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断罪5秒前、傷モノ令嬢を救ったのは未来の娘(5才)でした。どうやらあと2か月でこの子を身籠るらしいのですが⁉  作者: 星七美月


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第54話 傷モノ令嬢、世話焼き令嬢と化す

 それから数日。

 ガーネットはコールの看病をひたむきに続けていた。



 黄昏(たそがれ)色の柔らかな光が窓辺から差し込む。

 コールの部屋を紫と橙に染める、そんな夕暮れ刻のこと――。


 湯気をくゆらせた温かなタオルを携え、ガーネットは謎めいた微笑みを刻んだ。

 その笑顔には、不思議と逆らえない何かがあった。


「さあコール、寝間着を脱ぎましょう」


 ああやっぱり、今日もきたか……。


 コールは戸惑ったように眉間を寄せた。


 その間にも、コールの懐(ふところ)に忍び寄る影が――!


 懐には、寝間着を脱がそうとボタンに指を掛けるガーネットの姿があった。

 毎日世話を続けたせいか、ガーネットの指先はすっかり熟(こな)れている。


 抱き寄せるほど近い温度に、コールは照れを押し隠すように身を強張(こわば)らせた。


 うぐぉっっ……

 姫様、だんだん躊躇(ためら)いがなくなってるんだけど。


 最近はこの時間になると、セイラさんはルビィを連れてどっかに行っちゃうし、ゲオルグ先輩も霧のようにいなくなる。


 だから、俺がどうにかしないといけないわけだが。


 わずかに気後れしながらも、コールはガーネットの手をやんわりと拒む。

 落ち着いた声音で、諭すように言葉を紡いでいく。


「いやいや、姫様……怪我はしてるけど、自分の身体を拭くことくらいはできる。タオルを渡してもらえば」


 コールが手を差し出す。

 その手を拒むように、ガーネットはタオルを引っ込めた。


「だめっ。自分じゃ背中だって拭けないし、傷回りの細かい部分だって難しいでしょ。私に任せて! だから、ね……脱ぎましょう?」


 自分の懐で発せられた爆弾まがいの言葉が、コールの胸奥で弾丸のように響く。


 悶(もだ)えるように眉間に人差し指と中指を添え、荒ぶる精神を火の粉を払うように鎮めていく。


 脱ぎましょうって……そんなこと姫様が言ったらダメだろ。

 こ、殺し文句すぎるっ。


 俺がレオンハルトだったら、姫様は無事じゃすまなかったと思うぞ。


 ……はあ、本当にどうしてこうなった?




