第46話 鏡の奥の眠り姫
「それで、うちの屋敷の中も捜索したいと?」
不服をにじませた声が、レオンハルトの喉からこぼれた。
シュナイダー家の屋敷のエントランスにて。
レオンハルトは、屋敷を訪ねたコールたちと静かに向かい合っていた。
平静を装った仮面の下、こめかみのひきつりが苛立つように時折脈打つ。
時折、レオンハルトの視線が背後へと流れる。
背後を気にする微かな仕草に、コールは只ならぬ気配を感じ取った。
レオンハルトは何かを知った上で隠している――!
そう勘が囁くも、コールは感情をひた隠し、落ち着いた声音で事情を説明した。
「もしかしたら、ガーネット様はルビィ様を探しに屋敷に入られたかもしれません。何かしらの事故で閉じ込められて、外に出る術がないのかも……」
そんな訳があるものか。
――と、レオンハルトは心底嫌そうに眉間に皴を刻んだ。
ようやくガーネに会いに行けると思ったのに……っ。
星が煌めく夜空を仰ぎ、大袈裟に溜め息を吐く。
不満を浮かべたまま、レオンハルトは渋々と身を引いた。
「はーぁ……ご勝手にどうぞ」
了承を皮切りに、コール、ゲオルグ、そしてセイラとルビィの三手に別れて探し始めた。
ゲオルグは外を中心に、エントランスや厩舎、倉庫を捜索した。
その傍ら、すれ違った使用人たちは静かに頭を垂れたまま、目を合わさず通り過ぎていく。
話しかけてくれるなという気配に、ゲオルグは訝しげに眉を寄せた。
セイラとルビィは、1階の応接室や図書室、配膳室などから必死に痕跡を探す。
だが、ガーネットへ繋がる手がかりは何ひとつ見当たらない。
厨房に差しかかると、焼き立ての香ばしい匂いがセイラの鼻をくすぐった。
ちらりと覗いた厨房では、黄金色に焼けたキッシュがオーブンから引き上げられている。
キッシュだなんて、ガーネットお嬢様の大好物のお料理だわ。
……偶然かしら?
一方のコールは、上階の3階を起点に順々に部屋を捜索していた。
ひとつずつ確認し、やがて、廊下の端部屋へたどり着く。
重厚感のある扉の佇まいだけで、そこが貴族の居室だとひと目で理解できる。
コールの背後では、レオンハルトが影のように様子を窺っていた。
まるで監視するように、腕を組んでこちらを睨み据えている。
そっと振り返ったコールは、落ち着いた声を紡ぐ。
「シュナイダー卿、こちらの部屋は?」
「……僕の部屋だ。特に何もない普通の、寝室さ」
「一応、確認してもよろしいですか?」
返事はせず、レオンハルトは扉を開ける。
室内は、群青色の壁紙の落ち着いた装いだった。
チェストや読書机に、寝台など、すべて紫檀の木材で設え、格式高い雰囲気を醸し出している。
室内を見回したコールは、静かに息をこぼした。
確かに、貴族らしい普通の部屋だな。
ただ公爵令息の部屋にしては少し……いや随分と狭いか。
俺が今、ベルフィオーレ城で使わせてもらっている部屋の半分くらいしかない。
アーチ窓から外を見下ろすと、闇夜のエントランスが広がっていた。
篝火の灯る中、ゲオルグが植え込みの下を覗いているのが確認できる。
こちらがエントランス側、ということは屋敷の正面だな……ん?
背後から妙な気配を感じて振り返る。
大きな姿見鏡が目に入った。
紫檀で彩られた家具の中、浮いた金色の縁が不気味に輝く。
コールの視線が、縫いとめられたように動かなくなる。
鏡には、心配で表情を曇らせたコールの顔が映っていた。
冷静になったつもりだったが、何だこの不安そうな顔は。
全然隠せてないじゃないか。
姫様、一体どこにいるんだ?
それもこれも、姫様を一人にした俺の責任だ。
絶対に護るとあの日誓ったのに…………すまない姫様。
――タン、タン、タン。
コールの思考を妨げるように、乾いた音が空気を震わせた。
レオンハルトが、組んだ腕に苛立った指先を打ち付けている。
「鏡を見ていないで、早く探したらどうかな?」
冷たい言葉とともに、コールを鋭く睨みつける。
しかし実際には、その奥の姿見鏡を案じていた。
その鏡の奥の部屋で、ガーネが眠っている。
何故にコール・ガルシアは鏡の前で立ち止まった?
もし今、ガーネが目を覚ましたらと思うと気が気じゃない。
一刻も早く、この部屋から追い出さなければ……!
レオンハルトの焦燥に気づかぬまま、コールは鏡で表情を取り繕った。
「美しい鏡でしたので、つい見惚れてしまいました。すみませんシュナイダー卿。では、次の部屋に参りましょう」
コールが部屋から離れると、レオンハルトはようやく組んだ腕をほどいた。
手のひらに掻いた冷や汗を拭い、安堵の息を洩らす。
「ふぅ……どうにか助かった」
人知れず、胸を撫で下ろしたレオンハルトであった。
結局、ガーネットの行方を掴むことは叶わず……。
夕食の時刻を口実に、コールたちは屋敷の外へと追い払われた。
玄関口ではレオンハルトが道を塞ぎ、『早く帰ってくれ』と促すように満面の微笑みで圧をかけている。
後ろ髪を引かれるように、コールたちは重い足取りで屋敷を後にした。
だが、不意にルビィが立ち止まった。
小さな口元をきつく引き結んだルビィは、感情を抑えるように拳を握る。
ものすごく、ものすっごくママさまがこのお家の中にいそうな気がするの。
でも、どこにいるのかまではわからない。
もう帰ってって言われちゃったし……。
母と娘の絆か。
あるいはベルフィオーレ家に代々受け継がれる直感か。
ルビィは、ママさまの気配を感じ取ったようである。
何か手段を探すように、ルビィはうーんと唸り声を上げる。
やがて、淡い青碧の瞳が一等星のように瞬いた。
思い立ったように、ルビィは屋敷側へとくるりと身を返した。
足を大きく広げて腰を落とし、足指でしっかりと地面を掴む。
立派な仁王立ちをしたルビィは、胸を大きく広げて息を満たし、そして――
「ママさまぁぁぁー、ママさまあぁぁぁー、どこにいるのおぉぉぉぉっ!」
鼓膜がびりりと震えるほどの声が、夜空を揺らした。
鼓膜を突き破るほどの声量に、コールの琥珀の瞳は吸い寄せられた。
だがすぐにその意図を理解し、深く頷いた。
「俺たちも、姫様に呼びかけよう!」
ルビィの呼びかけに続くように、コールたちも一斉に声を張り上げた。
「ひめさまあぁぁぁ!」
「ガーネットお嬢様―っ」
「ガーネット様あぁぁー」
「ママさまぁぁぁぁ‼」
夜の帳が下りた別荘地に、ガーネットを呼ぶ声が幾重にも山彦のように反響する。
玄関扉に肩をもたれ、レオンハルトは呆れたように笑みをこぼした。
「何というか……獣の雄叫びのように野蛮だな。さて、と……僕はそろそろガーネに会いに行こうかな」
――パタンッ。
大扉は無情にも、乾いた音を立てて冷たく閉じた。
小気味よくステップを刻みつつ軽快に、レオンハルトは階段を上がっていく。
レオンハルトが目指す先――
寝台の上では、ガーネットの瞼がルビィたちの声に応えるようにぴくりと震えた。




