第72話 怪しいメイド
――コンコンコン。
またもノックの音が鳴り響いた。
控えめに響いた木の音に、ガーネットとコールは顔を見合わせる。
フィリップ様とルーファス様が戻ってきたのかしら?
すぐさま、コールはソファに置かれた薄手のシャツに袖を通す。
扉前にいるガーネットの肩に手を添え、静かにその場から遠ざけた。
警戒を解くことなく、コールは扉の向こうへ呼びかけた。
「誰だ?」
「……ご夕食をお持ちいたしました」
メイドと思しき、若い女の声が扉越しに響く。
……ほっ、メイドだったのね。
緊張がほぐれたように、ガーネットはゆるやかに肩を撫で下ろした。
だが、コールは訝しげに片眉を吊り上げる。
「夕食なんて頼んでいない。それは、誰に頼まれて持ってきたものだ?」
しばしの沈黙のあと、メイドは波ひとつ立たぬ凪の海のような落ち着いた声を紡ぐ。
「…………ジャレンさんから申し渡されました。長旅でお疲れのお二人は空腹だろうから、ご夕食をお持ちするようにと」
気の利くジャレンの性分ならばあり得ると、思わず頷きたくなる言葉が告げられる。
しかし、コールは眉間に皺を刻んだまま、
「わかった。今開ける……」
だがその前にコールは振り返り、ガーネットの耳元に顔を寄せた。
扉の向こうに届かないほどの細声で、そっとささめく。
「姫様は、俺の後ろに隠れていてくれ」
コールの琥珀の瞳は緊張を宿していた。
……コール?
護衛の任に就いている時のような、凛とした表情をしている。
何か、あるのね?
声を発することなく、ガーネットは微かに頷いた。
――キィィィ。
軋む音とともに扉が開き、食事を載せたワゴンが部屋へ進む。
ワゴンを押して姿を見せたのは、つややかな黒髪のボブを揺らす可憐なメイド。
ガーネットの目には、害など微塵もない か弱いメイドにしか見えなかった。
だが、コールは警戒をゆるめる様子はない。
丸いドームの形をしたクロッシュと呼ばれる銀蓋を開け、コールは皿の中身を確認する。
香ばしい肉の香りが食欲をくすぐるリブのステーキ、鮮やかな人参のポタージュなど。
ワゴンには、美味しそうな料理が温かな湯気を立たせていた。
2皿ずつ並んだ品々に、コールは視線を落とす。
不意に近くの荷から『ある物』を取り出し、そっとスープに浸した。
それは、純銀で仕立てられた端正なナイフだった。
するとみるみるうちに、ナイフの表面が鈍い黒に変色していく。
コールはただ、静かにため息を落とした。
「……毒だな。この色の変わり具合は、硫化物か?」
「えっ……ど、毒!?」
ガーネットの声が、驚きのあまり裏返る。
瞬間、チィと舌打ちが響く。
メイドはエプロンに忍ばせたナイフを抜き放った。
ギラリ、と目映い閃光が走る。
漆黒の髪を散らし、コールの懐めがけて一気に踏み込む。
だが、コールのほうが数段上手だった。
流れるようにナイフの軌道を躱し、メイドの腹部に腕を差し込む。
そして、ソファに向けて一気に投げ飛ばした。
――バタンッ。
ソファが弾けるように悲鳴を上げる。
一瞬で間合いを詰め、コールはメイドの上に覆い被さるように抑え込んだ。
「離せっ、離せえ゛ぇぇ!」
ナイフを振り乱して、メイドは抵抗した。
ソファの布地は切れ、中の綿が宙に飛び散っていく。
その様子を、ガーネットは固唾を呑んで見守っていた。
ナイフの柄を肘で弾き飛ばし、コールはメイドの首すじを腕で押さえた。
するとメイドの力が抜け、意識が刈り取られたように崩れ落ちる……。
押さえつけたまま、コールはうなだれるように大きく声を漏らした。
「ああもう……ったく! 毒を使うのは第一夫人か第二夫人か。姫様、すまないがそこの呼び鈴引っぱってくれ」
「わ、わかったわ」
言われるがまま、ガーネットは扉の脇に伸びた細い紐を引いた。
息吐く暇もなく、家宰のジャレンを筆頭に数名の使用人が駆けつける。
ものの数秒で、すべてを悟ったように片づけへと取りかかった。
ガーネットにもまた、使用人たちから気遣う声が寄せられる。
気づくと、メイドという名の暗殺者は連行されていた。
ボロボロになったソファを運び出す使用人の背を、ガーネットは静かに見送った。
どうしてかしら。
コールも、ジャレンさんたち使用人の皆さんも、もの凄く慣れた手つきで対処しているけど……。
すると、隣に並んだコールが疲れた瞳のまま、薄い笑みを浮かべる。
「これがこの家の……特に俺の日常だったから」
そういえば……
純銀のナイフを使って、コールは慣れた手つきで毒を確認していた。
安心できるはずの実家で、いつ殺されるかもわからない。
そんなおぞましい恐怖に、コールは毎日のように悩まされていたの?
そんなのって、ないわ……。
結局2人の夕食は、コールが街で購入した干し肉と硬いパンだけだった。
毒の心配がないだけで、最高級の料理にも匹敵するほど味わい深い。
コールとの食卓を、まったりと楽しむガーネットであった。