 コールの負傷を境(さかい)に、ガーネットは過剰なほど世話を焼くようになった。


 食事の介助や身体の手入れまで。

 今もコールの寝間着を脱がそうと、肩に指先を滑らせる。


 だがもちろん、コールもされてばかりではない。

 袖口をつまんで抵抗し、静かな攻防を繰り広げる。


 本気で抵抗すれば、コールの力ならガーネットなど容易に振りほどけるだろう。


 だがガーネットの献身が自分のためと思うと悪い気はせず、自然と力を抜いてしまう。


 やがて寝間着は、半分以上脱がされた。


 背中にガーネットのあたたかな指先が触れる。

 突然触れた柔らかな感触に、コールは声を洩らす。


「ひゃんっ……」


 ほのかに艶(つや)を帯びた声に、ガーネットは目を丸くした。


「ひゃんって……へ、変な声ださないでっ」

「俺だって恥ずかしいんだから、そういう声も出るさ」


 シーツに視線を縫いとめながら、ささやきにも満たない声でぼそりと呟く。


「……特に姫様だし……っていうか、姫様最近変だぞ。怪我のことならもう充分助けてもらってるし、これくらいは自分でやるから!」


 振り払うような言葉を受け、ガーネットの首はゆっくりと項垂(うなだ)れた。

 悲しげに肩を落とし、ガーネットは小さく呟いた。


「だって……ちょっと悲しかったんだもの」

「……へ?」


 消えゆく蝋燭(ろうそく)の炎のようなしぼんだ声音に、コールの瞳が揺らめいた。


 ガーネットは、きゅっとコールの寝間着を握りしめる。

 小さく、掠れた声を絞り出した。


「どうして……どうしてレオだってこと、ずっと黙っていたの?」


 コールが護衛になってから3年。

 伝える機会ならいくらでもあったのに、どうして教えてくれなかったのだろう。


 思い出した当初は、コールが『レオ』だった驚きと喜びが勝(まさ)っていた。

 だがふとした瞬間、教えてくれなかった事実が淋しさとなって心を覆う。


 コールは、図星を突かれたように表情を曇らせる。


 ゆっくりと、コールは視線を上げた。

 コールの眉は困ったように曲がり、その唇から上擦った声が響く。


「だって、思い出しちゃうだろ……」

 静かに息を整え、さらに言葉を重ねていく。

「俺のことを思い出すとさ、その傷の記憶もどうしても蘇るから……」


「別に、そんなこと……っ」


 予想外のコールの返答に、ガーネットの声に動揺が混じる。


 コールは、ガーネットの左首元の淡い傷痕にそっと視線を落とした。


「その傷は、俺が背負うべき傷だった。あの時姫様を庇えていたら、きっと姫様は、いろいろと嫌な思いをしなかったはずなんだ」


「……あ」


 そっか、コールはずっとそのことを気にしていたのね。

 カイザー殿下や一部の貴族たちに、私が『傷モノ令嬢』と揶揄されていたこと。


 骨ばった指先をそっと伸ばし、触れるか触れないかの距離。

 コールは、ガーネットの傷痕を輪郭を描くようになぞる。


 琥珀の瞳は、深い後悔が浮かぶように翳(かげ)りを帯びている。


「姫様が怪我した時、俺が、俺だけが近くにいたのに……姫様の名前を呼ぶことしかできなかった。その傷を負わせたのは俺の一生の不覚だ」


 一生の不覚だなんて……

 この傷のことを、そんな風に気にしてくれていたのね。


 コールは、この傷を薔薇(ばら)の蕾みたいだって励ましてくれた。

 その時だって、本当は後悔の念を抱いていたかもしれない。


 正体を明かさなかったのは、私を守るため。

 レオは、コールは……ずっと私を守ってくれていたんだわ。


 傷痕を、優しくなぞる。


 ガーネットの胸には悲しみではなく、あたたかな光があふれていた。


 そっと顔を上げ、穏やかな表情のままコールを仰いだ。


「コールのせいじゃないわ。コールがいなかったら、私はあのまま独りで死んでいたかもしれないし……それに」


 ガーネットの顔には、悲しみなどひとつもない柔らかな笑みが咲いていた。


「今はこの傷のこと、それほど嫌いでもないのよ。この傷を見るとね、コールが必死にガーネットって呼んで励ましてくれた時を思い出して、つい嬉しくなるの」

「……え、そうなのか?」


 驚いたコールに、ガーネットは嬉しそうに頷き返す。

 そして、そっと上目遣いで見つめ、


「ねえ、昔みたいにガーネットって呼んで」


 瞬間、コールの琥珀の瞳に動揺が走った。


 じっと見つめてくるガーネットの真っ直ぐな視線に、心がそのまま吸い込まれそうになる。


 ごくりと、生唾を飲み込んだ。


 子供の頃は、ガーネットと簡単に呼んでいた。


 でも、今それをしてしまうと、俺と姫様の均衡が崩れてしまう。

 …………そんな気がした。


 本当に呼び捨ててしまってもいいのだろうか。

 ……俺、は。


「…………ガ」

 くちびるが震える。

「……っ…………いや、俺は護衛だし……やっぱり姫様で」


 くたりと肩を落とす。

 ガーネットは不満げに頬を膨らませた。


「別にいいのに」




 コールなら、昔みたいにガーネットって呼んでくれて構わないのに。

 別にガーネでもいいし……。

 

 そういえば、コールってレオなのよね。


 レオは私の初恋の人。

 ということは、コールが私の初恋の人……なの?


 んん、あれ? それってなんだか……。


「なあ姫様……」


 突然落ちてきたコールの声に、ガーネットは顔を上げる。


「ひゃっ……な、なあに?」


 ガーネットの視界に飛び込んだのは、乱れた寝間着を肩にかけ、腕を寄せて震えるコールの姿だった。


「いや、そろそろ寒くなってきたから、身体を拭いてほしいなぁって」

「あっ、ごめんなさい……つめたっ」


 再びタオルを湯に浸そうと、白磁のボウルに手を伸ばす。


 だがすでに湯は冷え切っていて――

 温もりの代わりに、ガーネットの声だけが響き渡るのだった。


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