第28話 ベルフィオーレ家とガルシア家
胸元に下げた銀細工のチェーンを引き寄せ、エメルダはそっと眼鏡を掛けた。
鼻梁のブリッジをくいっと押し上げ、眼鏡を正しい位置へと正すと、つらつらと語り出す。
「ベルフィオーレの伝承とガルシアの伝承。元はひとつだった家々に語り継がれる伝承について、考古学者として私は興味があるの」
緩やかにコールへと視線を向け、
「まずは、私がベルフィオーレの伝承について話すわ。コールには、ガルシアとの伝承の違いの部分を教えてほしい」
気がつくと、エメルダは侯爵夫人としての優美な仮面を脱ぎ捨て、考古学者としての探求心あふれる眼差しを貼り付けていた。
「はい、俺のわかる範囲でよければ……」
しっかりと頷き、コールは了承の意を示した。
コールの同意を認めたエメルダは、今度は傍らのルビィへと視線を落とす。
大切なものに触れるような声音で、柔らかく言葉を紡ぐ。
「ルビィちゃんにとっても、大事なお話だから聞いていてね」
「はーい。おばあさま、わかったの!」
右手を大きく掲げ、ルビィは元気溌溂に返事をした。
幾度となくベルフィオーレ侯爵夫人を『おばあさま』と呼ぶルビィに、コールとゲオルグは疑念を抱かずにはいられなかった。自然と眉間に皴が寄っていく。
「では……こほん……」
改まったように喉を整えたエメルダは、物語の頁を捲るように語り始めた……
今からおよそ300年前のこと――
ベルフィオーレ家に玉のような双子の男児が生まれ落ちた。
双子は周囲の大人が息を巻くほどに優秀だった。
1つだけ難点があったとするならば、双子ゆえに時を翔ける能力が二分されていたこと。2人は力を合わせなければ、時空転移の術が発動しなかったのである。
当主の証である時空転移の術が分かたれている。
逡巡の果てに、ベルフィオーレは次代の当主を決めるべく、ある難題を2人に突きつけた。
それは、異能の能力で未来へと赴き、城に隠した当主任命書を手に入れること。
弟は、当主の地位など興味はないと兄に座を渡すために協力を申し出た。
協力もあり、兄は任命書を手に入れた。だが弟の策略により、寸でのところで任命書を奪われてしまったのである。
死闘の末、どうにか兄は任命書を取り返し、ベルフィオーレ当主の座へと就いた。
敗れた弟は屋敷を後にした。
その後、功績を上げ、弟はガルシアの爵位を国王より賜ることとなる。
だが時を翔ける能力は糸が切れたように失われ、今も戻ることはない――。
ふぅと息を吐いたエメルダは、記憶が鮮明なうちにとコールへと問いかけた。
「異なる箇所はあった?」
腕を組んだまま、コールは記憶の断片をゆっくりと手繰り寄せていく。
「そうですね。俺が知る伝承では、兄のほうが当主になる気はないと言ったのに、弟から任命書を奪い取った、だったはず。ガルシアがベルフィオーレを恨む理由として、耳にタコができるほど聞かされました。まあ、ただの伝承ですし」
コールの口から紡がれる一語一語に頷きながら、エメルダの脳裏には新たな理論がスルスルと書き込まれていく。
「なるほど。2人の言い分が逆なのね。ふーん、よくある兄弟喧嘩のいざこざみたい……その兄弟喧嘩のおかげで、ベルフィオーレの異能は失われてしまった」
エメルダの肩が僅かに落ち、表情に影が差す。
それもまた束の間、
「だがしかーしっ、その異能を取り戻したのが、この可愛い可愛いルビィちゃんなのです!」
唐突に名を呼ばれ、ルビィの肩がびくんと跳ね上がった。
だがすぐに称賛の気配を感じ取り、苺のクッキーを皿に置いて得意げに胸を張る。
「お母様ったら、2人は何も知らないのよっ」
声を抑えることも忘却し、ガーネットは鋭い声で窘めた。
エメルダはというと、飄々とした様子でさらりと言葉を返す。
