第21話 素敵なワンピースはいかが?
――湖上街、リングロータス。
湖に揺蕩う優美な蓮のように、この街は広大な湖の上に静かに佇んでいた。
青い煉瓦で築かれた建物が整然と立ち並び、洗練された街並みが湖面の光を浴びて美しく広がっている。
湖面の煌めきも美しいが、この街はファッション街としても名高い。道行く人々も最新の仕立てに身を包んで誇らしげだ。この場から新たな流行の風が吹き出すことも多い。
セイラの提案で、ルビィの服を見繕いに立ち寄ったのである。
馬車を飛び出したルビィは、ショーウインドウに並ぶ煌びやかな服に目を奪われては嬉しそうにはしゃいでいる。
無理もない。もう4日も馬車に揺られている。
座りっぱなしの馬車生活。私でさえ飽き飽きなのだから、子供のルビィの退屈は推して知るべしだろう。
封じていた元気を一気に解き放つように、ルビィは明るさを咲かせた。
「きれいなお洋服なの!」
背後から顔を出したのは、満面の笑みを浮かべたセイラだった。
「うふふ、本当ですね。ルビィお嬢様はどんなお洋服がお好きですか?」
「んー……それはむずかしいもんだいなの。んー、んんー。あ、あの水色のお洋服!」
軽い唸り声と明るさを織り交ぜながら、涼やかな水色のセーラーワンピースを指差した。襟元のセーラーカラーがひと際可憐で、微笑みを誘う。
ルビィとセイラの弾むような背を、ガーネットは朗らかな眼差しで見守っていた。
すると、颯爽とした足取りでガーネットの横に並ぶ青年が現れた。
湖上の風に月白色の髪を遊ばれ、撫でるように髪を押さえたレオンハルトである。平常通りにベルフィオーレに行くならば、リングロータスは遠回りだというのに、当前と言った様子で同行するのだった。
煌びやかなショーウインドウが続く通りには、お洒落なカフェも点在していた。
友人と何の気ない会話を楽しむ者、穏やかに新聞を読む者。そして恋人たちも、人の目を気にすることなく優雅に愛を交わしている。
その光景に、自分とガーネットを重ねたレオンハルトは甘く蕩けるように零した。
「ねえ、ガーネ。子守りはセイラに任せて、そこのカフェでお茶でも」
しかし、レオンハルトが呼びかけた頃には、ガーネットの姿は霧のように消えていた。
「ルビィ、そのワンピース可愛いわね」
ガーネットの柔らかな声が響く。ガーネットが目を離せずにいたのは、ショーウインドウに飾られたワンピースを見てぴょんぴょんと飛び跳ねるルビィだった。
「ねー、可愛いの。フリフリしてるっ」
「ふふ、このお店に入ってみる?」
ガーネットとルビィは仲良く手を繋ぎ、洋服店へと消えていった。
――ギギィ、ギギギィ。
レオンハルトの周囲で、岩盤がギリギリと軋むような音が空気を震わせた。通り過ぎる人々は、何の音かと周辺を見渡すが謎は解けずじまい。
軋む音の正体は、なんと、レオンハルトが激情を噛み締めるように奥歯を鳴らした歯ぎしりだった。
あの子供が来てからだ、ガーネが僕を瞳に映さなくなったのは。
今までは僕が名を呼べば、何を置いても優先してくれたのに……微笑んでくれたのにっ。
カランカラン。
ふわりと澄んだドアベルの音が、店内に広がった。
店内には、花びらが幾重にも重なったようなフリルのドレスやリボンが映える可憐なドレスなど、少女たちの夢を形にしたドレスが並んでいた。
まるで絵本の世界にでも紛れたような夢心地に、つい胸が高鳴る。
店の奥から、すぐさま穏やかな笑顔を刻んだ店員が出迎えた。よく似た仲睦まじい母娘に、店員はさりげなく声を掛ける。
「いらっしゃいませ、お嬢様のお召し物をお探しですか?」
愛らしい子供服の並びに目を奪われながらも、ガーネットは目的を話す。
「ウインドウに飾られたワンピースを見せてくれますか? セーラーカラーの」
試着室の朱色のカーテンが幕が上がるように開いた。
舞台から現れたのは、愛らしいセーラーワンピースを纏ったルビィだった。水色の涼やかな生地が、ルビィの珊瑚色の髪に映える。
どこか照れたように、ルビィは後ろ手で指をもじもじと動かしていた。
「とっても可愛いわ、ルビィ!」
