ単純に姫様だから守りたいんだけど。
コールの気持ちに触れ、ガーネットの胸に小さな後悔の色が差した。
コールは私のことを第一に考えてくれている。
寝台の上とはいえ、そんなコールのことを疑ってしまったなんて。
コールを信用しているはずなのに、どうしてあんなふしだらな想像をしてしまったの?
……ちょっと疲れているのかしら。
すると、パッと咲いたようにガーネットの顔が閃いた。
「そうだわ! 今日は手を繋いだまま寝てくれる?」
「……へ?」
突然届いた言葉が理解できず、コールは眉をひそめた。
ガーネットはそっと右手を差し出した。
「今日は何だか……いろいろとあって疲れたの。だから手を繋いでほしいなって」
伸ばされた手のひらを拒むように、コールは右手を左右に振った。
「いや、いやいやいやっ…………それは……だっ、ダメだろ……?」
「子供の頃は手を繋いで冒険したじゃない。手を繋いだら眠れそうな気がするの。大事な冒険仲間なのだし、いいでしょ?」
ガーネットは右手をずずいっと差し出してくる。
問答無用の手のひらに、コールの頬は熱を孕んでいく。
「あの時はまだ6歳と5歳、子供の頃と今じゃ全然違うだろ。しかもここは……『寝台の上』なんだぞ!」
「でも……このお屋敷でコールの傍が一番安心できるし……」
コールはハッとした。
そうだ。
姫様は今日、敵対するガルシアという悪の巣窟に足を踏み入れた。
そのうえ、当主には覚えのないことで傷つけられ、兄上たちは姫様を妻にしようと迫る始末。
さらに、目の前で俺の暗殺未遂まで目撃した……。
それらを総合すると、相当なストレスだっただろう。
ああ、そうか……そうだな。
姫様にとって、この屋敷で俺の傍だけが心の休まる止まり木なのか。
コールは迷いを払うように手を差し出した。
「……わかった。いいよ、手を繋ごう」
「本当に? ありがとうコール。これで安心して眠れそう」
2人の手のひらが重なった。
重ねた手は互いに緊張していたが、すぐにしっとりとした体温が2人の緊張をほどいていく。
コールの手……
私とすると骨ばっていて、ちゃんと男の人の手だわ。
子供の頃はそんなに変わらない小さな手だったはずなのに、すごく不思議。
コールのこの手に、私はいつも救われてきた。
だからなのかしら。
コールに触れていると、陽だまりに照らされたようにすごく安心してしまうの。
呼吸がゆるやかになっていく。
瞳はとろんととろけ、穏やかな眠気が夢の扉を叩き始める。
気づけば、ガーネットの瞳に微睡みが訪れていた。
「ふぁ……眠くなってきたみたい。そろそろ眠れそう」
「そ、そうか。おやすみ姫様」
そう優しく微笑みかけながらも、コールの内心は……
はあ……。
俺は、今夜は眠れそうにないなぁ。
繋いだ手のぬくもりはそのままに、コールは窓の外に浮かぶ月を静かに仰ぐのだった。
次の物語は――
手を繋いで眠るガーネットとコール。
翌朝。コールは目の前に広がった光景に驚愕した。
その光景とは――⁉




