第48話 その運命は薔薇に導かれるままに
冷え込んだ夜風が、頬をひやりと撫でていく。
侍女のセイラに手を引かれ、ルビィはシュナイダー家の屋敷を後にしていた。
ガーネットの名を叫んでも、返事は夜の闇に呑まれたように返ってこなかった。
だが、ルビィはまだ納得しきれない。
口をへの字にして不服を描いている。
ママさまからお返事もらえなかった。
でもやっぱり……ママさまはこのおうちにいるって、そんな気がするの。
とくに――
振り返り、ルビィは屋敷の端の一角を鋭く捉えた。
3階の角部屋から下方の生け垣まで、視線を滑らせていく。
さっきまでわからなかったけど、あの辺りにママさまの気配を感じるの。
……あ!
もしかしたら、あの草の中でかくれんぼしてるのかも!
思い立ったルビィはまっしぐら。
セイラの手を振りほどき、屋敷に向かって疾風のごとく駆け出した。
「あっ、おいルビィ!」
真っ先に追ったのはコールだった。
全速力で追いかけるが、ルビィのすばしっこさは捕える隙を与えない。
そのままひらりと躱し、走り続ける。
ルビィが目指したのは、屋敷の端の椿の生け垣だった。
今の時季は、つややかな緑の葉が緑の壁を形作っている。
生け垣の葉を掻き分け、動じることなく顔を奥へと突っ込んだ。
「ママさまぁっ、どこなのぉぉ?」
コールもようやく追いついた。
コールの視界に入ったのは、生け垣に顔を埋め、足をばたつかせながら必死に探すルビィの小さな背中。
母を探す健気な姿に、コールの胸はきゅっと掴まれたように締めつけられる。
屈んだコールは、ルビィの背中にそっと手を添える。
寄り添うように静かに語りかけた。
「ルビィ、一度馬車まで戻ろう。もしかしたら姫様が戻っているかもしれないし、早めにエメルダ様に連絡を取って……」
「ちがうのコール! ママさまはこのあたりにいるの!」
生け垣の隙間から顔を引き戻し、ルビィは力強く力説する。
「ああ、でもこの辺りはゲオルグ先輩が探して見つからなかったは、ず……ん?」
そっと顔を上げた先――
コールの視界の端に『ある物』が入った。
生け垣の上面から拾い上げたのは、見覚えのある橙色の薔薇のコサージュ。
コールがガーネットに選んだ物に酷似していた。
これは……姫様の……?
いや、ルビィも同じ物を持っていたはずだ。
生け垣から顔を覗かせたルビィの襟元には、同じ色、同じデザインのコサージュが飾られている。
コールの大きな掌の中で、もうひとつのコサージュは存在を教えるように明るく輝いた。
じゃあ、これはやっぱり……姫様の……。
ん? だが、何かおかしい。
ゲオルグ先輩は、この場所も探したはずだ。
こんな簡単な見落としをする人じゃない。
それじゃあどうして、生け垣の上にあるんだ?
位置を確かめるように屋敷を見上げた。
先ほど屋敷を捜索したばかりのコールには、屋敷の内部構造が頭の中に鮮やかに思い浮かんだ。
待てよ。
あの3階の部屋は、確かレオンハルトの私室だった。
…………まさか!
