第62話 次代の当主となる者は……
「コールレオン、まさかとは思うが…………憎きベルフィオーレの娘と懇ろになったのではなかろうな? ……ぷっ、ふは、ははははははっ」
伯爵家当主ダルトン・ガルシアの嘲笑が室内に響いた。
刃のように劈く笑い声――
口を挟むことのできない気配が漂い、ガーネットは息を潜めた。
それはコールも、他の兄弟たちも同様で、沈黙が満ちていく。
ようやく、ダルトンの笑い声が細くなった。
腹を抱えて笑っていたダルトンは、目尻の涙を拭いながら声を低く落とした。
「我がガルシアの三男ともあろう者が、ベルフィオーレの配下に身を落としたと思っていたが……なるほど」
まっすぐにガーネットを見据え、
「そんなガーネットを持参するとはな。その発想は、300年の系譜を持つ我がガルシアの先祖にもいなかった、そして……」
琥珀の瞳が蛇のように細まる。
「彼女は間違いなく、極上の成果だな」
ダルトンの口元に、意味深な笑みが広がる。
ガーネットを品定めするように視線を這わせた。
蛇のような鋭い視線に、ガーネットは身の危険を本能的に感じた。
コールの腕へと、そっと指先を寄せる。
その瞬間、コールが庇うように前へ立ちはだかった。
その絶妙な噛み合いに、ダルトンは僅かに目を細める。
「正攻法ではない。だがベルフィオーレを取り込めば、ガルシアの先達たちのベルフィオーレを屈服させるという悲願は達成される。やはりお前こそ、我がガルシアの次代の当主に相応しい」
細く骨ばったダルトンの指先は、コールを当主と選定したように差し出される。
コールは眉間に険しい皴を刻み、目を伏せた。
その傍らで、ガーネットは驚愕に瞳を見開いた。
コールが次の、ガルシアの当主ですって!?
でも待って、コールはガルシア家から籍を除かれたんじゃ……?
張り詰めた静寂が、室内を重く包んでいく。
静寂を破るように、コールはそっと口を開いた。
「以前にも申し上げましたが、俺はガルシアを継ぐつもりはありません。ガルシアの籍からも除外された身です」
片膝に頬杖をついたまま、ダルトンは失笑した。
「ハッ。籍の除外などどうにでもなる。コールレオン、お前の価値はこの出来損ないたち2人を足しても軽く凌ぐほどだ」
傍らの息子たちをぞんざいな手つきで指しながら、塵でも見るような瞳で息子たちを流し見る。
すると、ダルトンの指先がガーネットを迷いなく指した。
「そのうえ、こんな土産を持ち帰るなど」
瞬間、コールの瞼がぴくりと動く。
「先ほどから、彼女を土産と呼ぶのはおやめください!」
コールの凛とした声が、ダルトンの言葉を断ち切った。
コールの琥珀の瞳は晴れ渡る空のような鮮やかさを失い、ギラギラと荒ぶる太陽のようにダルトンを睨み据える。
そんなコールの表情を、ダルトンは隅々まで観察した。
口元が僅かに震えを帯び、瞳孔が興奮したように開いている。
視線は、ダルトンを射抜くように一点に固定されていた。
コールの煮え滾る怒りが沸々と伝わってくる。
ダルトンは弱点を掴んだと口元を歪め、ニヤリと嗤った。
「そこまで庇うとは、随分とその娘に入れ込んでいるな」
「違いますっ。ガーネット様は俺の主で」
「ほう……本当にそれだけか?」
薄い笑みを浮かべ、ダルトンは再び2人へ視線を向けた。
コールの胸元には、ガーネットが寄り添うように縋りついていた。
そしてコールからは、己を犠牲にしてもガーネットを守るという強い意志が感じられる。
寄り添う2人は、主従の枠を越えた深い関係にしか見えなかった。
罠を張り巡らすように、ダルトンはゆっくりと言葉を編んでいく。
「ガーネット・ベルフィオーレ嬢。腑抜けの王太子から婚約破棄されたベルフィオーレ家の一人娘だ」
「まさかとは思うが……コールレオン、破棄された理由はお前との不貞か? そういえば、隠し子がいるという噂も耳にした。クク」
ガーネットの左首元の傷痕へ視線を向け、
「確か……傷モノ令嬢と呼ばれていたな」
次々と並ぶガーネットを貶める言葉の数々。
だが当のガーネットは、ぱちくりと瞳を瞬かせるだけ。
えっと……どういうこと?
ご挨拶もまだなのに、私、ガルシア伯爵にものすごーく貶されてない?
突然すぎて、傷つく暇もないのだけれど。
ガーネットは意味も解らず、呆然と伯爵を見つめるほかなかった。
だがその辛辣な言葉に、怒りを露わにした者がいる。
――コールだ。
「当主様。これ以上、ガーネット様を侮辱するのはおやめください!」
かかったと、ダルトンは口元を吊り上げる。
「んん、ただの主人なのだろう? そこまで憤る必要がどこにある? そうだ、ガーネット嬢…………ガーネット嬢、返事を!」
突然名を呼ばれ、ガーネットは驚きながらも返事を返した。
「え、はいっ」
「コールレオンが恋人でないのならば、こちらの息子たちなど如何かな?」
ダルトンは、傍らに並ぶ息子たちを乱雑な手つきで示した。
戸惑いながらも、息子2人はガーネットへ控えめな礼を向ける。
「長男のフィリップと、次男のルーファスだ。少しばかり出来は悪いが、ガーネット嬢が見初めてくれたのならば、きっとその者は『次代の当主の座』に収まるだろうな、ククク」
ダルトンの言葉が寝台へと落ちた刹那――
フィリップとルーファスの琥珀の瞳がギラリと鋭い光を宿した。
目の色が変わり、飢えた獣のようにガーネットを捉える。
フィリップとルーファス。
彼らは当主の座を欲している。
だが当主ダルトンは、不出来というばかりで認める気配はない。
そんな2人にとって、当主の座に就く条件が『ガーネットに見初められる』というのは、これまでで最も明瞭なものだった。
2人の次期当主への渇望が、ガーネットの未来へ黒い蔦を伸ばしていく。
その欲望の匂いを、コールは瞬時に嗅ぎ取った。
ま、待て……まずい。
これは由々しき事態だ。
このままだと、姫様が兄上たちの争いに巻き込まれてしまう。
あの兄たちは、当主になるためなら何を犠牲にしたって気にも留めない。
姫様が傷つこうが何だろうが。
そんなの……くっ、何てことをしてくれたんだ当主は……!
噛みしめた奥歯を軋ませる。
何か手立てはないかと、思案を深く駆け巡らせていく。
すると、コールの胸奥に、たったひとつの策が芽生えた。
ああ、これをすると……
でも、このままでは姫様が……!
決意を固めるように、短く生唾を呑み込む。
そして大きく深呼吸し――
「待ってください!」
口元に弧を描きながら、わざとらしくダルトンは首を傾げた。
「んん、どうした?」
すると、ガーネットの肩を力強いぬくもりが包んだ。
軽々と引き寄せられ、見上げればそこにはコールがいて……
愛おしむような眼差しが、こちらを優しく見つめていた。
「そうです。ガーネット様は……っいえ、ガーネットは……俺の恋人です!」
コールの琥珀の瞳には、驚愕に染まったガーネットの顔がくっきりと映っていた。




