第18話 傷モノ令嬢、スキャンダルに放り込まれる
――宿屋に併設された食堂の最奥の特別個室。
天井から吊るされたくすんだ灰水晶のシャンデリアが、ダマスク柄の壁に反射し、淡い明光を引き立てている。漆黒の木目は光の揺らめきを吸い込み、どこか落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
街道に居を構える宿屋とは思えぬほどの豪奢な部屋。
その部屋の中央。二人掛けのテーブルで、ガーネットとレオンハルトは穏やかに夕食を楽しんでいた。ガーネットのやや後方には、護衛のコールが息を潜めるように控えている。
レオンハルトはフォークをそっと皿に置いた。磨かれた銀の輝きがシャンデリアに揺れる。コバルトブルーの瞳を綻ばせ、秘密を語るようにガーネットに語りかけた。
「そういえば、知ってる? 明日の早朝には、国王陛下が北部の視察から緊急で戻られるそうだよ」
思いがけない内容に、ガーネットは首を傾げた。長い睫毛を、数度瞬かせる。
「あら、今回は1か月の長期視察のご予定じゃなかったかしら。まだ出立から3日も経っていないのに」
「それだけの大事が起きたんだよ。ガーネにも関わる話だけど」
レオンハルトの愉悦に満ちた瞳は、ガーネットの驚愕の表情を映していた。
「私にも?」
脳裏をよぎった可笑しさに耐えきれず、レオンハルトはくくっと喉の奥を鳴らした。その響きには、嘲るような冷笑が混じっていた。
「カイザー殿下は大目玉を食らうだろうな。国王陛下が尽力して取り付けたベルフィオーレ……ガーネとの婚約を身勝手にも破棄してしまったのだから」
皿の縁を指の腹で撫でながら、ちらりとガーネットを流し見る。
「もしかしたら王太子の地位を剥奪。乱心した殿下は、ガーネと縒りを戻そうと言い寄ってくるかもしれない」
フォークを握るガーネットの右手が強張り、小刻みに震え出す。
それは、2度ともうカイザー殿下の隣に立ちたくないという拒絶が、ガーネットの指先に滲み出た震えだった。
縒りを戻すですって……それ、は……
もちろん侯爵家の娘に生まれた以上、家と家とを繋ぐため、貴族としての役割は果たさなければならない。
でも、カイザー殿下は…………私のことを傷モノと揶揄し、妾として傍に置くと言い放った。
瞼を伏せたガーネットは、ささめくような声を漏らす。
「そ、そんなの嫌だわ」
すると、ガーネットの震えた指先に温もりが触れる――レオンハルトの手のひらが、震えるガーネットの指先を寄り添うように優しく包み込んだ。
レオンの手……私の手よりもずっと大きい。意外と、骨ばってるのね。
子供の頃は私が手を引いて、私の指をキュッと握り返していたのに……もうすっかり大人の、男の人なのだわ。
どこか淋しさを滲ませていると、レオンハルトの柔らかな声が頭上から降ってくる。春の陽だまりのような柔らかな眼差しを寄せながら、寄り添うような声が耳朶をふわりと撫でた。
「そうだよね。あちらの都合で、今さら縒りを戻すなんて嫌だよね」
不意に、レオンハルトの柔らかな口元が歪み、悪戯っぽい少年の顔が覗く。
「だから、ちょっとした仕掛けを用意しておいたよ」
「仕掛け?」
そう呟いたガーネットの唇を見つめながら、レオンハルトは秘密を打ち明けるように声を潜ませた。
「うん、明日になればきっとわかるさ。楽しみにしておいて」
∻❖∻
明朝。ガーネットの客室にて。
「おっ、おじょうさま……おじょうさまあぁーっ!」
バタンッ。ガーネットを呼ぶ声が廊下中に響き、寝室の扉が勢いよく押し開いた。
自分の名を叫ぶ声に、夢の中から連れ戻される。
パチッと瞼を跳ね上げ、ガーネットが視線を向けると、セイラがぜえぜえと息を切らしながら肩を揺らしていた。
ガーネットの隣で眠るルビィは寝息を立てたまま、まだ深い夢の底らしい。
ルビィを起こさぬよう、ガーネットは声を落として問いかけた。
「……どうしたの、セイラ」
セイラの手には、今日の新聞が固く握り締められていた。指の跡が残るほど新聞は皴を刻み、すっかり縒れてしまっている。くしゃりと歪んだ新聞を広げ、そのまま一面を掲げた。
新聞の見出しは、
『カイザー王太子殿下、ガーネット・ベルフィオーレ様との婚約を解消。M令嬢との親密な関係が原因か!?』と綴られている。
婚約解消、それはもちろん真実である。だがしかし、この見出しはベルフィオーレ王国に根を張る暗黙の了解を見事に破っていた。
「王家が発表する前に、新聞が先に報じるだなんて……大丈夫なのかしら」
王族は尊ばれるべき存在――ニーレンベルギア王国にとって、王家に連なる者を愚弄するのは神をも冒涜する行為と同等なのである。
過去には王族を侮辱した新聞社が潰されたなんて、耳に挟んだことがあるけれど……これは背後に、相当に権力を持った人物がいるのかしら。
寝台から起き上がり、セイラから新聞を受け取ったガーネットは、書斎机のランプを灯して新聞の文面に目を走らせた……。
読み終わったガーネットはふぅと安堵の息をこぼす。
よかった。ルビィのことは、何も書かれていないわね。
ミスティナ令嬢と懇ろになったのが原因とか。すでに婚約破棄を突きつけたのは10回目で、ガーネット嬢は仕方なく……とか。
包み隠さず真実を書き連ね、王族への敬意など微塵もない。何となくだけど、記事を書いた記者のカイザー殿下への嫌悪が感じられた。
「あ、それとっ……こちらも読んでください」
ガーネットの手から新聞をそっと持ち上げ、セイラは新聞を捲り始めた。紙の擦れる音が響く。ぺらぺらと捲られた紙面の中ほど、左端の小さな記事をセイラの指先が静かに示した。
そこには――
ガーネット・ベルフィオーレ嬢は、かねてより親交のあったレオンハルト・シュナイダー卿と悲しみの抱擁。仲睦まじい様子を多数の人物が目撃している。シュナイダー卿との婚約が秒読みだろう。
短文ながら2人の未来を既成事実の如く匂わせる記事に、ガーネットの瞳に抑えきれない動揺が走る。
主廊下での出来事は、やはり広がってしまったのね。
まるでレオンとの婚約が決まったみたいに書かれている……婚約の事実なんてこれっぽちもないのだけど。
ルビィのパパ様を探さなければいけないのに、これではパパ様候補の方と出会うどころではないわ。一体誰がこんな確証もない記事を……?
淡い朝霧が宿屋を包み込む明朝。
眉間に指を押し当てたガーネットは、深い溜め息とともに静かに頭を抱えるのだった。




