第56話 侍女セイラの幸せお嬢様計画
ガーネットの部屋にて。
湯上がりの温かな香りが室内に満ちる。
「ねえセイラ……実はね、コールがレオだったの」
髪を拭き終えたタオルをセイラに差し出しながら、ガーネットはさりげなく言葉を落とした。
ガーネットの唇から紡がれた言葉に、セイラは瞳を大きく瞬かせる。
「え、レオというのはお嬢様の……」
初恋の――
そう、言いかけて口元を引き結ぶ。
口にすれば、運命の糸がほつれてしまう予感がしたからだ。
近頃のお嬢様は、負傷したコールさんの看病に心を尽くしていた。
救ってくださったコールさんに恩義を感じているとはいえ、随分と積極的だと思っていましたが。
なるほど、コールさんが初恋のレオさんだったのですね。
セイラは、濡れたタオルをランドリーバスケットに入れた。
「ねえ、ママさま。ご本を読んで!」
数冊の絵本を両手に携え、ルビィが弾むような足取りで駆けてきた。
金木犀の香油が身体から香り、湯上がりの頬を薔薇色に染める。
「ルビィったら、もう寝る時間なのに元気ね。んー……じゃあ1冊だけよ」
「わーい、じゃあ『名探偵にゃんコフ』にするの!」
邪魔にならないよう扉へ下がりながら、セイラはゆるやかに頭を垂れた。
「それではガーネットお嬢様、ルビィお嬢様。おやすみなさいませ」
「ええ、おやすみなさいセイラ」
「おやすみなのセイラ!」
ガーネットとルビィの温かな笑顔に送り出され、セイラは部屋を後にした。
――長い廊下はランプの灯りがぽつりぽつりと浮かぶだけで、仄暗い。
カツン、カツン。
闇が沈む中、確かなのは自分の靴音だけ。
薄暗いの廊下は、その靴音さえ吸い込んでいくようだった。
だがしかし、その闇さえ跳ね返すほど、セイラの頭の中はガーネットとコールのことで一杯であった。
ガーネットお嬢様の初恋の人がレオさんで、そのレオさんがコールさんだった。
そして今、お嬢様はコールさんを献身的に看病なさっている。
それはもう、こちらの頬が熱くなるほどに……!
ルビィの愛らしい笑顔が瞼にちらつく。
ルビィお嬢様が未来からやって来て、すでに2週間近く過ぎた。
ガーネットお嬢様が身籠られるまで、約1か月強といったところかしら。
あら? あらあらあら。
これって、コールさんがルビィお嬢様のお父様の可能性が高い、のでは……?
レオンハルト様は、ガーネットお嬢様が絶交を言い渡したので除外。
もう1人の『レオ』の付く候補者といえばカイザー殿下だけど、そもそもベルフィオーレ領にいないし。
それとも、まだ出会っていない殿方?
私としては、コールさんがガーネットお嬢様のお相手なら万々歳である。
近頃のお二人の空気から察するに、コールさんはお嬢様を目で追っていたり、触れられれば頬を赤くするほど意識している様子。
けれど、お嬢様は看病という使命があるからか、そういった浮ついた気配はどこかに隠したように見受けられない。
うーん。
どうにか悟られないように、お嬢様にコールさんを意識させられないかしら。
2人の距離をもっと縮める方法……うぅーん。
やっぱり、お嬢様とコールさんを2人きりにするのが一番手っ取り早いですよねぇ。
恋の予感に心弾ませながら、私はちょっとした計画を思い描く。
そのために協力を要請したのは、ゲオルグさんだ。
ゲオルグさんに、お嬢様とコールさんの幼い頃の関係を説明したところ――
「ああ、コールから聞いている。俺もガーネットお嬢様の相手はコールだと思っていた」
と、あっさり肯定されてしまったのである。
驚いた私は、興味津々に詰め寄った。
「え、ゲオルグさんはコールさんの正体を知っていたんですか?」
「ガーネットお嬢様の護衛に決まった際に、コールが明かしてくれた。お嬢様には内緒ということでな。ただ、お嬢様の初恋がコールというのは初耳だが……」
普段よりも大目に話すゲオルグさんを横目に、私は小刻みに頷いて同意を示した。
「初恋の話は、ガーネットお嬢様のお召し替えや湯浴みの時にしていました。知っていたのなら、早く教えてくださいよ。ルビィお嬢様がいらっしゃる前から、『幸せお嬢様計画』が実行できましたのに」
冷静なゲオルグさんの片眉が微かに跳ねる。
「ん、 幸せが何だって? よくわからないが、今からでも協力させてもらおう。俺も、2人に幸せになってほしいからな。コールは自分がガルシアだからと消極的なんだ……」
ということでコールさんの清拭の時間には、私とルビィお嬢様、そしてゲオルグさんは席を外すのが常となった。
幸せお嬢様計画の時間は、ルビィお嬢様と夕暮れ色に染まる城内を冒険する。
ゲオルグさんも、護衛の任も兼ねて同行してくれる。
今日は城内で3番目に高い西の塔へ昇り、最上部から暮れゆく夕空を眺めた。
城も森林も山も、遠くの湖もすべてが夕焼け色に染まっていく。
「わあ~、とってもきれいなの!」
手すりに手を添え、ルビィお嬢様は歓びを弾ませるようにぴょんぴょんと飛び跳ねる。
その無邪気な跳ね方が危うくて、気づけばルビィお嬢様の手をしっかりと握っていた。
すると、ルビィお嬢様もほどなくして落ち着きを取り戻していく。
地平に沈む黄金色に輝く夕陽が美しい。
ルビィお嬢様は静かに手を合わせた。
手を合わせた姿は、心からの願いを託しているようだ。
ルビィお嬢様はこうして、時折祈りを捧げる時がある。
もしかしたら未来でも、ガーネットお嬢様と一緒に、顔の知らないお父様に祈りを捧げていたのかもしれない。
長いまつ毛がふるりと震える。
ルビィお嬢様の大きな瞳が開いた。
私はルビィお嬢様の耳元へ顔を寄せ、そっと問いかけた。
「何をお祈りしたんですか?」
「えっとね……ふふ。パパさまに会えますようにっておいのりしたの」
穢れを知らぬ無垢な笑顔が輝く。
胸を打たれ、私は小刻みに喉を震わせた。
「もうすぐ、きっと会えますよ…………というか、もう会っているかも」
「……え?」
その言葉の真意を掴めず、小動物のように首を傾げるルビィお嬢様だった。




