第63話 恋人ごっこに火をつけて
「ガーネットは、俺の恋人です!」
コールの声が室内の空気を震わせた。
姫様が見初めた相手が、『ガルシアの当主』になるだと?
姫様が兄上たちの当主争いに巻き込まれない方法……
それは、姫様がすでに誰かを見初めていること。
つまり、俺の恋人だと宣言する。
これが一番確実な方法だ。
だが口先だけでは足りない。
本物の恋人として振る舞わなければ、疑り深い当主はきっと納得しないだろう。
ここは、恋人らしい親密さを見せつける必要がある……!
一方、ガーネットは表情を驚愕で染めていた。
『恋人』という響きが胸の奥をざわつかせる。
コールへ視線を寄せたまま、感情が呼応するようにまばたきが落ちる。
コー、ル?
今、恋人って……誰と誰が……?
するとガーネットの額に、ふわりと柔らかな感触が落ちた。
コールがくちづけを落としていた。
まるで深い愛情を示すように。
淡い吐息とともに触れた唇は、ほのかな温度を帯びている。
コールは愛おしげに微笑み、端正な顔立ちを寄せる。
ガーネットの耳元で甘く囁いた。
「ガーネット。やはり隠しても漏れてしまうんだな。俺たちが恋人同士だと……」
砂糖菓子を溶かしたような甘い雰囲気が漂う。
熱を帯びた琥珀の瞳が、一心にガーネットを見つめた。
その瞳には――
姫様すまない。今はどうか俺に任せてくれ、という意思が込められている。
昔馴染みの勘もあってか、コールの意思はしっかりと伝心されていた。
だが、ガーネットはそれどころではない。
あれ……私今、コールにキスされ……おで、おでこにキスされなかった!?
くちづけが落ちた額から熱が伝わり、全身の血が沸騰したように熱い。
頬は薄紅に、耳は朱に燃え上がり、動揺が表情を覆い尽くした。
お、落ち着いて……
これは、恋人の振りをしようというコールからのメッセージ。
だからガーネット……落ち着くの、落ち着くの‼
不意に、ルビィの口癖が胸に落ちる。
「ママさま、がんばるの!」とルビィに背中を押された気がした。
気づけば、穏やかな心がガーネットを包み込む。
ふぅと息を吐くと、ガーネットは気恥ずかしげに微笑む。
「そ、そうね。もう隠せないみたい……しかたな……っ!」
瞬間、コールと視線が重なった。
心臓がとくりと跳ね上がり、思わず瞼を伏せる。
え……姫様。
今、目を逸らした?
コールは淋しさを覚えた。
心に小さな空洞が空いたような淋しさに、眉尻が自然と沈んでいく。
姫様にそういう態度を取られると、妙に淋しい。
……こっち向いてくれ。姫様の顔が見たい。
妙な対抗心がコールの胸に芽生えた。
コールはガーネットの顎をそっと包む。
そして、柔らかな頬に淡いくちづけを寄せた。
「……っえ、ちょ⁉」
恥じらうガーネットを逃がさぬよう、肩を引き寄せ、胸元へときゅっと抱きしめる。
コールの温もりと淡いシトラスの匂いが、ガーネットの鼻先を満たしていく。
ちょ、ちょっとコール。
恋人のふりとはいえ、少しやりすぎなんじゃ……。
これじゃ、場を弁えないイチャイチャカップルよぅ。
そう訴えようとガーネットが顔を上げると、コールはこちらを見つめていて。
琥珀色の瞳が、触れれば溶けてしまいそうな甘い視線を注いでいた。
……! コールって、恋人の演技が上手なの、ね。
私、本当に勘違いしてしまいそう……っ。
赤面するガーネットを腕に収めたまま、コールは2人の兄を流し見る。
「そういうことなのでフィリップ兄上、ルーファス兄上。ガーネットは俺の物ですから」
口元に爽やかな笑顔を刻み、
「兄上たちも、流石に人の恋路を邪魔立てしないでしょう? 俺は当主の座など興味はありませんから、お二人だけで好きなだけ争ってください」
そして、感情のない視線を当主ダルトンへ向けた。
「では当主様もお身体をご自愛ください。俺たちはこれで失礼します」
コールが踵を返した、その時だった。
「まあ待て。外はもう暗い。せっかく久しぶりに実家に帰ったのだ。泊まっていけ」
ダルトンの淡々とした低音が響く。
踏み込んだ足を止め、コールは肩越しに顔だけを返して微笑む。
「いえ、すぐに発てば隣町まで行けますので」
「いいから泊まっていけ。ガーネット嬢も長旅で疲れているだろう。それに、泊まるのならば……カレンデュラの部屋に入る許可を出す」
刹那、コールの瞳が震えを刻む。
目の前で、ガーネットはコールのその一瞬を捉えた。
カレンデュラって、確かコールのお母様の名前よね。
ベルフィオーレのお墓に記されていたわ。
お母様の部屋……
何かコールにとって大事なことなのかしら?
