第14話 傷モノ令嬢、胸騒ぎを覚える
ガーネットの無事を念入りに確かめていた琥珀の瞳が和らいだ。
途端に、コールは自らの額に手を置き、溜め息交じりに呟いた。指先に絡んだ濃紺の毛束がふわりと揺れる。
「まったく、たった1日巡察に参加しただけでこれだよ」
コールのしなやかな人差し指と中指が宙を走り、ガーネットを真っ直ぐに射抜いた。憂いを帯びた瞳を細め、心配げに声を落とす。
「姫様ももっと言い返していいんだぞ。地位だって、間違いなく姫様のが上なんだから」
ガーネットの瞳が一瞬大きく跳ね上がった。
だが、すぐに行き場を失くしたように視線はゆらゆらと彷徨う。
「そう、なのだけど、ああいう時、すぐに言い返す言葉が浮かばなくて……」
しゅんと肩を落としたガーネットを視界に捉えながら、コールは狙いすましたように語気を強くした。
「そんな優しいことを言ってたら、この貴族社会では食い物にされるだけだろ。そんな感じでベルフィオーレの侯爵令嬢とか、ほんと信じられないな」
「う……意地悪言わないでよ……コールって、どうしていつも意地悪な言い方をするの」
ムッと口を噤んだガーネットを捉え、コールの瞳はにやりと三日月を描く。
「そうそう、そんな感じであの令嬢たちにも言い返せばいいんだよ。は~あ、姫様は優しすぎる。でもまあ……姫様はその子を守り切ったな」
促すように、そっと視線を落とした。その先には、大きな瞳いっぱいに涙を抱えたルビィが唇を震わせていた。ガーネットのドレスの布地を絞るようにしがみつき、ひくひくと喉奥を鳴らしている。
そして、
「ママさまぁっ!」
思いの丈を吐き出すようにルビィはガーネットの腰に腕を回し、涙に濡れた顔を埋めた。それは5歳の力とは思えぬほど強く、その必死な温もりが胸を締めつけるほどの切なさにあふれている。
ルビィの柔らかな髪に指先を滑らせ、ガーネットは囁くように言葉を落とした。
「ルビィ、怖い思いをさせてごめんね」
哀しい涙はどこかに置き去りに。ぴょこんと顔を出したルビィは、赤く腫れた瞳を細め、穏やかに頬を緩ませている。
「んーん、このくらいへっちゃら。それにね、前にお母さまが言ってたの。ひどいことを言う人の心はくさってるから、気にしちゃダメよって。そこら辺のくさったカブと思って、ふんづけてゴミ箱にポイしなさいって!」
5歳児から出たとは思えぬ切れ味のある言葉に、ガーネットとコールは目を丸くした。それと同時に、ガーネットは戸惑うように首を傾げる。
ん? ルビィのお母様って、私のことよね。
5年後の私はそんなことを娘に言うの……?
それって……何だか。
「ははっ。そりゃ、また何とも、容赦のないお母様だな」
コールの涼やかな笑い声が響いた。
その余韻に合わせ、ガーネットもくしゃりと頬を緩ませる。
「ふふふ。ルビィのお母様は世界の誰よりも素敵よねぇ」
「うん、そうなのっ」
ガーネットとルビィは写し鏡のような微笑みを咲かせ、楽しげに笑い合った。弾けるような笑い声が、渡り廊下にこだまする。
本当の親子のように寄り添う2人の輪郭を見つめ、コールの琥珀色の瞳は驚愕に揺れた。
へえ、姫様がそんな風に笑うだなんてな。
婚約破棄されたって聞いたから落ち込んでるかと思ったが、元気そうで何よりだ。
……たぶん、このお転婆のおかげか?
騎士舎に帰還して早々、姫様に隠し子がいるとかいうデタラメな噂が流れてきた。まあ、姫様を妬んだ令嬢が流した噂か何かだろう。
そっと近づいたコールは音もなく膝を落とし、優しげな瞳でルビィを覗き込んだ。
「ルビィ、でいいんだよな……ルビィ、俺の主を守ってくれてありがとう」
微笑みかけるや否や、そよ風が通り抜けるような仕草でルビィを軽やかに抱き上げる。
2人の姿を午後の目映い陽光が照らす。
コールに抱き上げられたルビィを捉えた瞬間、ガーネットの心があたたかな陽だまりのように満たされた。
不思議と――何かが腑に落ちた。
こうして3人で過ごすことを心待ちにしていたような。
どうしたんだろう。
この失くしたものをやっと見つけたような、満ち足りた充足感は……?
こんなの、まるで……。
ルビィも同じ予感を抱いたらしく、淡い青碧の瞳を煌煌と輝かせ、期待を含んだ声で尋ねた。
「あなたは、レオじゃないの?」
ハッと肩を揺らしたガーネットは、慌てたように声を挟む。
「ルビィ、その人の名前はコール・ガルシアよ。『レオ』は入っていないの」
だが、その言葉に異議を唱える者がいた。
フフンと唇の端を意気揚々と吊り上げ、どこか得意げにコールは言葉を連ね始める。
「おいおい、姫様は俺の本名も知らないのか……コール・ガルシアは省略してるんだ。正式な俺の名はコールレオン・ガルシア。レオが入ってるって、よくわかったなルビィ」
「えへへー」
嬉しさを堪えきれず、ルビィの目尻は柔らかくほどけた。
一方、ガーネットはコールをじっと見つめたまま、青碧の瞳を星の瞬きのように幾度も瞬かせた。脳裏に浮かんだある可能性が駆け抜け、声が自然と上擦る。
「え、じゃあ……レ、オ?」
瞬間、コールの身体がぴたりと硬直した。
琥珀色の瞳の奥に驚愕が覗いていた。
「あ…………ああ」
ルビィを抱えたまま、照れくさそうに鼻すじを掻く。午後の強い陽射しの影響だろうか、コールの耳先はほのかに朱に染まっていた。
∻❖∻
ベルフィオーレの屋敷への帰り道。
カタカタと軋む馬車の車輪の音に身を委ねながら、ガーネットは窓の外に視線を滑らせた。美しいたてがみの白馬に跨ったコールが白銀の鎧に身を包み、護衛にあたっている。
ルビィの愉しげな会話に耳を傾けながらも、ガーネットの心はここにあらずであった。
コールの本名がコールレオンですって?
だとすると、ルビィのパパ様候補はコールの可能性もあるってこと……いや、まさか。彼はガルシア家だし、そんなことあるはず……。
でも、あの時感じた、心がすっぽりと収まった感覚は、なに?
『きっとガーネも、この人だって気づくはずさ』
父ジャスパーの放った言葉が、心の片隅で幾度も繰り返されていた――
【登場人物メモⅤ】
コールレオン・ガルシア
20歳。ベルフィオーレ家の護衛騎士。
普段はコール・ガルシアと名乗っている。かつては伯爵家の三男であったが、現在はその立場にはないらしい。ガーネットを『姫様』と呼ぶが、公的な場では『ガーネット様』と呼ぶよう努めている。
次の物語は――
ベルフィオーレ領へ帰領する準備をするガーネットたち。
しかしガーネットは、どこか含みを帯びた視線をコールに送ります。
コールの実家であるガルシア家とベルフィオーレ家の因縁とは……!?
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