第34話 小悪魔令嬢は〇〇がお好き
人々の喧騒をすり抜けながら、ガーネットたちは次の目的地へ向けて石畳の歩道を進んでいく。
傍らを歩くレオンハルトが肩越しに声を掛けてくる。
レオンハルトに愛想笑いを打ちながらもガーネットの瞳には、先ほどの、仲睦まじく肩を並べるコールと女性の姿がこびりついて離れなかった。
……誰なのだろう、さっきの女の人。コールの知り合いかしら。
でも、ここはベルフィオーレ領。
コールが護衛を務めるようになってからの3年間、私は大半の時を王都で過ごしている。この領にコールの知り合いがいるだろうか?
ガルシア領は1つ領地を越えた先だし……って、私ったらどうしてそんなことを気にしているの。
ちらりとコールに視線を流す。
周囲へ視線を張り巡らせ、護衛としての務めを黙々と遂行していた。
さっきのことなんて夢幻だったみたいに、コールは普段通りだわ。
すると――ドンッ。
コールに気を取られたせいか、ガーネットの肩に鋭い衝撃が走った。
よろめくガーネットの身体を、コールの腕が素早く掬い上げた。
「おっと、大丈夫か姫様」
「ええ、ありがとうコール」
2人の視線が交わり、離れがたい糸で結ばれたように静かに見つめ合う。
時間が止まったかのような2人の横で、衝突した人物がゆっくりと振り返った。
「あら失礼…………って、まあまあ! ガーネット様ではありませんのぉ~」
粘りを帯びたねっとりとした声が耳朶を撫でる。
一度聴いたら忘れぬその声色に、ガーネットの視界がある令嬢を捉えた。
胸に結んだ漆黒の大きなリボンが揺れ、シルクのドレスが波打つ。
亜麻色の髪をふんわりと揺らめかせ、挑発めいた笑みを浮かべたのは――ミスティナ・クレメンツ伯爵令嬢、その人で相違なかった。
その傍らには、沢山の包みを抱えた侍女が静かに控えている。
予期せぬ人物の出現に緊張が走り、コールやゲオルグは剣の柄に手を添えた。
セイラに至っては、スカートの陰へとルビィを庇うように引き寄せる。
皆の視線は研ぎ澄まされた剣先のように鋭く光っていた。
何せガーネットは、ミスティナが原因でカイザー殿下から婚約破棄を言い渡されたのである。結果だけみれば救われたわけだが、ミスティナへの不信は簡単に拭い去れるものではない。
理解が追いつかぬまま、ガーネットの視線はミスティナへと強く縫い留められた。
「ミスティナ様? え、どうしてベルフィオーレ領に。王都にいらっしゃるのでは……」
「あらぁ、どういう意味かしらぁ?」
指先を頬に滑らせながら、ミスティナは見下すように口元を緩めた。
その嘲るような視線を感じ取りつつも、真意を確かめるべく、ガーネットは慎重に問いかけた。
「結婚の許しを得るために、カイザー殿下と国王陛下に面会するのでは? 確か陛下が王都にお戻りになると……?」
コールの腕のぬくもりを離れ、以前その話題を語ってくれたレオンハルトの横顔へと視線を寄せる。
だがレオンハルトは、どこか居たたまれないように顔を背けてしまった。
あまり話を振らないでくれとばかりに、瞼を震わせる。
レオンハルトの仕草を見逃さず、ミスティナは唇の端をにやりと吊り上げた。
「あらぁ……レオンハルト様もごきげんよう」
だがレオンハルトは言葉を返すことなく、切り捨てるように視線を逸らした。
居心地の悪さを感じ取ったのか、高みから見物するように、ミスティナはわざとらしく淋しげな表情を浮かべた。肩を僅かに落とし、瞳をうるりと揺らす。
「あらぁ~知らない仲でもないのに、つれないお方ねぇ。うふふふふ」
レオンハルトとミスティナの間で、ガーネットは視線を左右に彷徨わせた。
この2人は知り合いなの?