もしそうなら、力になりたい……。
肩を抱き寄せたコールの手に手を重ね、ガーネットは穏やかに微笑みかけた。
「コール、ガルシア卿のお言葉に甘えさせていただきましょう」
「……ガーネット」
琥珀の瞳を強く揺らしたまま、コールはガーネットを見つめた。
ガーネットもコールの頬に手を添え、口元をほころばせる。
「あなたにとって、とても大事なことなのでしょう?」
コールの瞼が微かに跳ねた。
姫様は、俺の反応から何かあると気づいたのか。
やっぱり……姫様に隠し事はできないな。
そっとその手を握り返し、コールも穏やかな微笑みを返した。
「ああ、すまない」
微笑ましい2人の様子を、ダルトンは気怠げに見物していた。
露骨なまでの不愉快さを顔に刻みながら、荒々しく髪を掻き毟る。
「恋人同士ならば、同じ部屋で構わないのだろう?」
思いも寄らぬ言葉に、コールは目を見張った。
頬に淡い熱が差していく。
あの厳格な当主が、何て質問をするんだっ。
もしかして、まだ信じられていない?
でも、同じ部屋に泊まるのは、流石にまずいんじゃ?
実際は恋人じゃないんだし。
んああ、でもこのままだと……っ。
困惑に揺れるコールの横顔を、ガーネットは静かに見上げていた。
コール……
同じ部屋に泊まることを躊躇っているのね。
コールと2人きりの寝室を想像するだけで、胸がそわついた。
でもコールと同じ部屋でなければ、禍々しい何かが牙を剥く予感がしてならない。
……もしかして、これが直感というものかしら?
まっすぐにコールを見上げる。
ガーネットは了承のまばたきを落とした。
いいんだな、姫様。
ここで拒否すれば、兄上たちが姫様を狙う気しかしないしな。
「……俺とガーネットは同じ部屋でお願いします」
そう言葉を紡ぎながら、コールは兄たちに視線を走らせた。
その眼差しは、少しでも触れようものなら刃を返しそうな緊張を孕んでいる。
兄たちも怯むことなく、静かに睨み返した。
その肌をひりつかせる空気に、自然とダルトンの口元には笑みがこぼれる。
「クク……楽しくなってきた。ジャレンはいるか!」
廊下に控えたジャレンが寝台の傍までやってきた。
ダルトンは口を閉ざしたまま、首をひと振りして顎で合図を促す。
その合図は、早く2人を部屋へ案内しろと命じている。
「コールレオン様、ガーネット様。こちらにございます」
ジャレンに先導され、コールとガーネットは部屋を後にした。
ぱたりと扉が閉まる。
――ゴホゴホッ。
ダルトンの咳き込む音が室内に広がった。
純白のシーツには、鮮やかな血の斑点が散らばっている。
「当主様っ。大丈夫ですか!?」
長男のフィリップがすぐさま駆け寄る。
しかしダルトンは、鬱陶しいとばかりに払いのけ、
「構うなっ! ……今とても気分がいいのだ。ククク。ベルフィオーレの娘と恋仲になるなど、この300年誰も思い至らなかった所業ではないか」
口元がゆっくりと歪み、
「2人の間に子でもできればっっ。2つの家が分かたれる以前の、栄華を極めた時代に回帰することになる。ふふ、フハハハハハハ!」
ダルトンの破滅に満ちた笑い声が、屋敷に静かに響き渡った。
【登場人物メモⅩ】
ダルトン・ガルシア
48歳。コールの父親。ガルシア伯爵家当主。
ベルフィオーレを忌み嫌い、ガルシアがベルフィオーレを蹂躙する未来を望む。
幼少の折、毒を盛られた後遺症の影響か、体調は常に不安定である。