「いいじゃない。コールはガルシア家だし、ゲオルグは身内も同然で口も堅い。それにルビィちゃんの近くにいる以上、2人は知っておくべきだと思うわ。何かあってからでは遅いのだから」
「で、でもっ……」
不意に、ルビィと自分を庇って父親が命を落とす未来が脳裏に浮かび上がった。
胸元で強く握った指先とともに、ガーネットは躊躇うように言葉を引っ込める。
すると、コールの逞しい手が控えめに挙がった。
「あ、あの……さっきからお二人の会話を聞いていると、ルビィ、お嬢様はまるで未来から来たように感じるのは気のせいでしょうか。冗談ですよね? だってあれはただの伝承で……」
隣に腰を下ろしたゲオルグも微かに頷き、揺るぎない瞳で返答を待ち望んでいる。
答えを待ちに待つ2人の視線を捉え、エメルダの口元には愉悦に満ちた笑みが刻まれた。秘密を解くのを躊躇いながらもゆっくりと、言葉を紡いでいく。
「うふふ。冗談などではないわ。もちろんっ、ただの伝承などでもない。お察しのとおり、この子は未来から来た私の孫。つまり、ガーネの娘なのです‼」
「……は? あはは、そんなご冗談を………………んあっ!?」
エメルダの告げた言葉を、コールは事実だとは思わなかった。
冗談でしょと、笑い流すつもりでいた。
だが、傍らで頬を染めて俯くガーネットを視界に捉えた刹那、それが事実だと否応なく理解してしまった。
姫様の実の娘だと!?
確かに面影があるとは思っていたが…………む、むす、むすめぇ……っ!
儚く散りゆく砂の城のように、コールの心は脆く崩れかけている。そんなコールの心情を知ってか知らずか、エメルダは嬉々としてとどめの一撃を放つ。
「それもね。ルビィちゃんは、ガーネの20歳の誕生日に生まれたんですって。もうあと1年もないのよ、びっくり」
「……んな、なあぁァぁぁッ!?」
目前まで迫った驚愕に度肝を抜かれ、コールは思わず立ち上がった。
頬を紅に染めたガーネットと、立ち上がったコールの視線が重なる。
2人の纏う空気に、口元の緩みを抑えきれない。興が乗ってきたエメルダは、滔々と流れるる川のように滑らかに言葉を連ねていく。
「それなのにこの子ったら、まだルビィちゃんの父親を見つけ出せずにいるの」
ちらり、とコールに視線を流し、
「一体、どこのどなたなのかしら?」
「だ、誰なんだ。姫さま……っ!?」
どこか縋るように問いかけてくるコールを瞳に映したガーネットは、コールの筋骨隆々な身体を思い出して目を逸らす。
「そんなの、私だって知りたいくらい…………る、ルビィが言うには、名前に『レオ』が入っているって」
「レオンハルトはやめておけ!」
瞬きほどの間で返ってきたコールの言葉に、ガーネットはさらりと異を唱えた。
「どうしてレオンになるの? レオって名前の人はたくさんいるじゃない。カイザー殿下もレオサルだし…………それに、コールだってレオが入っているのに……」
意表を突かれ、コールの睫毛がふわりと跳ねた。
「あ、確かに。なるほど、それで姫様は『レオ』の名に反応したのか……」
「え? どういうこと?」
疑問の色を瞳に宿し、ガーネットは静かに問い返した。
宙を泳ぐようにコールの視線は彷徨い、やんわりと言葉を濁す。
「……んー、いや、なんでもない」
何とも言えぬ微妙な空気が、場を包み込む。
エメルダは満悦な様子で唇に弧を描き、ゲオルグは何も言うまいとティーカップで口元を覆っている。
ルビィの、クッキーを頬張る音だけが室内に妙に大きく反響していた。
そんなルビィはガーネットとコールの姿を交互に眺めながら、
「なんだかよくわからないけど、ふくざつなの」
と、呆れたように溜め息をこぼすのだった。