レオンって、あまり女性を寄せ付けないタイプだと思っていたけど……
周囲を窺う小動物のようなガーネットの仕草を、ミスティナはねっとりと見据えた。亜麻色の髪を絹糸のように柔らかく揺らし、愉悦を隠しきれぬように唇を吊り上げた。
「うふっ。ガーネット様の疑問に、まだお答えしていませんでしたわねえ。私は最初からぁ、あの方と結婚するつもりなんてぇございませんわ。だって、ぜんっぜんタイプじゃないんですもの!」
緩やかに右手を持ち上げると、小指だけを静かに立て、
「私はただちょっとだけぇ、殿下の背中を小指で押してあげただぁけ。そうしたらぁ……びっくり。なんと、婚約解消してしまいましたわぁ!」
ぺろりと舌を覗かせ、ミスティナは悪戯っぽくお道化てみせた。
「……な、何のために、そんな……」
人の心を弄ぶみたいに、どうしてそんなことをするの?
あの婚約破棄宣言が原因で、カイザー殿下は国王の怒りに触れるだろうとレオンが明かしてくれた。殿下は善良とは言い難いけれど、それはあんまりじゃ……。
喉奥をくつくつと鳴らした音が微かに届く。
それがミスティナの愛の歓喜に震える声だとは、この瞬間まで気づかなかった。
「何のために? そんなの……ふふっ」
くつくつとした音がミスティナの感情に呼応するように大きく弾む。
瞳を深く見開いたミスティナの唇が紡いだのは――
「そんなの、『お義父様』のお役に立ちたかっただけですわあ!」
「……え? おとう、さま?」
予想外の言葉に、ガーネットは言葉を零すように聞き返す。
すると、ミスティナは恋する乙女のように頬を染め上げ、瞳の奥に煌めく恋心を瞬かせた。
「そう、お義父さま♡ 私ねえ、年上の殿方がタイプなの。つまり、同い年の殿下なんてぇ最初から眼中になかったってこと」
そういえばお母様がおっしゃっていた。
クレメンツ伯爵は、クレメンツ夫人の再婚相手だと。
ミスティナ様は孤児だとも……。
絡めた両手を胸元に添え、揺らめく眼差しは恋する乙女のように。
その太陽が瞬くがごとく輝く瞳は、崇拝にも似た感情が垣間見えた。
「お義父様のぉ、人を虫ケラみたいに見下すあの目が最高なのッ! 嫌がるお義父様に付き添ってぇ、こぉーんな辺境まで遊びに来たのよぅ」
信じ難いと困惑を滲ませた顔で、ガーネットは小刻みにかぶりを振っている。
否定されたことすら、歓びを感じたのだろうか。口元に細い指を当て、ミスティナは優越感に満ちた表情でガーネットを見下ろした。
「んまっ、お子ちゃまのガーネット様にはぁ理解できないでしょうけどぉ。アハハ」
カイザー殿下も、虫を見るような冷ややかな視線で私を見下ろしていた。でも、それを最高だとは欠片も感じたことはない。
そう零しかけたガーネットだが、百倍の反論が返ってくる予感がして口を噤んだ。
語り終えた満足感に浸りながら、ミスティナは上機嫌に表情を緩ませている。
だがそれにも興味が尽きたのか、ダリアの大輪が萎れるように令嬢らしく淑やかに頭を垂れる。
「それではごきげんよう、ガーネット様。それと……」
そっと顔を上げ、傍らのレオンハルトを捉えると目を細めた。
「レオンハルト様もごきげんよう。お陰様でぇ、お義父様も大変に悦んでいらっしゃいましたわ。それでは。おほほほほほーぉっ」
ミスティナの笑い声だけが街中に不気味にこだました。
まるで荒れ狂う嵐が去った後の静寂のように、しばらく誰も口を開こうとはしなかった……。
【登場人物メモⅨ】
ミスティナ・クレメンツ
20歳。クレメンツ伯爵家令嬢。
幼い頃、クレメンツ夫人に引き取られた孤児である。
夫人に言葉遣いを改めよとよく叱られるが、どうにも癖が抜けない。
年上を好み、義父である冷徹な伯爵に恋い焦がれている。