ガーネットの声が届くとすぐにその気になったのか、ルビィは水の妖精のようにくるりとその場で翻り、スカートをふわりと揺らす。
ガーネットとセイラ、それに加えてコールも、ルビィの愉しそうな様子を微笑ましく見守っていた。いつの間にか店内に入ったレオンハルトも、冷ややかな眼差しで視線を向けていた。
青碧の瞳に歓びを宿し、ガーネットの頬は自然と緩んでいく。
なんて可愛いらしいのだろう。
この子が私の娘だなんて、正直まだ夢じゃないかと思うことがある。でも、朝目覚めた時にこの子の警戒心のない寝顔が隣にあると、どうしようもなく愛おしいと感じてしまう。
あまりに愛らしくて、ガーネットは溜め息のように言葉をこぼした。
「まるで、本物のお姫様みたいに可愛いわ」
その言葉に強く反応を示したのは、ルビィだった。
「おひめさま? それならママさまが着るの!」
突然試着に誘われ、ガーネットは困惑した眼差しでルビィを覗き込んだ。
「え……どういうこと?」
「だって、コールがいつもひめさまって呼んでるもん」
セーラーワンピースを身に纏い、「違うの?」と首を傾げたルビィの破壊力は天使の如く凄まじく、ガーネットの胸がきゅんと甘く跳ねた。
すると、大人用のワンピースを手に抱え、店員がここぞとばかりに気を利かせる。
「そちらのセーラーワンピースはお母様用もございますよ。ご試着してみませんか?」
気づいた時には、ガーネットもセーラーワンピースに袖を通し、ルビィと並んで鏡の前に佇んでいた。
服まで揃えた鏡に映る母娘の姿に、ガーネットは血のつながりを感じずにはいられなかった。
あ、こうして見るとやっぱり、私とルビィは母娘だわ。
「お母様もとってもお似合いですわー」
「ど、どうも……」
んん? というか、私って普通にルビィのお母様に見えているのね。
まあ、あと1年先にはそうらしいのだけど……確かに母娘だと自分でも思った。でも、一応まだ19歳だし。
ルビィは嬉しそうにガーネットの周囲をくるくると回った。ふんわりと丸みを帯びたスカートが、ルビィのお転婆さを引き立てる。
「ママさまとお揃い嬉しいの~」
その時、その穏やかな空気に水を差す声が響いた。
「そのママさまっていうの、やめない? ガーネが本当に母親みたいじゃないか」
にこやかに笑顔を浮かべているが、瞼はピクピクっと動き、レオンハルトの内なる苛立ちを滲ませている。
言葉を零したレオンハルトが睨んだ先は、『ママさま』と呼ぶルビィではなく、ガーネットを母親と決めつけた店員だった。
流石に察したらしく、レオンハルトの鋭い眼光から逃れるように店員は瞳を泳がせる。
「ま、まるで親子のように似合っておりますわ~、おほほほ」
引き攣った笑みを浮かべつつ、店員はじりじりとカウンターへと後退っていく。
だが、一度着いた火種は消えることはない。ルビィとレオンハルトの視線が火花を散らすようにぶつかり合う――!
ガーネットの背に身を隠しながら、ルビィはぼそりと呟いた。
「……ママさまはママさまなの」
聞き逃すはずもなく、レオンハルトはぴくりと頬を引き攣らせ、苛立ちを込める。
「ちがう、ガーネはガーネだ」
どちらも一歩も譲らぬと知らしめるが如く、空気を震わせるほどの緊張が続く。
5歳と18歳の壮絶な睨み合いに、その場の一同は、対処の方法を乞うようにガーネットへ視線を送った。
――すでにガーネットは、争いの火花を鎮めるように、レオンハルトの腕にそっと手を添えていた。
「レオンやめて。ルビィは何も悪くないわ。私がルビィにママ様と呼ぶようにお願いしたの」
そのひと言で、レオンハルトの瞳孔が驚愕に揺れる。
「なっ、何だよそれ!? ガーネ、その子にちょっと甘過ぎ……ガーネの子供じゃ、ないんだよね?」
苛立ちのこもった声がこだました。
問いかけに否定も肯定もすることなく、ガーネットはただレオンハルトを見据えた。そこには、子を守らんとする母の気迫があふれている。
その気迫に根負けしたのか、レオンハルトの唇から深い溜め息が落ちた。
「……はーあ、まあいいや。僕は外にいるから」
カランカランっ。
冷えたドアベルの音が、温度を奪うように響いた……。




