第35話 3人寄れば家族らしい
領都ベルフィオーレの中央に位置する大広場には、移動動物園が訪れていた。
ウサギやモルモットなどの愛らしい小さな動物と直接触れ合えるコーナーがあり、羊たちがゆったりと放し飼いにされ、ロバやポニーの乗馬体験も楽しめる。
大広場は、子供連れの家族や動物好きの若者たちが集い、穏やかな賑わいに満ちていた。
小動物とのふれあいコーナーにて。
微かに怯えを含んだレオンハルトの声がか細く響いた。
「ガーネ、よくそんなの触れるね。恐くないの?」
「恐いって……ただの可愛いウサギさんよ」
椅子に腰を下ろしたガーネットは愛らしいウサギを膝の上に迎え、雪のような白い毛並みを慈しむように撫でていた。
ウサギもどこか心地よさそうに赤い瞳を細めて身を委ねている。
理解できないものでも見るように、レオンハルトはガーネットの指先を静かに見つめていた。それに気づいたガーネットは、幼子に声を掛けるような柔らかな口調で紡ぐ。
「さあ、次はレオンが抱っこしてみましょう」
「え、ちょ、無理むり無理ぃ……」
優しくウサギを持ち上げたガーネットを認めると、レオンハルトは両手を前に出し、拒むように左右に振ってみせた。
コバルトブルーの瞳には微かな怯えが宿っている。
こういうちょっぴり怖がりなところは、子供の頃から変わらない。
でもレオンは警戒心が強いだけで、好奇心旺盛なことを私は知っているから。
レオンハルトの膝に、ガーネットはそっとウサギを乗せた。
すると、先ほどまでの警戒はどこへやら、レオンハルトは落ち着いた様子でウサギの柔らかな毛並みを撫でていく。優しく、じっくりと、小さな存在を確かめるように。
「へえ……意外と悪くないかも。すごく生温かくて柔らかい」
「ふふふ。お気に召したかしら」
2人はウサギを挟んで穏やかに微笑み合う。
それはまだ、汚れを知らぬ無垢な幼き少年少女に戻ったような、緩やかでのんびりとした時間だった。
そんな2人の光景を、遠目からそっと捉える視線があった。
淡い青碧の瞳を細めたルビィはコールの支えを受けながら、ロバの背に身を預けていた。本来なら楽しい乗馬のはずだが、不機嫌に頬をぷくっと膨らませる。
「ルビィも、ママさまとウサギなでなでしたいのー」
小さな肩をあやしながら、コールはほろ苦く笑みを零す。
「ルビィの気持ちもわかるが、今は譲ってやってくれ。さっきからちょっとイラついてるみたいだったからな……アイツ」
コールの言葉から何か感じ取り、ルビィは興味を持ったように瞳を輝かせる。
「ルビィの気持ちがわかるの? コールも、ママさまとあそびたい?」
「ん? んー……遊ぶっていうか、傍にいたいってだけで」
んん、俺はどうしてルビィにこんなこと話してるんだ?
どういうわけか、ルビィと会話しているとつい心の内まで洩らしてしまう。
ロバの背に揺られていることも忘れ、ルビィはコールの横顔へ視線を注いだ。
そして、何か閃きを得たように瞳を瞬かせる。
「そばに? じゃあ特別にコールも仲間に入れてあげるの。あとでママさまと一緒にあそびましょ。えーっと、おひめさまごっこでいーい?」
「ふ、お姫様ごっこかぁ。そういうの、なんか懐かしいな」
綿毛のように柔らかな濃紺の髪をそっと掻き上げ、コールの瞳は穏やかに弧を描く。心はどこか……遥か遠くへと思いを馳せていた。
ふれあいコーナーの端のベンチにて。
指先の腹を擦り合わせ、レオンハルトは神経質に何かを気にしていた。
しばしの逡巡の末、隣に座るガーネットへおずおずと視線を送る。
「ガーネごめん。ちょっと手を洗ってきてもいいかな。ウサギを触った手がベタベタする気がして、気になる」
ふふっと笑みをこぼしたガーネットは、穏やかに言葉を添えた。
「ええ、どうぞ」
レオンハルトの背が視界から遠ざかると、ガーネットの視線は無意識にルビィを探した。小さな珊瑚色の髪を探して瞳を走らせる。
やがて、乗馬コーナーでコールに付き添われながらロバに乗るルビィが目に入った。
ほっこりとする光景に口元を緩め、ガーネットはルビィのもとへと歩み出す。
時折ママさまの姿を追っていたルビィは、気づいた途端、全身を使うように勢いよく手を振ってみせた。
