第53話 絶望のレオンハルト
ガーネットがコールの部屋を後にした、この時――
実は、ベルフィオーレ城にはレオンハルトが謝罪のために訪れていた。
ベルフィオーレ城の玄関ホールにて。
不安を紛らわせるように、レオンハルトは丸絨毯の上を円を描くようにぐるぐると巡っていた。
落ち着かないらしく、足取りは果てしなく続く。
すると視線の先に、階段を下りるガーネットの姿が入った。
穏やかな微笑みをたたえ、背後には護衛のゲオルグが付き添っている。
普段と変わらぬ、柔らかな雰囲気をまとったガーネット。
レオンハルトの胸には、昨日の過ちは『赦される』という淡い確信が芽生えた。
弟のように思っている僕に、ガーネットは甘い。
――という、幼馴染みゆえの驕りがあったのかもしれない。
「ガーネっ、昨日のことを赦してほしい」
階段を下りるガーネットへ、レオンハルトは跳ねるように駆け寄った。
赦しを乞うようにコバルトブルーの瞳に涙を潤ませ、ガーネットの手を握ろうと手を伸ばす。
その時、
――バチンッ。
左頬に、火花を散らすような鋭い衝撃が走る。
迸った痛みに、レオンハルトは頬を押さえる。
戸惑う瞳には、右手を掲げたガーネットの姿が焼き付いた。
状況を飲み込めず、レオンハルトは呆然とその場に固まった。
ガーネットは、じんと痺れる右手首を優しくさすっている。
やがて、本心の読めない淡い微笑みを浮かべた。
「私ね……レオンに甘かったって、こうなってようやく気づいたの」
悲しげに眉を静かに寄せ、
「私の甘さのせいで、コールにあんな怪我を負わせてしまった。ルビィが迷子になったのだって、あなたの仕業なのでしょう? 私の甘さが原因で、みんなに迷惑をかけた……」
笑みを刻んだ口元がきつく引き結ばれる。
ふぅと息を吐くと、レオンハルトを射抜くように見据えた。
「だからねレオン。いいえ、レオンハルト・シュナイダー……私たち『絶交』しましょう」
控えていたゲオルグは思わず目を剥いた。
『絶交』などという子供騙しの言葉で、あの非道な軟禁を済ませていいのか?
下手をしたら、あの部屋に2か月近く囲われていたかもしれないのに……。
やはり、ガーネット様は優しすぎる。
だがゲオルグの懸念をよそに、レオンハルトの表情は絶望に沈む。
瞳を大きく見開き、頬がヒクヒクと痙攣した。
「え……ガーネ? 何を言って…………?」
信じられないとばかりに、レオンハルトは首を小刻みに横へ振っている。
だがそこへ、ガーネットは決別の言葉を重ねた。
「あなたなんて大嫌いってことよ。もう私の人生に関わらないで。今すぐ帰って……じゃあ、私はコールの看病で忙しいから」
ガーネットが紡ぐ言葉すべて――
レオンハルトを崖の底へ突き落とす言葉だった。
それからレオンハルトが幾度訪ねても、門前払い。
ある時は、馬車を走らせるガーネットを追いかけ、賑わう街中で頭を下げた。
「ガーネっ、このとおりだ。もう絶対にあんな酷いことは……っ」
しかしガーネットはレオンハルトの横を通り過ぎ、ただひと言――
「あなた……誰?」
と、冷ややかに言い放った。
ゲオルグ曰く、周囲の温度も下がるように冷たい眼差しだったそうだ。
「普段穏やかで優しい人の怒りほど、肝が凍えるほどに恐ろしい。コール、お前はガーネット様を絶対に怒らせるんじゃないぞ」
と、ゲオルグはしみじみと頷きながら言葉を落とす。
コールはというと、
「だから、どうして俺に言うんだよ……」
と、ぼそりと呟くのだった。
そしてもう1人。
静かに、いや、激しく怒りを燃やす女性がいた。
「やっぱり! あの男、いつかやると思ったのよ! 子供の頃から妙にガーネに執着していたもの」
ガーネットの軟禁を知った母エメルダは、王都にいる父ジャスパーに急ぎ筆を走らせた。
驚いたジャスパーは、すぐにシュナイダー公爵家へ抗議の意を申し入れる。
抗議を受け取ったシュナイダー公爵は、当初は「そんな馬鹿な」と笑い飛ばし、まともに取り合わなかった。
だが訪れた別荘で、レオンハルトの傷心した様子を目にし、その態度が180度転じる。
齢十八にして王城の筆頭書記官にまで上り詰めた自慢の我が息子が、生気を失った抜け殻へと変わり果てていた。
話を聞けば、ガーネット嬢に『絶交』と告げられた衝撃が、息子の心を完膚なきまでに砕いてしまったらしい。
「おお、レオンハルト。お前がそんなにあの娘に執心していたとは。すぐに彼女をお前の伴侶へ迎えるよう手を尽くさねばな」
優秀な跡継ぎを取り戻すべく、公爵はベルフィオーレ家に謝罪の文を綴った。
謝罪の言葉は確かに認めている。
だがそれは形ばかりで、何かが欠けていた。
それもそのはず、公爵の真の狙いは別にあった。
レオンハルトに再び謝罪の場を設けさせ、ガーネットとの縁を繋ぎ直すこと。
シュナイダー公爵家にとって、ベルフィオーレ侯爵家は格下。
こちらが下手に出れば事態は容易く収束し、ベルフィオーレ家も靡くだろう。
そう高を括っていた。
しかし、怒りに震えるベルフィオーレ家は取り付く島もない。
ベルフィオーレ領は、隣国との境界に位置する要衝だ。
かの領に不当な干渉……
いわゆる嫌がらせをするものなら、我が国と隣国の関係にも影響を禁じ得ない。
そのため不穏な策は弄さず、公爵自ら謝罪に訪れた。
だが、やはり門前払い。
寧ろガーネットへの気遣いを欠いたことで、火に油を注ぐように一層反感を買う始末。
ここでようやく、公爵は事の重大さを理解した。
そこで、再び筆を取り直す。
――3か月に一度の文通でも構わない。
息子との繋がりを絶たないでほしい。
このままでは、レオンハルトが精神を患ってしまう。
と、同情を誘う文句を添えた。
「この期に及んで同情を求めるなんてっ。そんな手紙破り捨ててしまいなさいな、ガーネット」
母エメルダの怒りは収まらない。
だがガーネットの頭の中には、絶望に染まったレオンハルトの顔が浮かんだ。
レオンハルトに絶交を言い渡した時、ガーネットの心もまた酷く傷ついていた。
あの時は、少し言い過ぎてしまったかもしれない。
レオンにあんな悲しい顔をさせるつもりなんてなかった。
レオンは私にとって、幼い頃からの友人だもの。
そう簡単に嫌いになれるはずがない。
私はただ、コールとルビィを巻き込んだことを反省してほしかっただけ……。
結局、幼馴染みの情もあってか。
筆頭書記官として王城で職務に励むのであれば、半年に一度なら文通してもいいと許可を出したのだった。
毎日綴った半年分の手紙が、木箱に入って届く気がしてならない……。




