第42話 迷子は迷子と気づかない
――数分前。
一体、その小さな身体のどこに収まっていくのか。
苺のアイスクリームをぺろりと平らげ、ルビィは名残惜しそうに空になった皿へと視線を落とした。
「もうアイスクリームなくなっちゃったの」
ちらと、湖を揺蕩うボートに視線を送る。
たちまち、肩がしょんぼりと沈んだ。
「ママさまはまだボートの上だし……やっぱり、ママさまについていけばよかったかも」
――パチッ。
突然、背後から手を打ち鳴らしたような、軽快な音が響いた。
ルビィはすぐさま後ろを振り返る。
音の正体を探して目を凝らすと、森の小径の中央に何か小さな白い影が横たわっていた。
その影の正体に気づいたルビィは瞳を輝かせ、軽やかに立ち上がった。
足音ひとつ立てず、ルビィはピクニックシートから離れていく。
見守り役のセイラはというと――
シュナイダー家の使用人に声をかけられ、ルビィの不在に気づく気配はない。
小径で拾ったある物を見つめ、ルビィは嬉しそうに頬をゆるませた。
「うふふ。これでママさまとあそべるの」
ふと顔を上げ、キョロキョロと周囲を見回す。
するとその先にも、さらにその奥にも……
まるでルビィを誘い込むように、それは点々と並んでいた。
満面の笑みを浮かべたルビィは、追いかけるように拾い集めていく。
スカートの裾を小さくたわませ、そっと包んで慎重に歩き出した。
夢中で拾っていくうちに湖周辺から離れ、深い森の奥へと足を踏み入れていることにも気づかずに……。
∻❖∻
一方、ガーネットたちはルビィの姿を血眼になって探し続けていた。
ルビィの名を叫んでも、森は鳥のさえずりか風のさざめきを返すだけ。
広大な湖周辺を。
シロツメクサの咲き誇る花畑を。
別荘が立ち並ぶ区域を。
半ば駆け回るように探すが、ルビィの行方は掴めない。
あるいは深い森の奥か……はたまた……。
不安がよぎりつつも、セイラも、ゲオルグも、コールも、不安を押し殺してルビィの行方を必死に探し続けた。
置かれた状況を整理するため、ガーネットたちは再びピクニックシートへと集結した。
考え得る限りの場所を探し終え、ガーネットの不安は頂点へと達していた。
その表情は蒼白に染まり、今にも泣き崩れそうである。
肩を震わせ、瞳に涙を溜めたガーネットは弱弱しく言葉を落とした。
「わた、しが……ボートに乗ってルビィから目を離したから……まさか、誘拐じゃ!? どうしよう、今頃怖い人に捕まって泣いているかもっ」
後悔が胸を締めつける。
不安が、波のように押し寄せて息が上手く吸えない。
唇は冷たく染まり、ガーネットの華奢な肩は震えが止まらなかった。
――不意に、背後から優しい温もりが包んだ。
コールの大きな手が、ガーネットを励ますように優しく寄り添っていた。
琥珀の瞳はガーネットの姿を優しく捉えていて。
その澄んだ声は、ガーネットの不安を払うように力強く響く。
「しっかりしろ姫様。そんなに時間は経ってないんだ。あのお転婆なら、どこかで遊んでいる可能性だってあるだろ」
普段の快活さは影を潜め、代わりにコールの真剣な声が耳朶を撫でた。
すると不思議なことに、ガーネットの肩を震わせていた不安が徐々に和らぎ始める。
コールの声を聴くと、きっと大丈夫だと不思議とそう思えた。
目尻に溜まった涙を指先で拭い、ガーネットは鼻を啜りながら力強く微笑む。
「……ええ、そうね。元気なルビィなら、どこかで遊んでいるだけかもしれない」
涙の跡は残っている。
だが目元をほころばせ、精一杯の微笑みを向けた。
そんなガーネットの肩を、コールは勇気づけるようにそっと叩く。
「俺とゲオルグ先輩は、もう少し遠くの森を探してくる。姫様とセイラさんは、もう一度湖周辺を当たってくれ」
「わかったわ」
駆け足で森の方角へ向かうコールとゲオルグの背を、ガーネットたちは見送った。
身を引き締めるように、きゅっと唇を噛む。
ガーネットは、セイラへと向き直った。
「私は湖の西側を探すわ。セイラは東側をお願い」
「任せてください…………あの、お嬢様。私が目を離したばかりに、ルビィお嬢様を危険に晒してしまい、面目次第もございませんっっ」
地に着くのではないかというほど、セイラは深々と頭を垂れた。
セイラの肩は、深い罪悪感がにじむほど小刻みに震えていた。
その後悔を、ガーネットは痛いほど感じ取った。
そして、静かに首を振る。
「いいえ、セイラだけの責任ではないわ。私もルビィと離れてボートに乗ったのだし……もしかしたら、ルビィは私を探しに出かけたのかもしれない。さあ、私たちも湖の近くを探しましょう」
セイラと別れたガーネットは、湖の西側周辺を手当たり次第に探し始めた。
桟橋の下や小屋の中も、隅々まで確かめる。
だが、ルビィに繋がるものは何ひとつ見当たらない。
周囲に目を配りながら、木漏れ日が降り注ぐ小径をガーネットは歩いていた。
シロツメクサの花が、風に弄ばれるようにくるくると小径を転がっている。
そのシロツメクサを捉えたガーネットの瞳の奥には、ルビィの明るい笑顔が浮かんでいた。
ルビィが花畑と口にした時、一緒にシロツメクサの花畑に行けばよかった。
ルビィがいなくなってしまうなんて……。
胸を引き裂かれるような気持ちって、こういうものなのね。
あの子とは、まだ出会って10日足らず。
なのに、もうこんなにも私の心を占めている。
ルビィ、ママさまは絶対にあなたのことを探し出すから。
待っていて……!
その時、
小径の前方から、誰かの走る靴の音が届いた。
ぼんやりと浮かんでいた輪郭が、徐々に鮮明になる。
誰かがこちらへ向けて、大きく手を振っているのだと気づいた。
どうやら、レオンハルトが慌てた様子で駆けて来たらしい。
「ガーネ! あの子が見つかったよ!」
そのひと言に、ガーネットの心はフッと軽くなる。
安堵が喉元まで込み上げたのに、まだ足の震えは消えぬまま。
ルビィ!
……レオンの近くには見当たらないけど、どこにいるの?
ああ、そんなことより早くっ、早くあの子の無事を確かめたい。
そして抱きしめて、1人にしてごめんなさいって謝りたい。
ガーネットは、レオンハルトのもとへ足早に駆け出した。
レオンハルトの優しげな表情の奥に、濁った黒い思惑が宿っているとは気づかずに……。




