第16話 侍女セイラのささやかなる企み
――ガーネットお嬢様の様子がおかしい。
旅行鞄にガーネットの衣装を畳み入れていたセイラは、不意に手を止め、眉間に皴を寄せる。
昼間、王城を発って馬車に乗り込んだ頃からだろう。
コールさんの姿を認めるたびに、どうしたことかお嬢様は僅かに首を横に振る。まるで我が身を戒めるように。
私が馬車の手配に向かったあの僅かな隙間に、私の知らない何かが、王城で起きたのだろうか? 確かに、コールさんもお二人の輪にごく自然に加わっていた。
ぐぬぬっ……お嬢様の大事に立ち会えなかったとは、不覚っ。
こうなったら、手段を選んでいる余裕はない。
多少強引になろうとも、お嬢様のその可愛らしい口から聞き出さなくては……!
それにルビィお嬢様の口ぶりだと、5年後のガーネットお嬢様のお傍に私はいない。この事実がどうしても許せませんっ。
森に隠れ住むお嬢様のお傍にいないなど、未来の私は一体何をしていたのか。
17年近くガーネットの傍に仕える侍女セイラにとって、ガーネットは実の妹よりも近しく、人生の一部といっても過言ではない。それでいて庇護欲を掻き立てられる、唯一無二の存在――それがガーネットである。
明日に備えた荷造りを終え、部屋に積まれた旅行鞄を一瞥する。
本日最大の難所を越え、セイラの肩の荷もゆるりと下りた。
そしてようやく、ガーネットの一日の疲れを癒す湯浴みの時間が訪れた。
寝着やタオルの準備を整えるその陰で、この刻を待ち侘びていたとばかりにセイラの瞳がギラリと光る。ふんわりと結ったお団子を揺らし、ゆっくりと踵を返す。
おもむろに護衛二人に視線を移し、セイラの口元に普段と変わらぬ穏やかな笑みが灯った。
「それではゲオルグさん、コールさん。湯浴みの時間ですので、廊下へ退出してくださいませ」
「りょーかい」という、コールの澄んだ声が空気を明るく照らす。
無言のゲオルグとともに、二人は廊下へと姿を移した。
梔子色のタイルを張り巡らした浴室は既に温かな湯気に包まれ、バニラの香油がふわりと立ちのぼり、心まで癒してくれる。
浴室の中央に置かれた猫脚バスタブでは、すでにルビィが乳白色の湯船に浸かっていた。真剣な眼差しで玩具のアヒルを見つめ、ゆらゆらと揺蕩うアヒルの後を追いかけている。
ルビィの冒険を邪魔しないようにと、ガーネットはルビィと反対側の湯船にそっとつま先を沈めた。湯面の白が波紋を描くとともに、浴室の灯りを揺らす。
安息のひと時に、ガーネットもほうと安堵の息をこぼした。
すると、背後からセイラがそっと顔を出す。きめ細やかな泡をたっぷりと含んだスポンジを携え、そっと背中を撫でていく。
普段と変わらぬ柔らかな声音で、セイラは胸奥に引っかかっていた疑問をさらりと投げかけた。
「お嬢様、どうかなさったんですか? コールさんを見てはそわそわなさって」
青碧の瞳を瞬かせ、ガーネットは肩越しに視線を落とす。
「気づいていたのねセイラ……あのね……」
冬の名残の薄氷を踏むように躊躇いがちに、唇からこぼれた。
「……ルビィの、パパ様候補が増えてしまったの」
「え?」
セイラが聞き返すが早いか、ガーネットはさらに言葉を綴った。
「コールの本名って、コールレオンって言うのですって」
瞬間、
「ふオォ――~ッ!?」
穏和なセイラの唇から出たとは思えぬ、ほとばしる奇声が走った。
何が起きたのか状況を飲み込めず、ガーネットの思考は雷鳴に打たれたように途切れた。が、すぐにセイラを見つめ、瞳に心配の色を映す。
「え、セイラ……な、なに!? どうしたの、どこか痛むの?」
ガーネットの視線の先には、すでに普段の穏和な表情を取り戻したセイラが微笑んでいる。
「うふふ。すみません、取り乱しました」
穏やかな微笑みとは裏腹に、セイラの心の内は高鳴る興奮の波が押し寄せていた。
コールさんの本名がコールレオン!?
