第4話 傷モノ令嬢、未来の伴侶の名を知る
「どうしてお母さまは、あんなにお顔が真っ赤っかなの?」
目と鼻の先で百面相するうら若き母を見て、娘ルビィは首を傾げた。
すると穏やかな微笑みを浮かべた侍女セイラが、まるで手を取るように柔らかく言葉を添える。
「それはですね……ガーネットお嬢様は、目前に迫った甘い羞恥に驚いておられるのです。ルビィお嬢様は、お気になさる必要はございませんよ」
セイラは溜め息とともに、視線を窓の外の暗闇に這わせた。
「恋愛の『れ』の字も知らないお嬢様が、2か月後に御子を宿すだなんて。お相手は一体……」
刹那、セイラの瞳が大きく見開く。
「もしや、カイザー殿下と縒りを戻されて妾になるのでは!? いいえ、婚約破棄で自暴自棄になられて行きずりの男と……んまあ、何って破廉恥!」
息継ぎを忘れたようなセイラの大暴走に、ガーネットの恥じらいの霧が晴れ渡っていく。そして僅かに目を細め、視線に不満を滲ませる。
「ちょっとセイラ。私のことを何だと思っているの?」
頭の上にふわりと疑問符が浮かんだように、セイラはきょとんと瞳を瞬かせた。
「え? 私にとって、ガーネットお嬢様は『セイラセイラ』と後ろを付いて回る愛らしいお嬢様のままですが……」
「それっていくつの時よっ」
セイラは私が2歳の頃、年の近い世話係としてやって来た。
そのまま侍女として私の傍に仕え続け、いつしか両親と同等に近しい存在になっていた。一人っ子の私にとって、かけがえのない姉のような存在だ。
私より4つ年上の23歳で、縁談の申し出もいくつも届いているそうだけど、私がお嫁に行くまでは傍にいると心に誓っているらしい。
それなのに婚約破棄までされて、2か月後には身籠るって……未来の私はどんな運命を辿っているのやら……あ、そうだわ。
胸の奥に燻っていた疑問が顔を出し、ガーネットは頬を朱に染める。
珊瑚色の毛先をくるくると巻きながら、照れくさそうに問いを口にした。
「ねえルビィ。あなたの、お父様って……ど、どんな方なの?」
途端に、ルビィの顔が曇り空のように翳った。
「ん、えっとね…………ルビィも知らないの」
その言葉に、ガーネットとセイラは顔を見合わせた。
淋しげに俯いたまま、ルビィは微かな声で言葉を紡いでいく。
「生まれた時から、お父さまはいなかったの……お父さまはね、お母さまとお腹のルビィをかばって死んじゃったって、お母さまが言ってた」
胸の奥が悲痛に震える。
胸の内側が爛れたようにひりつき、呼吸が荒く乱れた。
ルビィのお父様は、私の愛した人は、私とルビィを庇って……死んでしまったの? それだけで、その方は私とルビィを愛してくれたことが伝わってくる。
ああ、どれだけ悔しかっただろう。どれだけ無念だっただろう……っ。
でも一体何から庇ったというの。
事故、火事や災害などの脅威? それともまさか――誰かに命を狙われて?
気づくと、ガーネットはルビィを抱き寄せていた。ルビィの柔らかな頬に頬を寄せ、伝う涙を互いの熱に溶かしていく。
強い抱擁とともに、ガーネットは喉の奥を詰まらせるように囁いた。
「ああ……あなたも淋しかったわよね……」
すると、ルビィの淡い青碧の瞳がうるりと光り、鈴のような澄んだ声が響いた。
「ルビィね、生きているお父さまに会ってみたいの」
パッと咲き誇るように、ルビィの声が明朗に広がっていく。
「それでね。お母さまと一緒にお父さまを助けるの! お母さまがね、過去のお母さまならお父さまを助けることができるかもって。お母さまは失敗しちゃったって」
まるで機関銃のようなルビィの言葉の雨に、ガーネットのほうが面食らった。
「えっと、ちょっと待って。話がこんがらがっちゃって……未来のお母さまと、私もお母様と呼ぶと混乱しちゃうわね」
ふと、幼い頃に母に向けていた柔らかな呼び名が、ガーネットの記憶の海から浮かび上がった。
いつからか、成長する中で矯正されてしまったけど、私はこの呼び方が好きだった。
「私のことは……ママ様って呼ぶのはどうかしら?」
「ママさま?」
ルビィの双眸が、太陽を纏ったように輝いた。
「ママさま、ママさま! うん、わかった。ルビィ、ママさまって呼びたい。ママさま、一緒にパパさまを助けるの!」
小さな胸に大きな炎を灯すように、ルビィは右手を高く掲げた。
その右手に応えるように、ガーネットは小さな指先に手を伸ばした。
互いのぬくもりが重なったと同時に、ガーネットは静かな決意を纏った微笑みを咲かせる。
「えぇ、一緒にパパ様を助けましょう。そうと決まれば、何か手がかりが欲しいわね。パパ様について、ルビィのお母様は何か話していなかった?」
しゅんと肩を落とし、ルビィは小さく首を横に振った。
「んーん、わかんない。あ、でも……」
記憶を手繰り寄せるように目を細め、さらに言葉を重ねていく。
「ルビィが夜起きた時にね、お母さまが一人で泣いていた日があったの。その時、『レオ、会いたい』って言ってた。だから、レオって人がパパさまなのかなって」
――瞬間、青碧の瞳が光が弾けるように大きく見開かれた。
「……レオ? レオレオ、レオって…………まさか、レオン? レオンハルト!?」
思いも寄らぬ名に、ガーネットの声は驚愕したように跳ね上がるのだった。




