第40話 ママさまか、それともアイスクリームか
風がざわめく。
広大な湖は、太陽の輝きを受けて煌煌と揺らめく。
湖から吹き抜ける涼風が、ガーネットの頬を柔らかく撫でていった。
――別荘区域の中央に広がる湖畔にて。
ガーネットたちはピクニックシートを広げ、和やかな笑い声とともに団欒を楽しんでいた。
シートの上にはサンドイッチやフルーツの盛り合わせ、ひと口サイズのタルト、食欲をそそる甘いレモネードが彩りよく並ぶ。
その中でも、ガーネットの手作りのシフォンケーキがひと際存在を放っていた。
シフォンケーキの切り分けを、ルビィとレオンハルトは競い合うように口に運んでいた。
「これはルビィのケーキなの!」
「いいや、それは僕が目を付けていたケーキのカットだよ!」
火花を散らすように奪い合う2人。
その争奪戦に早く終止符を打とうと、ガーネットは思案を巡らせる。
早々にケーキの数を減らすべく、護衛にあたるコールとゲオルグにもケーキを取り分けていく。
小競り合いの傍ら……
コールはシフォンケーキの余韻に浸りながら、微笑みを灯した。
「うん、すごく好きな味だ。姫様の優しさがこもっているからか、すごく甘く感じて、不思議と嬉しい気持ちになる……なぁんて、カッコつけすぎか」
「ふふふ、ありがとうコール」
照れをにじませながらも、コールは褒めてくれる。
ガーネットも、つい口元がほどけていく。
コールに褒められると肩の力が抜けて、胸の奥がそっとあたたかくなる。
不思議と懐かしい気持ちになるのは、どうしてかしら?
湖面に煌めく光の粒のようなときめきの中――
のんびりとした、穏やかな時間が湖畔に流れていた。
薔薇色の頬を両手で包み、ルビィは唇をほころばせた。
「んー、冷たくって、甘くって、お口の中でなくなっちゃうの!」
ルビィが興奮気味に語るもの。
――それはアイスクリームだった。
ほっぺがとろけるほどの甘やかな美味しさに、初めてアイスクリームを味わったルビィはもうすっかりメロメロである。
ルビィが喜ぶだろうと、レオンハルトがシュナイダー家のシェフに用意させたらしい。
その予感は見事に的中し、瞳をとろかしたルビィはすっかり骨抜きである。
満足げに、ルビィは立ち上がった。
足を弾ませながらガーネットのもとへ駆け寄り、肩にそっと手を添える。
「ママさま、一緒にお花畑にいくの」
だがそこに、レオンハルトの手が遮るように立ち塞がる。
そして、もう1つの案が紡がれた。
「花畑よりもさ。一緒にボートに乗ろうよ、ガーネ」
その提案に、ガーネットの瞳は驚愕の色をはためかせた。
「え、レオンって湖は苦手でしょ。昔は湖が怖いって、水辺にも絶対に近づかなかったのに」
「ちょっと、ガーネは僕をいくつだと思ってるの? もう僕だって18なんだ。ボートだって漕げるし。ね、乗ろうよ、僕が湖上を案内してあげる」
口をむっと引き結び、レオンハルトは拗ねた少年のように不服を訴える。
すると、ガーネットの肩に添えていたルビィの指先に力が込められた。
存在を知らせるように、ガーネットの肩を小さく揺さぶる。
「ママさま。ルビィも一緒に乗る」
「もちろんよ、ルビィも一緒に乗りましょうね」
「残念だけど、ボートは2人乗りだから3人は乗れないんだ」
残念と言葉にしつつ、レオンハルトの瞳の奥は微動だにしない。
思案を装ったのち、ちらりとルビィへ視線を滑らせた。
「…………そうだな。ガーネといる権利を僕に譲ってくれるのなら、特製のアイスクリームをプレゼントしようか。なんと、三種の苺のアイスクリームが三段になった特製だ……ふふ、どうする?」
「……さ、三段のアイス、くりーむ……!」
ルビィの淡い青碧の瞳がキラリと輝き、生唾をごくりと呑む。
ルビィの頭の中には、『ママさま』と『三段の苺のアイスクリーム』が天秤の上でぐらぐらと揺れていた。
ママさまと一緒にいたいけど、いちごのアイスクリーム……もっと食べたいの。
三段のアイスクリームってどんなのなの?
すごくおいしそうっ。
好奇心と想像が膨らむたび、心の天秤はぐらりぐらりと、左右に揺れては傾きを変えていった。
「うーん、うーん……」
悩んだ末、ルビィが下した答えは――
「わ、わかったの。アイスクリーム食べて待ってる!」
「あはっ、いい子だね」
レオンハルトは、目元を細めて満面の笑みを刻んだ。
そんなレオンハルトの微笑みとは裏腹に、ガーネットは母親が案じるように眉根を寄せた。
「本当にいいのルビィ。アイスクリームを食べてからボートに乗っても」
レオンハルトはシェフへと静かに目配せを送る。
「ガーネったら、せっかくああ言っているのだし、この子の自主性を尊重してあげようよ……ほら、お待ちかねの品も届いたようだしね」
パチンッ。
レオンハルトの指が軽やかに鳴った。
その指の響きに応えるように、シェフがアイスクリームを載せた皿を儀式のような仰々しい所作で運んできた。
皿の中央には、苺の果肉をふんだんに使用した三色のアイスクリームが三段に重なり、堂々と鎮座している。
さらに、金粉が星屑のように煌めき、飴細工の鳥籠がアイスクリームを黄金色に包み込んでいた。
ルビィの瞳は、宝物を見つけたように輝いた。
すぐさまシェフのもとへと小走りで駆け寄り、わくわくと足を弾ませる。
その純粋無垢な背中に、レオンハルトは思わず笑みを漏らした。
「ふふ、お気に召したようでよかった」
レオンハルトの笑顔の裏に隠した思惑にガーネットがたどり着くのは、もう少し先の話だった……




