第64話 ガルシア家の一族
先導するジャレンに続き、ガーネットとコールは2人の部屋へ続く廊下を進んでいた。
コールはガーネットの肩に手を回していた。
2人は、離れがたい恋人のように身を寄せ合っている。
何だかこうしていると、ほ、本当に恋人同士みたい……。
頬がほんのりと朱に染まっていく。
視線を床へ這わせ、ガーネットは照れを隠すように黙り込むのだった。
長い廊下を抜け――
広々とした玄関ホールの2階へと足を踏み入れる。
玄関ホール2階の踊り場には、女性が2人佇んでいた。
漆黒のドレスを身に纏い、扇子を優雅に広げている。
刺すような敵意を、2つの双眸に宿していた。
お会いしたことのない方々だわ。
ガルシア家の方かしら?
こう見えても、ガーネットは王太子の元婚約者。
夜会や茶会だけでなく、サロンや慈善会にも幅広く参加しており、多くの夫人たちと顔を合わせる機会があった。
そのため、見慣れぬ顔につい小首を傾げる。
不意に、諦めを含んだため息がコールの口から漏れた。
「……ああ、面倒くさいのが来たな。すまないが、姫様は絶対に話さないでくれ」
「え? ええ、わかったわ」
理解は追いつかなかったが、ガーネットはこくりと頷いた。
コールの翳った声から、微かな嫌悪を読み取ったからだ。
すると広い踊り場の中央へ、女性たちは場を支配するように歩み出た。
ガーネットたちの進路を遮るように、圧をかけて立ち塞がる。
2人の女性のうちの1人が、半歩前へと進む。
氷雪のごとく冷たい声が、場の空気を張り詰めさせていく。
「あら……本当にコールレオンさんがいらしていたのね」
すると、後方の女性も追いかけるように声を上げた。
「ねえ、報告した通りでしたでしょう?」
広げた扇子で、半分以上顔を隠した2人の女性。
だが、目元は露骨なほどに嘲るようで、見下した感情は誤魔化しようがない。
前に立つ女性は金色の髪を揺らし、その半歩後ろに赤毛の女性が控えている。
2人の佇まいに、ガーネットはどことなく既視感を覚えた。
あ、先ほどお会いしたコールのお兄様のフィリップ様とルーファス様。
あの2人に雰囲気が似ている気がする。
もしかして、このお二人は。
…………え、きゃ!?
瞬間、肩にふわりと温かな重みが加わる。
コールの胸元へ、引き寄せられていた。
ガーネットを庇うように抱き寄せたまま、コールは氷の微笑を顔に貼り付けた。
「これはこれは、第一夫人と第二夫人。お久しぶりです」
第一夫人と呼ばれた女性は右眉をヒクリと跳ねさせ、苛立ちをその声に滲ませる。
「お久しぶりですって? ガルシアから除籍されたあなたに、そんな挨拶をされる覚えはないわっ。どうしてあなたが屋敷にいるのかしら、コールレオンさん?」
さらに後方の第二夫人も扇子をそっと掲げ、嘲りを含んだ声を落とした。
「あなたはもう、当主候補ではないはずでしょう? 御当主様はなんと慈悲深いこと……」
2人の口からこぼれるのは、汚泥を纏った濁った嫌味ばかり。
1人が口を開けば、もう1人が山彦のように追随する。
思わず、耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
コールの指示通り、ガーネットはコールの腕の中で成り行きを見守っていた。
しかし――
大切な宝物のように守られたガーネットの姿に、夫人たちの狡猾な瞳が狙いを定めた。
旅人の装いの地味なガーネットを、つま先から頭頂部まで舐めるように見上げていく。
やがて、扇子の影で鼻で嗤ったように声を鳴らした。
「んまあっ! 女性など侍らせて、結婚の報告にでもいらしたの?」
「忌々しいベルフィオーレを討つ当主候補として、御当主様に目をかけて頂いたのに、女性に現を抜かすなんて……いい御身分ねえ」
「どこの馬の骨ともわからぬ小娘に、名門たるガルシア家の敷居をくぐらせるだなんて」
侮蔑を含んだ言葉が、濁流のように玄関ホールへ降り注ぐ。
片方が皮肉を放てばもう1人が追い打ちをかけ、その応酬は醒めない悪夢のようである。
ガーネットの高貴な家柄を承知する家宰ジャレンは、我慢ならずに口を開こうと身を乗り出した。
だが、すぐさまコールが手をかざす。
『教えてやる必要はなし』と、首を横に振った。
まったく相変わらず口は達者だな。
本当に、昔から口の減らない夫人たちだ。
まあ……対面してしまった以上、こうなることは目に見えていた。
ベルフィオーレの姫君の顔も知らずに、よくもこう毒を吐けるよな。
琥珀の瞳を滑らせ、気づかれぬようガーネットへ視線を送る。
コールの胸元に手を添えたガーネットは唇を引き結んで、ただ静かに耐えていた。
ガルシアに足を踏み入れたばかりに……。
もう何度、姫様は嘲りをその身に受けた?
俺はもう、あの頃の俺とは違う。
姫様は、姫様だけは絶対に守ってみせる。
……ということで、少しばかり慌ててもらおうか。
夫人たちをまっすぐに見据え、コールは穏やかな笑顔を刻んだ。
その笑みは、どこまでも続く青空のように澄み切っていて、苛立ちの影すら感じさせない。
「夫人方の仰るとおりです。除籍された身の俺としても非常に居づらい」
わざとらしく肩をすぼめ、
「このままお暇する予定でしたが、当主様が是非泊まるようにと仰せになるもので。急遽、滞在するよう予定を変更したのです。だが…………ふむ」
さらにわざとらしく眉間に皴を寄せ、コールは思案を重ねる体を装った。
そして、
「……やはり帰途へ向かうと致しましょう。ジャレン、第一夫人と第二夫人に帰宅を促されたのでお暇しますと、そう当主様に伝えてくれ」
思わぬ展開に、夫人たちは目を剥いた。
御当主様の意向に背くよう、仕向けたと知られればっっ。
不興を買って、うちの子が当主に選ばれなくなるやも……っ。
――2人の胸には同じ懸念がよぎっていた。
感情を覆う扇子などかなぐり捨て、夫人たちは我先にと声を荒げる。
「んなっ……御当主様が!? べ、別に泊まるなと口にしてはいないでしょうっ」
「私もそのようなことは申し上げておりませんわ。コールレオンさんったら、どこで行き違いがあったのかしら……おほほ」
媚びでも売るように、夫人たちは胸元で指先を擦り合わせる。
その変貌ぶりに、ガーネットは空いた口が塞がらない。
まるで、天変地異でも起こったような変わり身の早さだわ。
ガルシア卿の名前を出しただけで、こんなにも態度が変わるだなんて……。
眉間に不快を刻んだまま、コールは冷たく告げた。
「では、そこを通して頂けますか?」
先ほどまでの煩わしさが嘘のよう。
夫人たちは、海が割れるように左右へと退いていった。
開かれた道を、コールとガーネットは寄り添うように歩き始めた。
だが、去り際の背に、夫人たちの視線が細い針を刺すように纏わりつく。
そして、
「カレンデュラの忘れ形見め……っ!」
憎悪の込められた濁声が、ガーネットの耳を微かに掠めていった。




