第3話 傷モノ令嬢、とんでもない未来に驚愕する
馬の嘶きとともに、ベルフィオーレ家の屋敷の前に1台の馬車が停車した。
予定より早い帰還に、家宰のロバーツを筆頭とした使用人たちは、足音を忍ばせて玄関ホールへ集まり、恭しく頭を垂れる。
普段より張り詰めた空気が周囲を纏い、どこか忙しなさを引き立てている。
扇子やクラッチバッグは侍女のセイラに預け、ガーネットは大きな何かを両腕に抱きかかえていた。まるで、世界で一番大切なものを守るように。
ガーネットのか細い腕にすっぽりと収まっていたのは――年端も行かぬ少女だった。むにゃむにゃと唇を動かし、安心しきった表情で穏やかな寝息を立てている。
ロバーツたちは何事かと目を丸くした。
だが気に留めた様子もなく、ガーネットは柔らかな声でそっと言葉を紡いだ。
「ロバーツ。お父さまはいらっしゃるかしら?」
ハッと我に返ったロバーツは胸に手を添え、厳格な家宰らしく淡々と告げた。
「領地編成の最終確認日ですので、旦那様はまだ王城から帰られておりません。明朝には戻られるかと」
「……ああ、そうだったわね。わかったわ」
私室へ向かうべく、ガーネットはくるりと踵を返す。
すぐさまロバーツは、30年の歳月で会得した柔和な微笑みで、ガーネットの歩みを遮った。ロバーツの右眼の片眼鏡がギラリと光る。
「して、ガーネットお嬢様。そちらの小さなお嬢様は?」
その問いかけに、ガーネットは唇をくいっと吊り上げ、悪戯に瞳を緩めた。
「え…………わたしの、子供、かしら?」
そう告げると、ふわりとドレスの裾を翻し、迷いのない足取りで歩き出す。
まるで化かされたように呆然と、ロバーツたちはガーネットの背を見送るのだった。
∻❖∻
――ガーネットの私室。
すやすやと安堵しきった寝顔のルビィを、柔らかな寝台へとそっと預けた。
ガーネットと侍女のセイラは注意を払いながら、ルビィを柔らかなナイトドレスへと着替えさせていく。
幼い日のガーネットのナイトドレスが、クローゼットに眠っていたのだ。
服を脱がせていくうちに、2人は驚愕した。
ルビィの手足には、真新しい小さな擦り傷が残されていた。
とりわけ両膝の大きな擦り傷が目を引き、乾いた血の痕が胸を締めつけるほどに痛々しい。
「まあ……ルビィお嬢様、おいたわしや……」
囁くようなセイラの悲痛が、柔らかなシーツに吸い込まれていく。
ルビィが私の未来の娘であると、セイラには馬車の中でひと通り事情を説明した。説明はしたのだが、こんな突拍子もない話を思いがけず信じられたことに、ガーネットの眉間には何か言いたげな皴が刻まれている。
「ねえセイラ。こんな現実離れした話、あなたは疑わないの?」
ひとつに結い上げた団子を揺らしながら、セイラは自信満々に胸を叩く。
「私はガーネットお嬢様を2歳の頃からお世話しています。その私の目から見ても、ルビィお嬢様は合わせ鏡のようにそっくりでいらっしゃいますわ。ルビィお嬢様に、ガーネットお嬢様の血潮を脈々と感じますっ!」
あまりに得意げな様子に、ガーネットのほうが苦く笑みをこぼした。
「血潮がみゃくみゃく? ……それで鵜呑みにされるはされるで怖いんだけど」
すると、
「……うぅ」
ルビィの微かな呻きが寝台に響いた。
手足を弱弱しく動かし、苦痛に歪んだ表情を浮かべている。
どうやら怖い夢にうなされているようだ。
「……う、あ…………た、す……け……おかあ、さま……っ」
すぐさまガーネットは手を握った。
ルビィの手のひらは汗でぐっしょりと濡れていた。
小さな手がガーネットの指先をきゅっと握り返し、助けを求めるように力を込めていく。
