第24話 ベルフィオーレの古城
淡い桃色の花びらがふわりと揺れる。咲き誇った可憐な花々がアーモンドだとは、ひと目では気づかぬ者もいるだろう。
アーモンドの花の並木道を抜けると、そこはベルフィオーレ領だった。
ガーネットたちの馬車の横手に、肩を並べるようにもう1台の馬車が並走していた。その馬車の窓からは、目尻に涙を光らせたレオンハルトが名残惜しそうに手を振っている。
『ガーネ! 明日、会いに行くからね。待っていて』
車内でのレオンハルトの必死の叫びも、馬車の騒めきに呑まれ、届くことはなかった。
レオンとはここでお別れ。
レオンの向かうシュナイダー家の別荘は、東部の、湖畔の方角にある。湖畔が寄せる涼風が満ちる避暑地として有名で、貴族の別荘が立ち並ぶ場所だ。
対して、我がベルフィオーレ家は西部の山麓に、山を背負うようにして居を構えている。
しばしの別れを惜しむ(?)ように、私とルビィもレオンの涙に応えて手を振った。
でも少しだけ、胸が軽くなった気がするのはどうしてかしら?
馬車の外では、白馬に跨ったコールが「やれやれ……」と呟き、ようやく肩の荷が下りたとばかりに安堵の溜め息を吐くのだった。
街道をさらに進むと、雄大な山々の連なりを背景に、古城の輪郭がぼんやりと浮かび上がっていく。語り尽くされた御伽話の1頁のような神秘的な光景に、つい視線も引き寄せられる。
すぐに気づいたルビィは窓に頬と手のひらを張りつけたまま、活気のある声を張り上げた。
「わあ~、おっきなおしろっ!」
ルビィの耳元にそっと顔を寄せ、ガーネットは穏やかに告げた。
「あれがママさまのお家よ」
「おうちがおしろ? やっぱりママさまはおひめさまなのっ」
満開の花が咲いたように笑みをほころばせ、ルビィは嬉しさを体現するようにガーネットの胸に抱きついた。
雄々しい山々と森林の緑に包まれた古城、ベルフィオーレ城。
それがベルフィオーレ家の、ガーネットの生家である。
時を翔ける能力を駆使し、ベルフィオーレが栄華を極めた古の季。己の欲望を満たし、贅を世に知らしめるべく、当時のベルフィオーレ家当主は城を築いた。
しかし500年以上の月日が流れ、現在は改修の手間が絶えない。今も城の片隅には足場が組まれ、修繕の手が入り続けている。
ルビィの期待に添えず申し訳ないけれど、私は優雅なお姫様ではない。改修工事が絶え間なく続く、木槌の音が鳴りやまぬ古びた城の令嬢なのである。
その時だった。
――ヒヒィィィィンっ!