低い姿勢から地を蹴るように立ち上がる。
そのまま韋駄天のごとく風を切り、屋敷のエントランスへ向かった。
――シュナイダー家のエントランス。
玄関口ではコール。
そしてシュナイダー家の家宰を筆頭に、使用人たちとの衝突が続いていた。
場は、混沌としていた。
コールが玄関口を突破しないように、使用人たちが肩を並べて立ちはだかる。
その整然とした列はまるで、人壁のようである。
「もう一度、捜索させてほしい」と、コールは申し出た。
だが、一縷の再考もなしに断られてしまった。
その判断は、コールの疑念を確信へと近づけていく。
大人たちの譲らぬ問答を、幼いルビィはコールの背に隠れて不安げに窺っている。
するとそこに、セイラとゲオルグも駆けつけた。
セイラはルビィの肩を抱き寄せ、危険から遠ざけるように後方へと退いた。
「通してくれ! 姫様のコサージュを見つけたんだ! 絶対にここに姫様がいるはずだ!」
コールの手には、見覚えのあるコサージュが握りしめられていた。
それを確認したゲオルグも、加勢するように冷静に声を落とす。
「これは間違いなく、ガーネット様の持ち物です。もう一度、屋敷の中を確認させてはもらえないでしょうか?」
眼鏡の家宰は困ったように眉をひそめ、感情の伴わない声色で頭を下げる。
「……申し訳ございませんが、私どもが勝手に判断してお通しするわけにはいきません。まずレオンハルト様に話を通してから……」
いくら真摯に訴えても、暖簾に腕を押したような対応が繰り返される。
苛立ちが増したコールは、牙を剥きだすように声を荒げた。
「アイツがっ、レオンハルトが姫様を拐かしたんだろ! 侯爵令嬢を誘拐してるんだぞ……アンタたちは主人の重罪を黙って見過ごすつもりか!?」
その言葉に、1人のメイドがぴくりと肩を震わせた。
そのメイドは、2階の踊り場でガーネットとすれ違ったメイドだった。
彼女は、レオンハルトの私室の奥に極秘で造られた部屋を、掃除しておくようにと言い遣ったのである。
『レオンハルト様は、ベルフィオーレ家のガーネット様に昔から懸想しておられる』
『しかし、ガーネット様はお気づきにならない』
『レオンハルト様がお部屋を改装なさったでしょ? あの鏡で隠したお部屋。あそこに、女性用の家具やドレスを運び込んでいるみたいなの……それって、まさかとは思うけど』
他のメイドたちの黒い噂話も相まって、心の片隅で淡く予感していた。
こんなこと、許されるはずがないわ。
まして私は、ガーネット様が3階に上がっていくお姿を目撃している。
メイドは唇を噛みしめる。
そして、コールの侵入を阻む壁役を降りるように、静かに一歩身を引いた。
その隙を見逃さず、コールは屋敷の中へと滑り込んだ。
「姫様っ! ひめさまぁぁぁ!」
喉の奥から絞り上げたようなコールの叫びが、屋敷全体に反響した。
――ガーネットが軟禁された部屋にて。
微かに届いたコールの呼び声に、ガーネットの瞳が星のように瞬いた。
涙の雨は止み、助けを求める一心で声を宙に放つ。
「……ここよっ、コー……んぐっ!」
しかしそれは叶わない。
ガーネットの声は、レオンハルトの掌に塞がれてしまった。
身をよじって抵抗を試みる。
だがレオンハルトの力は強く、余計に呼吸が苦しくなるだけ。
溜め息をこぼしたレオンハルトは、歪んだ唇を吊り上げて悪態を吐く。
「まったく、またアイツか。あの声を聴くだけで虫唾が走る。さてどうするか……」
まずはガーネを眠らせて……。
いや、今から香を焚いても、効果が出るまでに時間がかかる。
その間に、あの男がここへたどり着くかもしれない。
はあ、仕方がない。
「ガーネ、本当はこんなことはしたくないんだけど、ごめんね」
ナイトテーブルの上に置かれた布地を、手繰り寄せた。
柔らかい布地を、レオンハルトは淡々とガーネットの口元に噛ませていく。
抵抗を封じるように、きつく結び止める。
「……んっ、んーっ……んんっ」
猿轡を施され、ガーネットの声はこもったように響かない。
さらにそれだけでは終わらない。
暴れるガーネットを寝台へと押し伏せ、手首と足首を丁寧に縛り上げた。
「これは最後の手段だったんだ。本当にごめんガーネ」
「……ん! ん~んっ‼」
こもった唸り声が響く。
口元が隠れていても、ガーネットの憤怒はひしひしと伝わってきた。
そんな怒れる額に、レオンハルトは柔らかなくちづけを落とした。
「すぐに戻ってくるから、少しの間いい子にしていてね」
――パタンッ。
扉を閉めたレオンハルトは、ふぅと緊張の息をこぼす。
隠し扉である鏡を、気取られぬように入念に閉じた。
すると、寝台の横でギラリと光る物が。
それは、鍔にシュナイダー家の鷲の家紋が刻まれた護身用の片手剣。
レオンハルトはそっと、その剣を拾い上げた。




