第49話 ずっと君を探してた
レオンハルトが私室を出ると、長い廊下の奥にコールの姿が浮かび上がった。
コールもすぐにレオンハルトに気づいた。
狙いを定めた狩人のような鋭い視線を向け、ずんずんとこちらに向かってくる。
厚く柔らかな絨毯の上でも騒々しく響く靴音に、レオンハルトの瞼はひくりと苛立ちが跳ねる。
「コール・ガルシア。まだ何か用でも?」
だがレオンハルトの問いかけに、コールは反応を示さない。
それどころか問いかけを押し返すように、コールは声を張り上げた。
「ここにいるんだろ! 姫様っ‼ 聞こえていたら返事をしてくれっ!」
廊下は、水を打ったように静まり返る。
返ってきたのは、永遠にこぼれ落ちる砂時計のような長い沈黙だけだった……。
その頃、ガーネットは――
「……ん~んっ……っ、んー……!」
必死にコールの名を呼んでいた。
だが猿轡に声は吸い込まれ、言葉にならない。
くぐもった音だけが漏れていく。
コールがそこにいる!
どうにかして、私がここにいるって知らせたい。
声が出せなくても何か音を出して、コールの耳に届きさえすれば。
寝台の上で身をよじる。
だが手足を縛られたガーネットは、寝返りを打つことさえままならない。
それでも諦めず、ゆっくりと、ゆっくりと寝台の端へにじり寄っていく。
一方、廊下は静寂に包まれていた。
ホッと胸を撫で下ろしたのは、レオンハルトだった。
「ガーネがここにいるはずがないだろう? 何を世迷言を言っているんだ、コール・ガルシア?」
月が輝く月白色の髪を揺らし、天使のような悪魔の微笑みを刻む。
その時だった。
――ドンッ‼
何かが床に落ちたような鈍い音が、レオンハルトの背後から響いた。
背後にあるのは、レオンハルトの私室だけ……。
――ダンッ、ダンッ!
さらに床を足で叩いたようなこもった音が、続けざまに耳に届く。
思考が追いつくよりも早く、コールは扉へ向かって駆け出した。
「あっ、ちょっと待て!」
コールが横を通り過ぎていく。
コールの肩に、レオンハルトは手を伸ばす。
だが、鍛錬を積んだコールはその手をしなやかに躱し、風のように通り抜けていく。
例の部屋へ、コールは身を滑り込ませる。
レオンハルトを遮断するように、素早く扉の鍵を閉めた。
「あっ、おい! 開けろっ!」
――ダンダンダンダンッ!
激しいノックの音が室内を揺らす。
気にも留めず、コールの瞳はガーネットの姿を探して部屋を彷徨った。
「姫様っ!」
しかしそこは、数時間前に訪れた部屋の光景と何も変わらなかった。
ガーネットの姿はどこにも見当たらない。
……いないだと!?
だが、俺の声に応えるように音が聞こえたのは確かだ。
あれは姫様の助けを求める合図じゃないのか?
アーチ窓へ、静かに視線を投げた。
うん、間違いなくここは端の……ん、いや、よく見ると端ではない。
少し手前、なのか?
コールの胸に、奇妙な違和感がするりと迷い込んだ。
この窓の位置では、生け垣の端とはひと部屋分の距離があるな。
姫様の薔薇のコサージュは、生け垣の端で見つかった。
ここは、廊下の最奥の部屋で角部屋のはず……。
いや、もしかして違うのか?
まさか……もうひとつ、部屋が隠されている!?
