第77話 傷モノ令嬢は組み敷かれ、る?
「なあ、姫様……」
コールの、心地の良い低声が響く。
ガーネットの肩がびくんと跳ねた。
呼吸も、身体の自由さえも奪われ、コールの瞳に囚われる。
寝台の上――
両端に横たわっていたはずの2人の距離は、吐息が首すじにかかるほど近づいていた。
ガーネットはゆっくりと体をよじった。
逃げるように、寝台の端ぎりぎりへと後ずさっていく。
その焦りを、シーツの音が代弁するようにさらりと鳴らした。
だが、コールはガーネットの腕を引き留める。
……コール。どう、したの?
コールの瞳を見つめても、何を考えているのかわからない。
月の光を受けたコールの琥珀の瞳は、夜闇の中で淡い光を放っていた。
まるでガーネットを求めるように、視線が揺らめく。
こちらを捉えて離さない甘い視線が、ガーネットの胸にざわめきを与える。
すると、コールの顔がゆるりと距離を詰めてきた。
え、うそ。
コールの顔がだんだんと近づいて。
こ、これってまさか……くちづけ⁉
私たちは恋人の真似事はしたけれど、それはあくまで演技だったはず。
……あ、だ、ダメよぅっっ。
「こ、コール……待って。そういうのはまだっ。ちゃんと順序立ててからじゃないと~」
戸惑いを含んだガーネットの声が響いた。
だが次の瞬間、コールの口から紡がれた言葉は――
「やっぱり、姫様も眠れないんだろ?」
「ふぇ? ねむ…………ひゃっ⁉」
その時だった。
ガーネットの右足がシーツからするりと滑り落ちた。
まるで穴に落ちたように、視界から消える。
慌てることなく、コールは手を伸ばした。
指先はガーネットの腰を掬い上げるように、そのまま強く抱き寄せる。
間一髪のところで床には落ちなかった。
だが代わりに、ガーネットの心臓が特大の鼓動をバクバクとかき鳴らす。
寝台の上、ガーネットとコールの身体は密着し、2人はただ見つめ合った。
青碧の瞳と琥珀の瞳が交錯する。
互いの吐息が絡み合い、体温はひとつに溶けるよう。
――トクドク、トクドク。
ああ、心臓がすごくうるさい。
身体の中を脈打つようで、周囲の音さえ耳に入らない。
密着した部分からコールに伝わっていないかしら。
知られてしまったら、私……。
一方のコールは表情こそ冷静ではあるが、胸の内は大変動揺していた。
ああ、やってしまった。
姫様が寝たかどうか、確かめるだけだったのに。
寝台の端で寝返りを打ったら危ないと、引き留めたのが裏目にでたな。
……っていうか、姫様。
相変わらず折れそうなほど細い。
それにやっぱりいい香りがする……あ、やばい。
姫様のこと、俺の腕でこれでもかって包み込んで、ぎゅってしたい。
ああ~もうっ、だから一緒の寝台で眠るのはダメだって!
俺の理性よ、頑張れ。
と、とにかく一旦離れないと……。
ガーネットの腰から手を離し、コールは平静を装った声で言葉を投げかけた。
「大丈夫か姫様?」
「ええ。私は何ともないわ。支えてくれてありがとう、コール」
ガーネットの声音に安堵しつつ、コールはどこか落ち着きない声を闇夜に放つ。
「すまない。そんなに驚くとは思ってなくて、怪我させるところだった」
「気にしないで。私もちょっと、勘違いしてしまっただけだから……」
ぎこちない言葉が途切れたのち、2人の間に静かな沈黙が降りた。
普段の気の置けない2人にはない緊張が、静かに場を包み込む。
ふいに、ガーネットが瞳を瞬かせた。
静かにコールを仰ぎ見る。
「ねえ、コールも眠れないの?」
「……俺は眠れない自信があったし」
ガーネットの視界から視線を外したまま、コールは唇を尖らせた。
普段の晴天のようなコールとすると、どこか薄雲をまとったようにぼんやりとしている。
実は、コールの頬は赤く染まっていた。
だが青く光る月のおかげで、ガーネットが感付くことはなかった。
そのどこか幼さを含んだコールを見た瞬間――
ガーネットの記憶から、ある思い出が浮かぶ。
幼少のガーネットがお姫様ごっこをせがんだ時、少し困ったように眉を寄せたコール。
不思議と「ママさま、眠れないのー」と眉をハの字にして泣きつくルビィの姿が重なった。
「ふふっ。羊を数えても眠れないものなのね。ルビィは10匹数える間に眠ってしまうけど」
それを耳にした瞬間、コールの口元に微笑みが咲いた。
「ぷっ……それはルビィだけだろ」
お転婆なあの子の存在が、場を和ませたのだろう。
2人を隔てた気まずさはほどけ、代わりに穏やかな時間が舞い降りた。