「あ、ママさま! こっち、こっちなの!」
ロバの上でよろめくルビィを、コールは慌てて支えている。
微塵も動じる様子もなくロバの上で軽やかに跳ねるルビィの姿に、ガーネットは表情を緩ませて優しく呼びかけた。
「ルビィ、ロバに乗っているの。かっこいいわね」
「えへへー、ルビィかっこいい?」
堂々と胸を張るルビィを前に、ガーネットは嬉しそうに頷いた。
「ええ、勇敢な騎士様みたいよ」
――その時だった。
『ただ今から、羊の毛刈りショーが始まりまーす。皆さま、ぜひ広場の中央へお集まりくださーい』
澄んだ女性の声が響き、毛刈りショーの始まりがそよ風とともに届いた。
いち早く反応を示したのはルビィだった。
「あっ、ルビィも羊さん見たい!」
ロバから降りようと地面へと足を伸ばして体重を傾けたルビィを、コールは慌てて止めに入る。
「おっと、ちょっと待てよルビィ。すぐに降ろしてやるから」
借りてきた猫のように大人しくなったルビィは、万歳の恰好のまま抱えられて下ろされるのだった。
羽が生えたように軽やかに、ルビィはガーネットのもとへと駆け寄った。
小さな右手を差し伸べ、淡い青碧の瞳を喜びに揺らす。
「ママさまも一緒に羊さん見にいこう」
「ふふ、そうね。一緒に見に行きましょう」
2人の温もりが繋がる。手を繋いだルビィとガーネットは並んで歩き出した。が、すぐにルビィは何かを閃いたように足を止めた。
「あ、そだ……コールはこっち」
くるりと踵を返し、ルビィはコールへと左手を差し出した。
その小さな手のひらに吸い込まれるように、コールはそっと手を預ける。
右手はガーネットに、左手はコールに。
ルビィの両手は優しい温もりに包まれた。この上なく満悦そうに頬を緩ませたルビィは、軽やかなスキップを刻み始める。
「んふふ~、何だか嬉しいの♪ ねえコール、これで一緒にあそべるでしょ」
笑いかけたルビィに、コールも微笑みを返すが、
「あ、ああ。でもこれって……何か」
これって何か、家族っぽい気が……。
コールの胸によぎった感情は、ガーネットの中にも同様によぎったらしく、2人の頬は寄り添うさくらんぼのように薔薇色に染まっていく。
2人の胸のざわめきが導くとおり、傍目から見た3人の背は、休日を満喫する仲睦まじい家族にしか見えなかった。
広場の柱時計の裏から覗いていたセイラが、我慢ならずに驚嘆の声を漏らす。
「ゲオルグさん、見てくださいっ。お嬢様とコールさんが……!」
「……ああ」
ゲオルグも言葉少なながらも、安堵の声を漏らした。
だがそこに、コバルトブルーの双眸に憤怒を宿した人物が舞い戻る。
言わずもがな、レオンハルトだ。
あの子供のみならず、コール・ガルシア……お前もやはり、僕からガーネを奪おうとするのか。護衛の、ただの護衛の分際で…………っ!
ふと、ある人物から届いた手紙の文面が脳裏に疼いた。
――近日中に、ガーネット嬢によく似た子供が現れることでしょう。
仮にその子供が彼女の未来の娘だとするならば、貴殿は如何なさいますか?
如何なさるもないだろう。
せっかくカイザーをガーネから引き剥がしたのに、どうしてこう次々と僕とガーネの邪魔をする者が現れるのか!
ああ、ダメだ。
やはり、ガーネを早くっ、僕だけのガーネットにしなければ……。
きっと、取り返しのつかないことになる。
意識が追いつくより先に、レオンハルトは3人の背へ駆け足で突き進んでいた。
幼い頃から幾度も追いかけた大好きな背中へと手を伸ばす。
「ガーネっ!」
背後からガーネットを奪うように抱き寄せ、腕ごと絡めとる。
拒むことさえ許さぬとガーネットの指に指を絡ませ、幼いルビィの手から攫っていく。
「さ、行こうかガーネ…………コール、そちらの小さなレディは任せたよ」
「え、ちょっと待ってレオン! ルビィとコールも一緒に羊をっ」
ガーネが可愛い声で何か囀っているが、ごめん。
今は聞いてあげられないんだ。
彼らから距離を取りたくて、ガーネの訴えを得意の微笑みで交わした。
でも心の中は笑顔どころか、黒い嫉妬が渦を巻き、僕の心をゆっくりと漆黒に染めていく。
柔らかな羊の毛が積み上げられていく光景を眺めながら、僕はあるひとつの計画を心の奥で積み重ねていった……。




