第26話 傷モノ令嬢、母に不服を申し立てる
「ふん、ふん、ふーん♪」
軽やかな鼻唄が書斎室の空気を奏でていく。
ここは侯爵夫人の書斎室。
書斎机に座したエメルダ・ベルフィオーレは、舞い込んだ朗報に胸をときめかせていた。ベルフィオーレの遺跡に纏わる時空転移の文献に視線を走らせながらも、つい口元は柔らかく綻ぶ。
考古学界隈で御伽話と揶揄され続けた時空転移の謎が、ついに紐解かれるかもしれない。それも、私の可愛い孫の力を借りて。
すると、床を不規則に叩く足音が廊下の向こうから流れ込んだ。どこか怒りを帯びたその靴の音に、エメルダは笑みを漏らした。
ああ、思ったより早かったわね。
――バタンッ。
「お母様っ、どういうことです!?」
勢いよく扉が開いたと同時に、ガーネットの鋭い声がエメルダを突き刺した。素知らぬ振りを装いながら、エメルダは驚きの声を巧みに繕う。
「あらガーネ、そんなに顔を真っ赤にして。雪原の雪華みたいに落ち着きのあるあなたが、そんなに興奮してどうしたの?」
「どうしたのって。こちらの台詞ですっ。どうして私とコールの部屋が、つ、つ……繋がっているのですかっ!?」
ガーネットの上擦った声につい頬が緩みそうになるが、エメルダは平然としたまま、幼子を諭すように声を紡ぐ。
「コールの部屋と繋がっていてダメな理由があるの? 1日中、仲良く一緒にいるじゃない。宿の見張りの時だって、いつも扉の前にいるのでしょう」
さも当然とばかりの母の言葉に、ガーネットはたじろぎ、動揺を禁じ得ない。
「あれは護衛しているのであって、仲良くしているわけじゃ……それに、ダメに決まっているでしょ。年頃の、若い男女の部屋が行き来できるだなんて……そんなの……はれん、ち……」
「ふふっ。あらあ、そんなこと気にしちゃって……」
ふーん、奥手なガーネがここまでムキになるだなんて。
存外にも、コールは意識されているみたい。
まあ母親の立場としては、娘に促すのはどうかとも思うのだけど……。
「ガーネはもう、あのバカ殿下とも別れて婚約者もいないのだし、別にいいじゃない」
三日月のように細まった瞳はガーネットではなく虚空を見据え、口元は熱を孕んだように吊り上がる。どこか現実離れした、有無を言わさぬエメルダの微笑み。
その笑みに、ガーネットの瞼が揺れた。
この笑顔知ってる。子供の頃から見てきたもの。
研究に没頭している時のお母様の顔だわ。
……え、どうして私とコールの部屋が繋がっているとそんな顔をするの?
何か裏がある気がしてならない。其処は彼と無く怪しい……。
ガーネットの猜疑の心を読み取ったのか。何ひとつ隠すものなどないと示すように、エメルダはそっと両の手のひらを晒してみせた。添えられた穏やかな微笑みの奥に、隠しきれぬ含みが覗いている気がした。
「いいじゃない。私も結婚前、ジャスパーにあの部屋に通されたわ。外からも廊下からも別室に見えて、逢引きには丁度いいでしょう?」
「あ、あっ……あいびきぃぃぃ!?」
ガーネットの喉元から、まるで寝過ごした鶏の叫びのような声がこだました。
流石のエメルダもこれには我慢ならず、屈託のない微笑みを咲かせる。
「ふっ……あら、ま。ガーネったら、あなたもそんな声出すのねぇ」
革張りの椅子から立ち上がり、エメルダはガーネットの華奢な肩に手を置いた。
「まあ、落ち着いて。ガーネはちょっと旅の疲れが嵩んで興奮しているのよ。そうだわ、お母様の休憩に付き合ってくれる?」
静かに視線を滑らせ、開いたままの扉へと促す。
「可愛いあの子も、一緒に……ね?」
エメルダの導いた先には、不安を募らせ扉から顔を覗かせるルビィと、その傍らに寄り添うコールの姿があった。二人とも、案じるようにこちらに視線を投げかけている。
ルビィの心配げな眼差しを捉えた瞬間、ガーネットの胸奥に滾っていた怒りが灰のように散っていく。
「ええ、そうね。みんなで休憩にしましょうか……」
穏やかなガーネットの声に呼応するように、エメルダは休憩を告げるベルを鳴らした。張り詰めた空気が緩やかにほどけ、茶席の支度がそっと動き始める。
だがエメルダの口元には、意味深な笑みが静かに刻まれているのだった。




