第47話 歪んだ恋心
薄っすらと――
水面に波紋を揺らすように、誰かの声が聞こえる。
「…………マ……さま……ぁ……」
この声…………ルビィ?
探していた。
ずっと聞きたかった……ルビィの声。
そうだわ。
早く、ルビィを探しに行かなくちゃ‼
まつ毛が微かに震える。
青碧の瞳が、夢の中からゆっくりと浮かび上がった。
頭はぼんやりとして、霧がかったようにうまく思考が働かない。
浅い呼吸を整えるように深呼吸し、ガーネットは周囲へ視線を走らせた。
室内は暗闇に包まれていた。
アーチ窓から差し込む月明かりだけが、頼りである。
アーチ窓の特徴的なデザインから、ここがレオンハルトの部屋であることを思い出した。
確か、ルビィが見つかったとレオンに言われて、この部屋に入ったんだわ。
でもそれは嘘で……
私は、この部屋に閉じ込められた。
すると、
「……ひめ……ま……ぁぁ……」
「ガーネ…………ぁ……」
「…………トさ……ぁ……」
「……マ……まぁ…………」
静寂を揺らすように、窓の外から自分の名を呼ぶ声が忍び込んだ。
ルビィだけじゃない。
コールにセイラに、寡黙なゲオルグの声まで!
もしかして……みんなで私を探しているの!?
鉛のように重い身体に鞭を打ち、ガーネットは飛び起きるように身を起こした。
すぐさまアーチ窓へ近寄り、呼びかけに応えようと窓に手を掛ける。
だがアーチ部分は飾りで、力を込めてもびくともしない。
何度目かの試行の末、下部の細い窓がようやくわずかに動いた。
残念なことに、5センチほどしか開かない構造のようである。
そのわずかな隙間に顔を寄せ、ガーネットは大きく息を吸い込む。
「ここよ、ルビィ! コール! 助けてっ、セイラ、ゲオルグ‼ 気づいてぇぇっ」
しかしガーネットが助けを求めた頃には、皆の姿はもう、豆粒ほどに小さく、遥か彼方へ遠ざかっていた。
声は、夜の闇に溶けていくだけ……。
ああ、お願い行かないで。気づいてっ!
絶望が胸に落ち、糸が切れた人形のようにくたりと俯く。
すると、首元のコサージュに目が留まった。
コールが選んでくれたコサージュ……。
照れた様子で鼻筋を掻くコールの顔がそっと蘇る。
橙色のコサージュが、絶望にひと筋の光を差し込む。
まだ諦めちゃダメよ、ガーネット!
橙色の薔薇のコサージュを手に取り、窓の隙間へと慎重に差し入れる。
コサージュならば、その細い隙間も難なく通り抜けた。
窓の隙間から伸ばした手首を必死に振り動かし、コサージュを大きく振って肺の奥から声を張り上げる。
「私はここよ! みんなっ、気づいて!」
だがそこに、背後から重い声が響く。
「……何してるの、ガーネ」
「…………っ、レオン!」
コールたちを送り出したレオンハルトが、下階から戻ってきたらしい。
驚いたガーネットは手元を乱し、指先で摘まんでいたコサージュを外へと落としてしまった。
ひらりひらりと、橙色の花びらが生け垣の上へと舞い落ちる。
背後から伸びたレオンハルトの腕が、ガーネットの腰元に鎖のように絡みつく。
その強い力から、絶対に逃がさないという執拗な意志が感じられた。
「……ひっ、やだっ……やめてぇ!」
ガーネットは必死で抵抗した。
だがガーネットの力では男のレオンハルトの腕力には叶わず、無情にも窓から引き剥がされた。
そして、運命を絡めとられるように、腕の中へと引き寄せられる。
首元の傷痕に、レオンハルトの冷たいくちづけが、ひやりと落ちた。
どこか悲痛な叫びを言葉の端々に刻みながら、レオンハルトは嘆願するように声を紡ぐ。
「お願いだガーネ。2か月間だけ我慢して。君があの子供を身籠らないと確認したら、すぐに返してあげるから」
すべてを拒絶するように、ガーネットは激しく首を振った。
息を荒くしたまま、レオンハルトを鋭く睨みつける。
「嫌よっ、私はここを出るわ! それにもし2か月経ってこの部屋を出たら、私はあなたに軟禁されたって訴えるんだからっ!」
脅しにも似た、強気なガーネットの言葉。
だがレオンハルトは驚くどころか、愉悦を噛み締めるように唇の端を吊り上げた。
「それを公表するとどうなるか、わかってる?」
「……え?」
ガーネットの耳朶に唇を寄せ、チョコレートがゆったりととろけるような艶を含んだ声で囁いた。
「2か月間、僕の部屋で過ごしたってさ、世間は僕たちの関係をどう思うかな」
その意味を理解できないほど、幼いガーネットではない。
ガーネットの顔色は月明かりでもわかるほど、青白く染まっていく。
途端に肩が上下し、恐怖から手足が冷たく震え始める。
「あなたまさか……最初からそのつもりで……っっ!?」
背後から伸びた指先がガーネットの指をなぞり、這うように指の間へ絡みついた。
熱を帯びた甘い吐息を吐きながら、幼い頃からの不満を漏らすように歪んだ恋心を連ねていく。
「ガーネが僕の求婚を受け入れなかったのが悪いんだよ。あの時頷いてくれさえすれば、この部屋は使わなかったのに。ガーネは僕のことを弟みたいって、異性として見てくれなかった……」
不意に、声が柔らかくなる。
「でもさ、外堀から埋めて逃げられなくすれば……君はもう、僕の妻になるしかなくなるんだ」
「…………っ!」
う、嘘でしょ。
レオンがそんな悍ましい考えを……っ!?
胸の奥がざわりと軋む。
世界がぐらりと揺れ、目の前が真っ白に染まっていく。
幼い頃から信じていた幼馴染みへの信頼が、崩れ去る。
気づけば、涙が頬を伝っていた。
窓の外は、すでに漆黒の闇に包まれている――