「うぅ……やだ…………い、いやあぁぁ……っ!?」
パッと青碧の瞳を見開いたルビィは、ガーネットの顔を捉えるなり抱きついた。
「……おかあさまあぁぁっ……ひぐっ……うぅ」
縋りつくルビィを宥めるように、ガーネットも確かな力で抱きしめ返す。
「ルビィ、大丈夫。何も心配ないわ。悪い夢を見てしまっただけよ」
ガーネットの胸に顔を埋めたルビィは、違うとばかりに首を横に振った。
「夢じゃないの。怖い人に追いかけられて……いっぱい、走ったの……」
ルビィの華奢な背中を優しく撫でながら、ガーネットは穏やかに頷いている。
喉を詰まらせながらも、ルビィは必死に言葉を紡いでいく。
「そしたらね、おっきな石がぴかーって光って……びゅーん、ぎゅいーんって、お母さまに会えたの」
ルビィの話から察するに、ルビィは『怖い人』から逃げていた。
そのうちに秘術を発現して、過去に時空転移したってことかしら。
ん? おっきな石……って、まさか、あの場所じゃないわよね。
思考を巡らせかけたが、胸元で震えるルビィを励ますように優しく撫でる。
ルビィのことを想うと、自然と母のような言葉が湧き上がった。
「怖い人から逃げ切って、ここまで来たルビィは偉いわ。えらいえらい」
「ほんと? ルビィ、えらい?」
泣きべそを掻いていたルビィの顔に笑顔が灯った。
ガーネットも微笑みを返し、小さな疑問を口にした。
「ええ、とっても偉いわ…………そういえば、ルビィはいくつなの?」
右手を上げたルビィは指先を伸ばし、パーの手を作った。
「ルビィは5才なの。あのね、お母さまとお誕生日がお揃い!」
「まあ、親子で同じお誕生日だなんて素敵ね。お誕生日がとっても楽しみになるわ」
先ほどまで泣いていたことも忘却し、ルビィは淡い青碧の瞳を綺羅星のように瞬かせた。
「そうなの。お母さまは20歳のお誕生日にルビィを産んだんだって。一番のお誕生日プレゼントだっていつも褒めてくれるのっ」
「まあ、それはとっても…………んん?」
ガーネットの思考の底で、無意識に回り出した不可解な計算がはじき出された。
ほのぼのと見守っていたセイラに、ゆっくりと視線を滑らせる。
「ねえ、セイラ。赤ちゃんって、どのくらいお腹の中にいるのだったかしら」
顎に手を添え、ひと呼吸置いたセイラはさらさらと言葉を連ねていく。
「そうですね、人によって若干の早い遅いはあるでしょうけど、一般的には十月十日と言われていますよね」
すぅと息を吸い込んで気持ちを整える。
ガーネットは声を静かに落とした。
「……私の十九の誕生日って、いつだったかしら」
セイラはふふと笑みをこぼしながら、
「もうお忘れになったんですか。つい5日前に、お屋敷を上げてパーティなさったじゃないですか…………ん、あらあらあら?」
途端に、室内には沈黙が舞い降りた。
沈黙している中に、どこか上擦った気配が漂っている。
ゆっくりと顔を上げたガーネットは、突拍子もない予感で瞳を白黒させていた。
ごくり、と生唾を飲み込み、恐る恐るその予感を口にする。
「待って。ということは、あと1年で私はルビィを出産する、の?」
だが即座に、それ以上の信じ難い未来が頭をよぎる。
「……いいえ、待って、待って。あと2か月足らずで、私はこの子を身籠るってことじゃない!? ……え、え、ええぇぇぇーっ‼」
悲鳴とも奇声ともつかないガーネットの声が、廊下の奥まで響き渡った。
何も知らないルビィは不思議そうに首を傾げるのだった。
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