第15話 犬猿の仲と胸のざわめき
ベルフィオーレの屋敷、ガーネットの私室にて。
夜の帳が降り、硝子窓の向こうはすでに昏闇に覆われていた。しかし、部屋の中は柔らかなランプの灯りに包まれ、穏やかな時が流れている。
艶めく赤褐色のクローゼットの前に佇んでいるのは、ガーネットと侍女のセイラだ。2人は明日の相談を交わしていた。足元には、大ぶりの旅行鞄が静かに口を開けている。
その旅行鞄の傍らでは、ルビィが物珍しそうに二人の護衛騎士を交互に眺めていた。真剣な面差しで警護に当たる二人を見ては口元に小さな手を添え、愉しそうにころころと笑い声を洩らしている。
ベルフィオーレ領は金鉱山をはじめとした、宝石の産地として名高い領地だ。
領が豊かであるがゆえに、娘である私は何かと狙われやすい。身代金や既成事実目的の誘拐も、相続を狙った暗殺も、私にとっては他人事ではない。
そのため、心配したお父様が護衛を付けてくださった。
私の護衛騎士は2人――
大きな硝子窓を背に警護に立つのは、騎士舎で窮地を救ってくれたコールだ。ルビィの愉しげな視線に気づき、たまに視線を合わせては白い歯をこぼしている。
部屋と廊下を結ぶ扉の前に控えているのは、ゲオルグ・アダメス。
背が高く堂々とした体格をしているが、口数は少ない。護衛となって10年の歳月を守ってくれた彼に、私は心からの信頼を置いている。
何を考えているのか読めないアンニュイな眼差しに魅了され、使用人の中には熱烈なファンもいるらしい、というのはセイラからの情報だ。
コールとゲオルグにも、ルビィは親戚の子という旨で話を通した。お母様が恋しくて、私をママさまと呼ぶと説明してある。
2人とも、城内を騒がせた『隠し子』の噂を鵜呑みにすることなく、私の言葉を真摯に受け止めてくれた。
すると、静寂に溶けるようなセイラの柔らかな声が響く。
「ガーネットお嬢様、枕は持っていかれますか?」
「ええ、それがないと眠れないの。持っていくわ」
現在私は、ベルフィオーレ領に帰るための支度に追われていた。セイラとともに慌ただしく荷造りを進める最中だ。
すでに明日発つと、お父様にも伝えてある。お母様に報せの手紙を急ぎで出すと、張り切っていらした。
護衛を観察するのに飽きたらしいルビィは、ソファに腰を下ろした。落ち着きなく足をぶらぶらと揺らすルビィに、セイラの真っ直ぐな視線が注がれる。
「ルビィお嬢様のお召し物もどこかで揃えたいですね」
おもむろに、ルビィは自分の服に目を落とした。身に着けていたのは、未来から舞い降りた時に纏っていた灰色の地味なカントリードレスだった。お気に入りの服の危機に、困ったように首を傾げる。
「んー? ルビィ、ずっとこれでいいの」
よりいっそう表情を引き締めたセイラは、一大事とばかりに言葉を放った。
「そうはいきません。可愛らしいルビィお嬢様を愛でる歓びを取らないでくださいませ」
「……意味わかんないの」
5歳児には計り知れぬこだわりに、愛らしく眉を寄せるルビィであった。
ルビィとセイラの、どこか噛み合わない会話を横目に、ガーネットはそっと表情を緩める。やがて顔を上げ、警護に勤しむ護衛2人に声を掛けた。
「ゲオルグ、コール。短期巡察から戻ったばかりなのに、突然領に帰ることになってごめんなさい」
硝子窓に映った自分を背に、コールは明朗な声で場を照らした。
「いや、俺らの本業は護衛だし、姫様の行く所ならどこだって行くさ。な、ゲオルグ先輩」
「……ああ、何も問題ない」
ゲオルグも耳に馴染む低音をそっと響かせた。
2人の了承は得たものの、ガーネットの胸にはなお、小さな引っかかりが残っていた。それはコールの家柄に纏わる事情なのだが……。
その引っかかりに堪え切れず、ガーネットは静かに問い直した。
「……コールもいいの?」
「もちろん。何で?」
さらりと返してきたコールに、ガーネットは躊躇いがちに言葉を紡ぐ。
「だって、あなたは一応ガルシアだし。ベルフィオーレ領に行くのは嫌かなって……」
なるほどと腑に落ちたらしく、コールの琥珀の瞳が揺れた。
だがすぐに顎に指先を滑らせ、
「そんなこと気にしてたのか……いいか、姫様。俺はガルシアから除籍された身だ。今の姓は、遠い親戚の養子に入って名乗っているガルシアだから全然違うぞ」
「……そう、なの?」
実は私のベルフィオーレ家とコールのガルシア家には、遥か昔から深海の底よりも深く暗い因縁が漂っている。
話すと長くなるので噛み砕いて説明すると、2つの家はもとはひとつだった。でも当時の兄弟たちの対立で二分されてしまった。
決裂の末、新たに興したのがガルシア家。
決裂して以降、ガルシアは何かとベルフィオーレに因縁を吹きかけてきた。それは数百年経った現在に至っても風化することなく、犬猿の仲と呼ぶに相応しい関係である。
だからガルシアの血筋であるコールが私の護衛をしているのは、すごく不思議なの。
3年前、お父様とお母様が私の護衛にとコールを正式に雇った。
お母様なんて、護衛じゃなくて婿にいらっしゃいなんて揶揄うのだもの。一応、カイザー殿下と婚約していたのに、もうっ。
不意に、ガーネットの瞼に昼間の光景が蘇る――
ルビィを抱き上げるコールの優しげな横顔、すべてを包み込んでくれそうな逞しい腕、不思議と……安堵を覚えてしまう背中。
そして、コールの本名が『レオ』の響きを含んだコールレオンであること。
ガーネットの胸の奥で、木々の葉が擦れるようにさわさわとざわめいた。
その感情に気づいた途端、「まさか……」と、ざわめきを振り払うように自分の感情に首を振る。
そんなガーネットの変化を、セイラは目を離すことなく見つめていた。




