第68話 幼馴染み以上恋人未満
ガーネットの目元には、まだ涙が光っていた。
気づいたコールはガーネットの頬を両手で覆い、優しく拭う。
よく目を凝らすと、瞼はわずかに腫れぼったい。
自分のために流した涙の重さを知り、コールは心を震わせる。
「姫様を、こんなに泣かせるとは想定外だった。本当にすまない」
「私が勝手に泣いただけなのだから、気にしないで」
ガーネットは柔らかな微笑みを刻む。
その微笑みは、謝罪さえ包み込むようである。
「それに、コールの境遇はずっと気になっていたの。話してくれて本当にありがとう。ふふ、今日のコールは何だか謝ってばっかり。コールだって……」
ガーネットの指先が、コールの前髪を優しく持ち上げた。
額には、汗がじわりとにじむ。
「コールだって、ずっと緊張していたのでしょ。冷や汗がぐっしょりだもの」
図星を突かれたと、コールはほろ苦い笑みを返した。
「……ああ、その通りだ。第三夫人の母さんの棺を持ち出してるし、捕まっても仕方ないと思って緊張してた」
「そ、それは確かに。捕まらなくて本当によかった……あ」
青碧の瞳がきらりと瞬く。
「そうだわ。さっきジャレンさんが湯浴みの準備ができていると言っていたし、汗を流してきたら?」
ソファから身を起こし、ガーネットは周囲にそっと視線を巡らせる。
室内には、今2人がいる部屋とは他に、2つの扉が並んでいた。
どちらも白亜の扉で、特筆すべき違いはない。
乙女の勘か。
ガーネットは近い扉のドアノブにそっと手を伸ばす。
「浴室はここかしら」
――ガチャ。
しかしそこは浴室ではなく、寝室だった。
2人でもゆったりと横になれるほどの、大きな寝台。
桃色の絹地のシーツが輝く。
レースのカーテンから差し込む光が湖面のように煌めき、寝台へと妖しく誘うようである。
どういうわけか、紅い薔薇の花びらが散らしてある。
そこはかとなく漂う淫靡な雰囲気に、ガーネットは目を白黒させた。
「……ふぇ?」
「どうした姫様?」
扉を開けた途端に硬直したガーネットを心配し、コールも駆け寄った。
だがすぐに、コールも同じように琥珀の瞳を忙しなく明滅させた。
「んおっ……じゃ、ジャレンのやつ。こんなすごい部屋を……」
そして、とんでもない事実に気づく。
「ん? っていうか、待てよ。もう1つの部屋が浴室なら、寝台はこっ、これ1つしかないのか!?」
――え、じゃあ……私たちは2人でここに?
――え、じゃあ……俺たちは2人でここに?
息をそろえたように、2人の視線がぶつかる。
視線が重なった瞬間、跳ねるように心臓が暴れ出した。
頬へ指先を添え、ガーネットは火照った熱を冷やしていく。
瞳は、羞恥と動揺で小刻みに揺れていた。
こ、ここに、コールと2人で眠るということなの?
ひとつの寝台に2人で……って、そんなの破廉恥しゅぎるっ。
いいえ、冷静になってガーネット。
そもそもコールは、私に寝台を譲ろうとする気がするわ。
でもコールは病み上がり。
そのうえ、長距離の馬の移動で疲れているだろうし、できればあの大きな寝台で身体を休めてほしい。
そうだわ!
私が別の部屋のソファで眠るというのはどうかしら。
一方のコールも動揺から口元に手を添え、照れを隠すように視線を落とした。
ジャレンのやつ、一体何を考えているんだ?
ジャレンは俺たちが恋人同士じゃないって、気づいてそうだったのに。
っていうか、あの薔薇は何なんだよっ!
俺は護衛として姫様を守りたいだけなのに、見えない何かが俺の理性を煽ってくるんだが。
何か最近、こういうシチュエーション多くないか?
いや、いやいや大丈夫。
こっちの部屋にソファがあったし、俺はあのソファで眠ればいいだけの話だよな……うんうん。
どうやら、2人は同じ結論に至ったらしい。
2人の口元には、『これで大丈夫』という安堵の微笑みが満ちた。
ガーネットはそっと顔を上げた。
ぎこちないながらも、明るい声を紡いだ。
「ジャレンさんにもこ、恋人同士だと勘違いされたみたいね」
「ああ、そうみたいだ。す、すまない姫様」
コールの声も僅かに上擦っていた。
ガーネットは平静を取り戻し、普段の柔らかな笑みをそっと咲かせる。
「私たちは恋人同士ということになっているし、コールのせいじゃないわ。ということは……こっちの扉が浴室ね」
残った扉を開けると、大きな浴室が広がった。
床は白亜の大理石。
中央には、白い陶器の円形の浴槽が佇んでいる。
浴槽の傍らに置かれたバススタンドには、2人分のタオルとバスローブが仲良く並べられていた。
本当に大きな浴槽だわ。
ジャレンさんが2人で入れるって言った意味もわか……あ、べ、別に私はコールと一緒に入りたいとか、そ、想像なんてしてな……。
「どんな浴室だった?」
背後から、コールが顔を覗かせた。
首すじにコールのぬくもりが伝わり、ガーネットの心をざわつかせる。
「と、とっても素敵な浴室よ。本当に2人で入れそう……あ、ちがっ!?」
「んんっ! ま、まあ確かに入れるだけの広さはあるな」
何を想像したのやら……
ガーネットとコールの照れた声が、浴室の壁に跳ね返る。
浴室には何とも言えぬ静寂が広がった。
その静寂を破ったのは、コールの声だった。
「じゃあ俺は湯浴みをしてくるか。あ、ジャレン以外は部屋に入れないようにな。この屋敷は何かと物騒だから」
物々しい響きにガーネットの恥ずかしさも薄れ、力強く頷く。
「わかったわ。ジャレンさん以外は通さない。心配しないで、コールはゆっくり入ってきてね」
コールを見送り、ガーネットは再びソファに腰を下ろした。
何をするでもなく、ただゆったりと……。
しかし、
――カタンッ。ゴトっ。
浴室の音が耳に届くたび、ぴくっと肩が揺れる。
その度に、看病で瞳に焼き付いたコールの逞しい肉体が、ガーネットの脳裏に浮かんでは消えていく。
ソファの上で両膝を抱え込む。
トクトクトク。
早鐘を打つ心臓を抑えるように、ガーネットは身を丸くした。
そして、灼けつくようなため息をひとつこぼし……
「看病している時はよく2人きりになっていたのに……私ったら、どうしてこんなにドキドキしているの?」