すぐさまコールは周囲を見渡した。
何か怪しいものはないかと、チェストや本棚を動かし、隠された扉の在り処を必死に探る。
だが、それらしいものは見つからない。
「残されたのは、ここだけだが……」
琥珀の瞳が捉えたのは、金色の縁をまとった大きな姿見鏡。
壁にしっかりと収まっていて、動きそうには到底思えなかった。
そっと鏡の側面に手を伸ばす。
鏡は根を張ったように動かず、やはり微動だにしない。
それでも何か仕掛けがあるかもと、諦めずにあれこれと試してみる。
すると、左手の指先が側面の小さな窪みへと収まった。
何かボタンのようなものを押した感覚が、指先の腹に広がる。
ガコッという音とともに、姿見鏡は引き戸のように右へと滑っていった。
「な、何だよこれ……」
コールの視線の先には、短い廊下が続いていた。
その先には扉があり、微かな灯りが漏れている。
部屋と部屋を結ぶ分厚い壁が、奥の部屋の厳重さを物語っていた。
「……んーんっ! んんーっっ!」
扉越しに、探し求めたガーネットの声が届いた。
コールの琥珀の瞳が、震えるように大きく見開く。
「姫様っ! そこにいるのか!」
ドアノブに手を掛ける。
だが鍵がかかっているらしく、押しても引いても開かない。
床を叩く音とともに、ガーネットの声が返ってきた。
「んーん!? んー、んんんーんんっ」
「ふはっ、何言ってるか全然わかんないけど、無事でよかった。鍵がかかってるみたいだな。扉を破るからちょっと離れていろよ!」
廊下を後ずさり、十分な距離を取ったコールは渾身の力を込めて扉へ肩をぶつけた。
重い衝撃音が響く。
だが扉は硬く、微動だにしない。
コールは諦めず、2度、3度と体当たりを繰り返す。
そしてついに――
――バキンッ。
鍵が砕ける激しい音が走り、扉が勢いよく開いた。
青白い月光が窓から差し込む。
月光が導くように照らした先で――
猿轡をされ、手足を縛られたガーネットが床に横たわっていた。
拘束された姿に驚愕する暇もなく、コールはガーネットを抱き上げるように抱きしめた。
「姫様っ!」
「んーん! んーんんっ!」
ガーネットの自由を奪っていた猿轡を。
手足を縛っていた布地を。
懐から取り出したナイフで、細心の注意を払って断ち切った。
すぐさまガーネットは、コールの背中へ腕を回した。
安堵からの震えた声を響かせる。
「コール! コールぅ! 会いたかった、会いたかったの……ひっく」
ガーネットの青碧の瞳から、あふれる涙が次々とこぼれ落ちていく。
それは留まることを知らず、コールが何度拭っても尽きることのない泉のようにあふれ続けた。
涙を諦めたコールは肩の力を落とし、ガーネットを腕の中へと迎え入れる。
「姫様……俺も、姫様に会いたかった。姫様がいなくなって、生きた心地がしなかったんだ……無事で、本当によかった」
涙で濡れ、頬に張りついたガーネットの珊瑚色の髪を、コールは優しく撫で払った。
2人は視線を交わし合う。
微かに漏れる吐息とともに、強く抱きしめ合った。
互いの熱が、匂いが、呼吸がゆっくりと重なり合い、2人の境界が薄っすらと曖昧になる。
コールの胸元に顔を埋め、ガーネットはただ静かに身を委ねていた。
コールの胸の鼓動が伝わってくる。
トクトクと脈打って、私を見つけたことを心から歓ぶ声が聴こえる気がした。
嬉しい。
コールと触れ合っているとすごく安心して。
…………すごく、離れたくない。
――お互いの熱が溶け合っても傍にいたい。
コールもまた、胸の奥に同じ色の感情を描いていた。
最初は、ガーネットを発見した歓びのあまり抱き寄せた。
だが今は、ガーネットを離したくないという切実な想いが上回り、離れがたく抱きしめていた。
見た目からも細いのはわかってたけど、姫様って見た目以上に華奢なんだな。
俺が本気で抱きしめたら、簡単に折れてしまいそうだ。
もう少しだけ、もう少しだけこうしていたい。
俺の我が儘を姫様は許してくれるだろうか……。
その刹那――
「ガーネに抱きつくんじゃない。このケダモノがっっ!」
コールの背後で閃光が走る。
月光を浴びて青白く光った刃が、背後からコールを狙っていた。
憎しみに顔を歪ませたレオンハルトの激情が、今、振り下ろされる――!




