第29話 時を駆ける聖域
――ベルフィオーレ城の西に広がる大森林。
ベルフィオーレ城がこの地に居を構える以前より、鬱蒼とした森の奥には古代の遺跡が静かに息を潜めていた。
ベルフィオーレ領に到着した翌日。
考古学者の母エメルダの案内で遺跡へと足を運んだ。
以前、ルビィは『おっきな石』から時空転移したと、私に打ち明けてくれた。
そのおっきな石が、遺跡にある『巨石の年輪』ではないかと母に意見を仰いだところ、善は急げと今日は遺跡探索日和となったのである。
馬車を降り立った私たちは、ブナの木々がさざめく森の中へと静かに足を踏み入れた。
森に馴染んだお母様を先頭に、私たちはブナの木立を進んでいく。
――ギャア、ギャア、ギャアァァ。
獣の濁声が森を揺らす。
セイラやゲオルグは周囲に視線を鋭く巡らせ、昏い森の気配に身を固くした。
ブナの葉の隙間からこぼれる木漏れ日が光の粒となり、胸のざわつきを僅かに軽くしてくれる。
コールはというと、半歩後ろを位置取るように私の隣を歩いていた。微かな不安を表情の端に揺らし、時折こちらを窺いながら。
「姫様、大丈夫か? 具合とか悪くないか?」
コールの心配をよそに、ガーネットは普段と変わらぬ調子で答えた。
「ん、特に体調は悪くないけど。コールこそ大丈夫? 何だかすごく不安そうな顔してる」
「……俺のは気にするな。ちょっと心配なだけだから」
そう呟きながらも、コールの琥珀の瞳の奥が少しだけ翳りを帯びる。
まばたきを落としたガーネットは、戸惑うように小首を傾げた。
「心配って、私を? コールったら心配性なんだから。でも大丈夫よ。今ね、なんだかとっても懐かしい気持ちが心に満ちているの」
両手を広げ、すべてを受け入れるように大きく息を吸う。清らかな森の息吹が、肺へ染みこんでいく。
清涼な空気が、心と身体に降り積もった澱をそっと洗い流した気がした。
5歳の頃、お城を抜け出してここでレオと冒険したっけ。2人で仲良く手を繋いで森を冒険したり、遺跡でお姫様ごっこをして遊んだり。
私がドジをすると、いつも駆けつけてくれた……大好きだった初恋の人。
不意に、ガーネットの服にそっと小さな力がかかった。
視線を向けると、ルビィが袖口を引いている。淡い青碧の瞳を大きく見開いたルビィは、追い立てられるように忙しなく言葉を放つ。
「あのねあのね、おっきな石はこっちなの」
ガーネットの手を掴むと、ルビィは一目散に走り出した。
森の中を進むルビィはまるで森に導かれるように、迷うことなく駆けていく。
ルビィったら、とっても生き生きしてる。
まるでこの場所に土地勘があるみたい。
……もしかして、このあたりに住んでいたの?
一同がルビィの足の速さに息を上げる中、コールだけは横を離れず、見失わぬようにと影のように寄り添っていく。
ルビィと手を繋ぐガーネットでさえ、すでに息も絶え絶え。
ぜえぜえ。ルビィも早いけど、コールも何だか森に慣れてない?
毎日訓練しているからかしら。
連なるブナの並木を駆け抜けていく。すると突如木々が途絶え、陽光が差した。そのあまりの眩しさにガーネットは瞳を閉じた。
瞼の裏から帰ったガーネットの瞳に最初に飛び込んだのは――
――朽ちゆく遺跡群の中で、ただひとつ、原初の姿を裏切らず形を留めた遺跡。
地面には、円を描くような窪みが幾重にも刻まれている。
それはまるで年輪のようで……その中央には、碑のような縦長の巨石がひとつ、時を刻むようにそびえていた。
この遺跡の名は、巨石の年輪。
巨石を指差しながら、ルビィは身振り手振りを交えてガーネットに説明した。
「ここでね、ぺかーって光って、どーんばきゅーって黒いのに入って、ママさまに会えたの!」
ベルフィオーレ家に伝わる文献でも、この巨石の年輪から時空転移したと綴られていた。何となくだけれど、ルビィの言葉の整合性が取れたわ。
その時、背後から靴音が響いた。
追いついたエメルダは息を吐くのも忘れ、思考を唇に落とし込む。
「ここがやはり時空転移の発現する地点……この一帯だけ、他の遺跡群とすると損傷が少なくて妙に手が行き届いているのよね。ブツブツ」
遺跡へと足を踏み入れ、ガーネットはそっと巨石へと手を触れた。
石の冷たく硬い感触が指の腹の熱を奪っていく。と同時に、ガーネットの首元にびりりと痛みが走った。
瞬間――眠っていた記憶が目を覚ます。
あ、そうだ。ここだわ、私がこの傷を負ったのは……!
レオが止めたのに私は先を歩いて、そうしたら若い男が茂みから飛び出して……何か叫びながら、私の首を細剣で刺したんだ。
誰の目にも触れぬよう、ガーネットは冷えきった唇に手を振れ、僅かな温もりを分け与えた。押し殺した感情を裏切るように肩が微かに震え、息が荒く乱れる。
吸い込んだ息は、指の隙間から零れるように掻き消えていく。
そんなガーネットの様子を、コールは心配を瞳に映して見つめていた。
辛い過去に蓋を施すように、ガーネットは傷痕に手を伸ばす。すると、首元のコサージュに指先が触れた。
張りつめていた息がほどけ、不思議と呼吸が軽くなっていく。
橙色の薔薇のコサージュ。
このコサージュが首元にあるだけで、胸の奥の小さなざわめきを和らげる気がする。私は大丈夫だと、心休まる安堵が生まれるようになった。
……選んでくれたコールの、おかげなのかしら?
一方、ルビィはキョロキョロと周囲を見回していた。
陽の差すブナの木々が生い茂る森を眺めては首を傾げ、遺跡の奥に広がるトウヒの木々の暗がりに、懐かしい既視感を覚える。
突如、トウヒの暗がりを探るように覗き込んでいたルビィの瞳に、淡い閃きが走った。
「ママさま、ついてきてっ!」
「え、ルビィ。どうしたの!?」
駆け出したルビィの背をガーネットは追った。
コールもまた、2人を見失うまいと後に続く。
セイラも追いかけようと昏い森へと踏み込むが、太い枝木から長太い紐のようなものが伸びてきた――蛇だっ。
――シュアァァァッッ。
「ひぇっ! へびぃぃぃ!?」
威嚇の息を蒔き散らし迫り来る蛇――ゲオルグは庇うようにセイラの前へと出た。
牙を剥いて飛びかかる蛇に、煌めく一閃。
無残にも蛇の影は真っ二つに裂けた。
「大丈夫か?」
表情を動かすことなく安否を問いかけるゲオルグに、セイラはホッと胸を押さえ、腰が抜けたように座り込んだ。
「はい、助かりましたゲオルグさん。私、蛇は苦手で……」
……ザッ、ザッ。
土を含んだ靴音が浅く地を叩いた。
エメルダがルビィたちの消えた方角に視線を向けている。
その姿を捉えたゲオルグは、冷静な声を響かせた。
「すぐに追いますか?」
顎に手を添え、思案を巡らせたエメルダはそっと首を横に振る。
「いえ、いいわ。コールも付いているし大丈夫。あちら側には山小屋しかないし。でも、どうしてあの場所に……?」