……それは話が変わってきますよ、お嬢様っ!
ガーネットお嬢様が会話を交わす男性は、片手の指にも満たない。
どれほど遠くにいても、匂いを嗅ぎつけるが如く出現して迫るレオンハルト様。
会話が成立しているのかは不明だが、一方的に貶してくるカイザー殿下。
護衛としてだけでなく、何かと世話を焼くコールさん。以上の3名である。
なお、ゲオルグさんは無口なお方なので除外しております、はい。
驚くほどに三者三様である。
でももしお嬢様が夫婦の契りを交わすならば、絶対に……ぜぇーったいに、コールさん一択だろう。
我の強い面々に何かと遠慮がちなお嬢様だが、コールさんには肩の力を抜いた調子で意見を述べる。すでに対等な立場が完成しているのだ。
ガーネットのしなやかな背をスポンジでなぞりながら、セイラはルビィへと視線を滑らせた。アヒルをバスタブの縁に慎重に乗せ、「アヒルさんもちょっとお休みするの」と愉しそうに声を掛けている。
お嬢様よりも淡い瞳の色。穏やかなお嬢様とすると快活な性格。
言われてみれば、コールさんの面影があるような、ないような……
…………こ、これは、もしかするともしかするのではっ!?
実際のところ、お二人の気持ちはどうなのだろう。
コールさんがお嬢様を気にかけているのは、誰の目にも明白だ。ガーネットお嬢様は、コールさんを意地悪だとよく口にする。でもコールさんが紡いだ言葉のすべては、お嬢様のことを案じるものばかり。確実に、好意はあるはず……。
お嬢様もまた、コールさんに対しては令嬢という立場を取り払って、時には少女の頃のように、時には幼子のように素直な反応を示すのである。
うんうんうんっ。やっぱり、きっと……そういうことでしょう!
気づけば、ガーネットの華奢な肩先にスポンジを添え、強い調子で言葉を放っていた。
「お嬢様、コールさんにしましょう。いえ、絶対にコールさんしか勝ちません!」
「と、突然どうしたのセイラ? セイラの希望は伝わったけど、私が探しているのはルビィのお父様になる人だし。それに、コールが…………」
声になりかけた言葉を、ガーネットは躊躇うようにごくりと呑み込んだ。やがて複雑な溜め息を忍ばせ、声を零した。
「……コールは、ガルシアなのよ」
やはり出ました。ベルフィオーレ家とガルシア家。
お嬢様のお傍に仕えた6歳の時分から、幾度も耳にしているガルシアという家名。基本的にベルフィオーレ家に嫌がらせをしてくる、持ち上げた岩の裏のようなじとっとした一族なんですよね、ガルシア家って。
あの目映い太陽みたいにカラッとしたコールさんが、ガルシア家の三男って何とも奇妙である。あ、だから勘当されたのかも。
ベルフィオーレ家とガルシア家は敵同士。
しかし、お嬢様の幸福のみを希うセイラにはそんなの関係ございませんっ。
あわよくば、お二人をくっつけるべくお手伝いをさせて頂きます。
ふふっ、んふふふふふふ……。
心の声が漏れ出たように、自然と口角が持ち上がっていく。笑いを堪えようと小刻みに震える唇が、形容しがたい怪しさを引き立てていた。
……セイラ? 疲れているのかしら。
幼い頃より家族のように傍らにあったセイラの異様な振る舞いに、何とも言えぬ胸騒ぎが囃し立てるガーネットであった。
【登場人物メモⅥ】
セイラ
23歳。ガーネットの侍女。
ガーネットを第一とし、ガーネットに最善を尽くし、ガーネットに献身的な愛を注ぐ女性。「え、私に縁談? どれほどの良縁だろうと、お嬢様の幸せが確かになるまでは、私はすべてをかなぐり捨てます!」




