第20話 欲望には忠実になるべし!
ミニトマト嫌いを巡る騒動を、レオンハルトは向かいの席で見物していた。
テーブルに頬杖をついたまま、にやりと唇を吊り上げ、愉悦に満ちた微笑みを浮かべる。
「こういうのはね、ご褒美が貰えると尽力するものだよ」
肌を撫でるような甘い視線でガーネットを見つめ、
「ねえガーネ。僕がミニトマトを食べたら『頭を撫でて』くれる?」
意外な願いに目を見張ったガーネットだが、不可思議さを覚えつつも頷いた。
「……え? それは、いいけど」
その返事を聞くが早いか、レオンハルトは自分の皿に残っていたミニトマトをフォークでひと刺しし、ぱくりと口に運んだ。よく咀嚼し、ぺろりと上唇を舐めると、どこか含みのある笑みを浮かべた。
「うん、美味しい。じゃあガーネ、もっと美味しいご褒美もらえる?」
有無を言わさず、向かいの席からそっと頭が差し出された。
今さら、「え、本気だったの?」と零すこともできず、ガーネットはレオンハルトの絹糸のような髪に指を滑らせた。
髪の流れに逆らわぬように、レオンハルトの頭をゆっくりと丁寧に撫でた。撫で方を試行錯誤するガーネットの下では、レオンハルトがここは天国の花畑かとばかりに、恍惚な笑みを溢れさせている。
後方で見守っていたセイラは、気づかれぬようにチィと唇を噛んだ。
「ルビィお嬢様の好き嫌いを上手く利用して、頭を撫でてもらうだなんて、羨ましいっ」
コールも呆れたようにぼそりと呟く。
「すげえな。相変わらず欲望に忠実だ」
だが、この欲望には思わぬ人物が対抗心を燃やした。
「ママさまー、ルビィもミニトマト食べたの。なでてなでてー」
なんと、ルビィが大嫌いなミニトマトを自ら口へ運んだのである。
「まあっ、すごいわルビィ。思ったより美味しかったでしょう?」
温かなガーネットの手が、ルビィの頭を包むように優しく撫でた。指先にこそばゆさを覚えながら、ルビィはその心地よさに身を委ねる。
「うん、甘くておいしかったの。くだものみたい」
穏やかに笑顔を重ねる二人の姿を、セイラは満ち足りた眼差しで見守っていた。
そういえば、コールさんもトマトが嫌いな様子でした…………そうだ!
閃きが走った瞬間、氷の上を滑るようにコールの傍へとにじり寄った。ガーネットたちに注意を払いながらも、潜めた声は真剣さを帯びている。
「トマト嫌いのコールさん。あなたはよろしいのですか?」
「ん、何が?」
理解できず、コールは首を捻った。
だが、セイラの声色が微かに研ぎ澄まされ、
「お嬢様のなでなで欲しくないんですか!?」
ようやく合点がいったコールの瞳がゆらりと揺れた。
「え、いや……俺は、べつに」
普段の明朗さもない曇りがかったコールの態度に、セイラの直感が火を灯した――ここは何が何でも、コールをけしかけるべきだと。
大きく息を吸ったセイラは、抑え込まれた濁流が堰を切ったように早口で捲し立てた。
「お嬢様のなでなで。こんなチャンス二度とないかもしれないのに、易々と逃していいんですか? たまには、コールさんも欲望に素直になってもよろしいのでは?」
「んぁ、急に何を……?」
困惑の渦に引きずられるように、コールの思案が深みへと沈んでいく。
さっきから俺のことを挑発して、セイラさんは一体どうしたんだ?
ふと、向かいを警護するゲオルグと視線が合った。腰元の親指をぐっと立て、背中にひと押しの勇気を授ける。
ゲオルグ先輩まで……ん。何だ、何だ?
俺の知らないところで、この人たち何か企んでないか?
そりゃあ、俺だってさ、姫様のなでなで……(赤面)……されたいけど、俺は、姫様の護衛なわけだし。
でも、でもなあ……姫様のなでなで…………なでなでぇ……。
コールの中で【欲望】と【護衛】の天秤がせめぎ合う。【護衛】の矜持に傾いては、【欲望】に重石が足されていく。
やがて、ぐらぐらと揺れ動く天秤が傾いたのは――
カツカツカツ。迷いを断ち切る靴音を鳴らし、コールはテーブルへと向かう。すぐに気づいたガーネットが反射的に顔を上げた。
「えっ、コール。どうしたの?」
無言のまま、ルビィの皿に残ったもう一つのミニトマトを掴んで頬張った。息を止め、味わうことなく、噛み砕く。コールの琥珀の瞳は、湖底から水が湧くように潤んでいくのが見てとれた。
嫌悪と覚悟が混ざり合う、本当にミニトマトが苦手な人間の食べっぷりに、ルビィはあんぐりと口を開けたまま固まってしまった。
ゴクリ。瞳に涙を滲ませながらも流し込み、どうにか完食へと辿り着く。血の気の失った頬を震わせ、屈むように身を縮めたコールは静かに頭を差し出した。
「姫様、俺も…………」
先ほどから繰り返される3度目の光景に、流石のガーネットも意図を読み取った。
え、コールの頭も撫でるの?
頭を撫でられることが、流行っているのかしら。
理由はよくわからないけど、本当に苦手なのに頑張って食べていたし。
「コールも、大嫌いなミニトマトを食べてとっても偉いわ」
濃紺の髪の森へとガーネットの指先が沈んだ。ふわふわと、羽毛のような柔らかな触り心地に、ガーネットの瞳も和らぐ。
まるで陽だまりの中でお昼寝する猫を撫でているみたい。
なぜだろう、この温もりを知っているような……。
記憶の波を辿るが波打ち際に追いやられ、辿り着くことはできなかった。
ガーネットが首を傾げているその傍ら、コールは羞恥に囚われていた。
やばい……顔が勝手に緩む。
こんな顔っ、護衛対象に絆されてこんな顔してたら、護衛として失格だろ。
固く結んでいた想いがほどけるように緩んでいく頬。悟られまいと、コールは静かに瞼を伏せた。
だが耳まで赤みを帯びたその輪郭は、コールの胸の内を映したかのようだった。
満ち足りた喜びを刻んだ口元で、セイラは二人の時間を見守っていた。
やっぱり、お嬢様からのなでなで嬉しかったんですね。
……これは、もしかして もしかしなくともっ、脈ありなのでは?
期待に瞳を輝かせるセイラとは裏腹に、レオンハルトの昏い瞳の底には灼けつくような嫉妬の炎がゆらり、ゆらりと灯り始めた。




