第37話 傷モノ令嬢、初めての尾行
ベルフィオーレ城は、金色に輝く朝陽が差し込んでいた。
それはいつもと変わらぬ穏やかな朝。
……の、はずなのだが、今日はどういうわけか、平穏の裏に何か忙しなさが覗いている。
ガーネットの私室にて。
ソファに腰を下ろしたガーネットの横には、ルビィがぴたりと身を寄せている。
柔らかな陽だまりのような声で、ガーネットは絵本を読み聞かせていた。
『名探偵にゃんコフ』というタイトルの絵本に、ルビィは瞳を綺羅星のように輝かせている。
「名探偵にゃんコフが犯人を呼び止めようと、にゃぁと鳴いたその時――」
――ポーンポーン。
暖炉の上の、置き時計の人形たちが躍り出し、朝の10刻を告げる鐘の音を鳴らす。
その澄んだ響きにいち早く心を動かしたのは、コールだった。
「ん、そろそろ時間だな。じゃあ行ってくる」
ゲオルグは無言で頷き、絵本に目を落としたガーネットとルビィも顔を上げる。
そっと絵本を閉じたガーネットは目尻をゆるめ、静かに微笑んだ。
「ええ、いってらっしゃい」
続けてルビィも、元気いっぱいに両手を振り上げた。
「いってくるのコール!」
「ああ、行ってくる……昼の2刻くらいまでには帰ってくるからな」
コールの声の余韻が、ぱたりと閉まった扉の音とともに静かに溶けていく。
やがて……ガーネットは静かにソファから身を起こした。
ガーネットの足は、自然と窓辺へと近づいていく。
レースのカーテンを握りしめ、どこかそわそわとした様子で硝子扉から外の様子を窺い始めた。
その落ち着かない様子に、一同は揃って首を捻った。
その場を代表してセイラが一歩前へと踏み出し、気遣うような眼差しで穏やかに問いかけた。
「どうかなさったんですか、ガーネットお嬢様?」
瞬間、ガーネットのそわつきが時が止まったようにぴたりと止まる。
指先をくるくると弄りながら、照れを隠すように言葉を落とした。
「どうかって……その、えっと……こ、コールを追いかけようと思って……」
「え!?」
セイラの瞳は、心臓を撃ち抜かれたように大きく見開かれた。
ゲオルグは表情をほとんど動かさなかったが、微かに瞳の奥に驚きが走る。
ルビィに至っては淡い青碧の瞳を輝かせ、ソファから跳ねるように飛び上がった。
歓びが弾けるように、手足をぶんぶんと動かしている。
「ママさま探偵みたいなの!」
だが、ふと何かを思い起こしたらしいセイラは口元に指先を添える。
「え、でも確かコールさんは、き……」
その言葉を遮らんと、ゲオルグは寡黙とは思えぬ大きな咳払いを繰り出した。
「ううっ、うぉほんっ……セイラ、ここはガーネット様の意志を尊重するべきだ」
眉をぴくぴくと動かし、ゲオルグは「これ以上は何も言うな」と視線で訴えた。
あれ?
私も先ほどコールさんから伺ったばかりで、詳しくは把握していないのですが。
もしかして……ゲオルグさんも、ガーネットお嬢様とコールさんの距離を近づけたいとお考えなのでは……?
すべて理解しきれずとも、何となく察したセイラは力強く頷いた。
そして、主人を支える侍女らしく、寄り添うように朗らかに告げた。
「そうですね。絶好のお出かけ日和ですし、お出かけ気分でコールさんを追いかけちゃいましょう」
∻❖∻
領都ベルフィオーレの朝の街並みは、観光客のざわめきよりも地元の人々の活気が盛んだ。
昨日とは異なる顔を見せる街並みを背景に、ガーネットはコールの姿を追った。
ガーネットの手には、ルビィの小さな手が重なっていた。
ルビィも、目を皿のように動かして懸命に探している。
「コールったら見当たらないのー」
「本当ね。どこにいるのかしら…………あ、待って、あそこ!」
花市が開かれている方角――
柔らかな笑みを浮かべ、コールが誰かと笑みを交わしている。
会話の相手は、手前の馬車の陰に隠れて確認できない。
すると、まるで願いに応えるように馬車が動き出した。
馬蹄の音が去るとともに現れたのは――
あ、あの人は⁉
確か……昨日コールが話していた三つ編みの女性だわ。
じゃあやっぱり、その人に会うために……?
ガーネットの視界は吹雪のように白く霞み、瞳は光を奪われたように何も映らない。
冷たくなった手のひらを握ると、冷や汗がじわりとにじんだ。
動揺からか肩が不規則に上下し、呼吸が追いつかない。
コールが誰と会おうが、コールの勝手よ。
頭ではそう理解しているのに、心はそれを拒絶するように内側で暴れ続ける。
どうして私は、こんなにコールが気になるの?
わた、しは…………
そこにルビィの愛らしい声がふわりと落ちた。
「コール、お花を買ったの。どこに行くんだろう?」
「……え!?」
途端に、白い靄が晴れていく。
よく目を凝らすと、その女性は花売りだった。
コールの腕には、柔らかな橙色に輝くカレンデュラの花束が大事そうに抱えられていた。
どうやら花束を買っただけみたい、ほっ。
え、私どうしてほっとなんて……?
「ママさま。コールが行っちゃうの。早く追いかけなくっちゃ」
ルビィに手を引かれ、気を持ち直したガーネットは再びコールの後を追った。




