第52話 紅い林檎はときめきの色?
――ガーネットが救出されてから、半日の刻が過ぎた。
怪我を負ったコールは、別荘地近くの保養所にゲオルグが担いで運び込んだ。
肩の傷は医師の手で無事に治療が施された。
10数針縫う深手ではあったが、病人ということを感じさせぬほど、コールは普段通りの明朗さを見せている。
現在はベルフィオーレ城の一室で、静かに療養しているのだが……
「コール、あーん」
柔らかなガーネットの声が、コールの耳元をそっと撫でた。
どういうわけか。
寝台に腰を下ろすコールの傍らには、ひと口サイズの林檎を差し出すガーネットの姿があった。
恋人のような空気に、コールの胸はざわめく。
戸惑いを隠したまま、まばたきを繰り返している。
差し出された林檎が視界を横切るたび、本能で林檎を追いかけてしまう。
それでも、コールは本能を覆い隠すように切実な声で訴える。
「ひ、姫様……俺が怪我したのは左肩だ。だから右手は使えるし、林檎も自分で食べられるから」
そうこぼしながらも、コールの頬はゆるりとほころんでいる。
コールは、林檎の刺さったフォークを受け取ろうと手を伸ばした。
だが、フォークは目にも止まらぬ速さで引き下げられる。
コールの指先に触れないくらいの距離で、ガーネットは手に持ったフォークを小気味よく左右に揺らした。
「だーめっ。コールは怪我しているでしょ。その傷だって、私のせいで負ったようなものだし。その怪我が完治するまで私が看病するわ……はい、あーん」
引っ込められたはずの林檎が、再びコールの口元へ近づく。
蜜薫る甘い匂いに鼻腔をくすぐられ、コールは思わず唾を呑み込んだ。
こ、これは看病なんだよな。
他に、他意はない。
姫様の感謝の気持ち、感謝の、気持ち……。
喉元を撫でるような「あーん」の言い草に、つい勘違いしそうになる。
甘い考えがよぎったが、すぐに振り払った。
……そうだよな。
せっかくの姫様の感謝の気持ちを無下にするのは、護衛の名が廃るってものだ!
覚悟を決めたコールは、林檎をはむっと口に運んだ。
噛むたびに、林檎の甘く爽やかな果汁が口内に広がり、不思議と胸の奥があたたかくなる。
もぐもぐと頬を動かすコールを見て、ガーネットの瞳も嬉しげにほどけていく。
すると、
「んふふー。コールったら赤ちゃんみたいなの」
ガーネットの隣に腰を下ろしたルビィは、目尻を揺らして笑いをこらえていた。
手にはウサギを模った林檎を持ち、リスのように片頬を膨らませている。
ルビィのほかにも、壁際ではセイラとゲオルグが満面の笑みを浮かべ、事の成り行きを静かに見守っていた。
あたたかな眼差しに包まれた雰囲気に、コールは視線で異を唱える。
いや、いやいやセイラさん、ゲオルグ先輩?
見てないで、助けてほしいんだけどっ……。
ベルフィオーレ家の令嬢がいち護衛にそんなことしなくていいって、ほんの少し止めてくれるだけでいいのに。
誰も彼も、絶対に面白がってるよなぁ……。
――コン、コンコンッ。
ノックの乾いた音が室内に響いた。
扉が音もなく開き、メイドが控えめな足取りで入ってきた。
足早にガーネットに駆け寄り、耳元へそっと口を寄せる。
すると、ガーネットの眉間が小さく寄り上がった。
「ちょっと急用ができたみたい。少し席を外すわね。林檎は……」
ガーネットはセイラに視線を送る。
だが、隣のルビィが弾むように手を挙げた。
「はいはーいっ、ルビィが食べさせてあげるの!」
「え? ふふ……じゃあ、ルビィにお願いしようかしら。フォークに刺してコールに食べさせてあげてね」
林檎の乗った皿をルビィに手渡した。
ルビィは気合を入れるように眉を吊り上げ、フォークを握る小さな手のひらをきつく握り締める。
「わかったのママさま。ルビィもコールのかんびょうがんばる」
「ええ、お願いね……じゃあ、行ってくるわ。ゲオルグ、ちょっとついて来て」
ゲオルグを背後に引き連れ、ガーネットは廊下へ歩みを進めた。
不穏漂うガーネットの背を、コールは追っていた。
扉がパタリと閉まると同時に首を傾げる。
姫様自らゲオルグ先輩を連れて行くって、一体どこに行くんだ?
まさか、危険な場所に向かうんじゃないだろうな……。
ガーネットが行方不明になった昨日の記憶もまだ生々しく、コールの胸にはじわりと不安が押し寄せる。
すると、
「コール、あーん!」
目の前には、ふるふると揺れる林檎。
椅子の上に立ったルビィが、腕を伸ばして林檎を差し伸べていた。
淡い青碧の瞳を輝かせ、口を開けて「あーんっ!」と何度も繰り返す。
その愛らしい姿に不安は薄らぎ、微笑みを咲かせるコールであった。
それから15分も経たないうちに、ガーネットは戻ってきた。
どこか澄み切った顔立ちで、足取りもふわりと舞う羽根のように軽やかだ。
出ていった時との変わりように、コールは好奇心を抑えきれず問いかける。
「姫様、何かすっきりしてるな。何かいいことでもあった?」
「……え、ふふふ。どうかしら?」
ガーネットの瞳は柔らかく三日月を描く。
その微笑みに上手くはぐらかされた気もしたが、コールはそれ以上言葉を重ねなかった。
微笑みの理由については、護衛を務めたゲオルグが語ってくれた。
驚きの顛末に、コールも目を丸くすることになるのだが……。




