第32話 それはデートのはずだった
――翌日。ベルフィオーレ城のエントランスにて。
馬車に乗り込もうとするルビィの肩を、エメルダはそっと引き留めた。
その口調は、まるで生徒を諭す優しい教師のように穏やかである。
「いーい、ルビィちゃん。街ではママさまやセイラ、コールやゲオルグから絶対に離れてはダメよ。ルビィちゃんはとっても可愛いから、すぐに悪い人に連れて行かれてしまうわ。知らない人に声を掛けられても返事をしてはダメ。ついていくのはもっとダメ!」
「はーい。わかったの、おばあさま♪」
右手を元気よく振り上げ、ルビィは愉しそうに跳ねて応えた。
だが、これからの遠出に胸を弾ませ、エメルダお祖母様の注意事項は右から左に流れてしまっている。
すると、エメルダはくるりと踵を返す。
ルビィに向けた柔らかな眼差しとすると、それは鋭く厳しく、ガーネットを捉えた。声音の端にもどこか緊張が宿っている。
「それとガーネ。あなたはセイラやコール、ゲオルグから決して離れないように。あの男に宿屋や路地裏に連れ込まれないようにね」
母の口が放った、耳を疑うような言葉にガーネットは口をあんぐりと開け、思考を真っ白に染めた。すぐに言葉の意図を理解し、驚愕の色を響かせた。
「あっ、あの男ってレオンのこと? レオンはそんなことしないわよ。ただ一緒に街に遊びに行くだけで……」
「まだそんなことを言っているの!? いーいガーネ。幼馴染みの義理で無害な羊のように見えても、彼は羊の皮を被った狼なの。絶対に気を許してはダメっっ‼」
小言の雨を延々と浴びせる母エメルダに、ガーネットは開いた口が塞がらなかった。
コールの時は部屋が繋がっていても『別にいいじゃない』と軽く流したのに?
それどころか『逢引き』なんて言って、ぐいぐいと背中まで押されたのに?
さ、流石に差がありすぎる…………っ!
やっぱり、お母様は私とコールをどうにかしたいのかしら。
でもコールは、宿敵のガルシア家で…………。
――ヒヒイィィィィンッッ。
突如、馬の嘶きが高らかに鳴り響く。
鷲の紋章をあしらった馬車が、レオンハルトの到来を告げていた。
レオンハルトと『デート』という流れに戸惑いを覚えながらも、ガーネットたちを乗せた馬車は街道へと踏み出した――。
∻❖∻
宝石で彩られた領都ベルフィオーレ。
領都は、色取取の輝きに包まれていた。
領都に時を告げる柱時計の文字盤はラピスラズリや螺鈿細工をふんだんに扱い、街灯のランプシェードは紫水晶や紅水晶など色鮮やかな輝きが灯る。
其処彼処に宝石が息づき、明るい昼間でもどこか幻想的な雰囲気が醸し出されている。
金鉱山を有するこの地では、宝石もまた豊かに産出する。
ゆえに宝石店も数多く点在し、貴族たちでさえ、その本物の輝きを求めてわざわざ足を運ぶほどであった。
また貴族の避暑地としても知られ、観光地としても豊かな賑わいを帯びていた。
華やぐ雰囲気を前に、ルビィは淡い青碧の瞳に宝石のような光を煌めかせた。
「ふぁ……とってもきれい」
幾度も感嘆の声を漏らすルビィを見つめ、ガーネットは頬を緩めながら告げた。
「あと1か月もすれば、大地の恵みに感謝する『豊穣祭』に入って、もっと煌びやかになるわよ」
「ほうじょうさい? わああっ、楽しみなの!」
ルビィは両手を合わせ、両足を弾ませながら期待を全身で表現している。
その軽やかな動作に、ガーネットもつい笑顔を綻ばせた。ルビィの珊瑚色の髪をそっと撫で梳きながら、言葉もなく共に歓びを分かち合う。
この反応から察するに、身を隠していた未来のルビィは豊穣祭に参加したことがないのだろう。これは絶対に、ルビィと参加しなくてはね。
瞬間、ガーネットとルビィの間に割り込まんとする者が――レオンハルトだ。
その声は存在を主張するように力強く、強引に無遠慮に、2人の空気を断ち切った。
「ガーネ!」
不意に背後から名を呼ばれ、驚いたガーネットは肩を震わせる。
「きゃっ、吃驚した……どうしたのレオン」
「今日は僕とデートなんだから、僕と話そうよ」
コバルトブルーの瞳はおねだりするように、上目遣いを作る。
輝く水面のような瞳の輝きに、幼き日のレオンハルトの記憶が重なったガーネットはつい微笑みをこぼした。
「もうレオンったら、ルビィと張り合わないで…………私だって、レオンがどこに連れて行ってくれるのか、今から楽しみなのよ」
「ふふ……そんなに期待されると困るなあ」
などと、ぼんやりした台詞を並べているが、レオンハルトには綿密な計画があった。
ガーネは僕のことを弟以上には見ていない。
それは最高に近くて、最も遠い存在だ。
だからこそ婚姻誓約書に筆を取らせる作戦は休息して、まずガーネにしっかりと僕を意識してもらおう。
僕を男として意識してもらった暁には、そのまま婚姻誓約書に…………そして、念には念を入れて最上級の宿も手配してある。ふふふ。
――まずは、恋人に近づく甘い空気づくりを始めること。
このために、僕らの距離が縮まるカフェを侍従に厳選させておいた。
そこならばその場の雰囲気に酔ってガードが緩くなり、2人の甘い世界が築けるかもしれない。
上手くいけば、ガーネからケーキを「あーん」してもらったりも……
――スイーツカフェ『ブラックオパール』
深い黒を基調とした、洗練された雰囲気が店内に漂っていた。
それぞれのテーブルでは、恋人たちが潤んだ瞳で愛を語らい、甘やかな空気が場を満たす。
そんな中、ガーネットは苺の乗ったケーキの切れ端をフォークに差し、そっと相手に差し伸べる。
「はい、あーん」
「あーん、もぐもぐもぐ…………おいしいの♪」
大変満悦な様子でケーキを頬張るのはルビィ、だった。
その弾んだ笑顔に、ガーネットもつられるように頬を緩ませる。
「よかったわねルビィ。苺はルビィの大好物なの。レオン、ありがとう」
「……ああ……どう、いたし、まして……っ」
頬はヒクヒクと痙攣を繰り返し、唇は歪んだように吊り上がる。
耐え切れなくなったレオンハルトは、テーブルに突っ伏すように頭を抱えた。
あれ? どういうことだ。
どんなに人智を尽くしても、あの子供がいるかぎり全くもって上手く事が運ばない。というか、デートなのにどうしてあの子を連れてきたんだ、ガーネは。
ちらりとガーネットの姿を追う。
恋してやまない幼馴染みは、ルビィの口元に付いた生クリームを丁寧に拭いていた。
ああ駄目だ、ガーネの一番があの子供になってしまっている。
もしかして! 食べ物は子供も興味を持つから悪手なのか…………ならば。
レオンハルトの新たな策は、2人の距離を縮める一歩となるのか――果たして!?