馬蹄の音を唸るように轟かせ、背後から激しい馬の嘶きが響いた。
驚愕も置き去りに、ガーネットとルビィは背後の窓から外を覗く。そこには、馬に乗った壮齢の女性が大きく手を振っていた。手を振りながらも、女性はある人物の名を繰り返す。
「ガーネ! ガーネットっ!」
「おっ、お母さま!?」
驚きが声に走ったものの、すぐに柔らかな微笑みをこぼし、ガーネットはルビィとともに手を振り返した。珍しいものでも見るように、ルビィは淡い青碧の瞳を輝かせている。
こんな突飛な行動も、「お母様だし」と妙に腑に落ちてしまう。
そのまま、母の乗った馬は歩調を合わせ、コールとゲオルグの馬と合流した。並び立った3頭の馬を先頭に、馬車はベルフィオーレ城を目指した。
――城門をくぐると、そこはベルフィオーレ城。
黄色くくすんだ砂岩の城壁は苔むし、雨風に磨かれ丸みを帯びた石肌が長い年月を物語っていた。城の正面中央には美しい噴水が据えられており、ガーネットたちの帰還を水飛沫とともに迎えてくれる。
停車した馬車から、ガーネットはそっと降り立った。すると、ガーネットがベルフィオーレの地を踏みしめたと同時に、柔らかなぬくもりが包み込む。
「おかえりなさいガーネっ。元気だった? あら、前とすると、血色がよくなったみたい」
この太陽みたいに燦燦とした女性は、私の母エメルダ・ベルフィオーレ。
ひとつに束ねた黒髪が尻尾のように跳ねるたび、母の快活な気質が滲み出る。服や頬に土埃の跡があるけれど、こう見えても侯爵夫人。
でもお母様には侯爵夫人の顔以外にも、もう一つの顔がある。というか、こちらが本当の顔かしら……お母様はなんと、遺跡研究の考古学者なのだ。
母の抱擁に誘われるように、ガーネットも柔らかく微笑みを返す。
「ただいま戻りました。お母様は今日もとっても元気そう。遺跡の帰り?」
「ええ。遺跡調査を終えてのんびり帰っていたら、見覚えのある馬車が見えたものだから。もしやと思って、馬を飛ばして追いかけてしまったわ。ジャスパーからの手紙で、ガーネたちが帰ってくるのは知っていたし……あら、あらあら?」
エメルダの瞳が小さな珊瑚色の頭を捉えた。
突如、人見知りの発作が起こったように、ルビィはコールの背に身を寄せ、ちらちらと様子を窺っている。
「この子が手紙に書いてあった……ルビィちゃんね‼ んまあ可愛い!」
人見知りの気配などなんのその。エメルダは風を切るように駆け寄り、人見知りなど吹き飛ばすような弾ける笑みを放った。
「こんにちはルビィちゃん。私は、あなたのお祖母様のエメルダよ」
コールの外套の裾を握り締めながら、ルビィはまばたきを落とした。
「おばあさ、ま……?」
孫に初めて名を呼ばれ、嬉しさのあまりエメルダの声は興奮を隠しきれない。
「んまあっ……まあまあまあっ! うふふ、そうよ。私の可愛い『孫』ちゃん。まさかこんなに早く、時を読み間違えたみたいに出会えるなんてね。思ってもみなかった」
突如耳に触れた『孫』という響きにコールとゲオルグは眉をひそめ、顔を見合わせる。その瞳は「どういう意味だ?」と共に疑問を呈していた。
気づいたガーネットは、慌てたように声を差し挟んだ。
「ちょ、ちょっとお母様っ。こんなところで、孫だなんて言ったら秘密が」
声を抑えるガーネットに対し、エメルダは悪びれることもなく言葉を紡ぐ。
「いいじゃない。この2人なら問題ないわ。それにしても、小さな頃のガーネにそっくりね」
ルビィの顔を端々までじっくりと見回す。やがて、ルビィを中心に捉えていた視界がガーネットへと移った。ゆるりと観察し終えると、どういうわけか、コールに視線を流した。
「……やっぱり。私の理論が…………ブツブツ」
脳裏に浮かぶ論文をなぞるように、エメルダは微かに声を漏らしている。が、すぐに思い立ったように、
「あ、こんなところで立ち話もなんだし、まずは旅の疲れを取るべきね。そうだわ。ガーネの部屋は改修区域内だから、今回は別室で過ごしてちょうだい。ガーネの私物は運んであるわ」
「あら、そうなのね。わかったわお母様」
控えていた使用人の案内に導かれ、ガーネットたちは長い廊下を進み、部屋へと向かった。
だが、ガーネットは知らなかった。
見送るエメルダの口元に、ニヤリと妖しい笑みが揺れていたことを――。
【登場人物メモⅧ】
エメルダ・ベルフィオーレ
45歳。ガーネットの母。ベルフィオーレ侯爵家夫人。
ベルフィオーレの遺跡研究の第一人者。研究に没頭すると周囲が見えなくなる。
その犠牲の矛先は、大抵ガーネットである。研究の手を離れれば娘想い。




