第12話 傷モノ令嬢、厄介な令嬢たちと出会う
「ママさまー、ここはなぁに?」
ルビィの明るい声が雲ひとつない青空に昇っていく。
王城から騎士舎を繋ぐ渡り廊下にて。
厳かな静寂を纏った王城とは異なり、騎士舎区は熱を帯びた喧騒で満ちていた。
ルビィはガーネットと手を繋いだまま、半ば引き連れるようにガーネットを前へと引っ張っていく。
ルビィが指差した先には、乾いた砂塵が舞う大きな広場があった。その場を認めたガーネットは、穏やかに言葉を返す。
「そこは騎士団の訓練場よ。お城を守る騎士さんたちが剣のお稽古をするところ」
「おけいこ? ルビィもおけいこするのっ」
まるで情熱漲るスイッチでも入ったのか、ルビィの瞳が綺羅星のように煌めく。ガーネットの手を離れ、溢れんばかりの元気とともに、訓練場へと続く渡り廊下を駆け出した。
もっと王城を見て回りたいというルビィの願いを叶えるべく、ガーネットはルビィとともに広大なニーレンベルギア城内を巡っていた。侍女のセイラはひと足先に、馬車の手配へと向かった。
訓練場では、白銀の鎧を身に纏った騎士たちが白熱した様子で剣を交えていた。
キャアキャアと黄色い声援が風に乗って流れてくる。訓練場の周囲には、色取取のドレスが揺れ、令嬢たちがお目当ての騎士に熱い視線を送っていた。
あ、騎士様たちも短期巡察から戻られたみたい。
ということは、私の護衛のゲオルグとコールもいるかしら?
訓練場の異様な熱気にあてられたのか、ルビィは両腕を広げて走り回っている。弾けるような後ろ姿は愛らしいが、どこか心許ない。ルビィを思うあまり、ガーネットも口を開くとつい注意の言葉が先に立ってしまう。
「ルビィ、あんまりはしゃぐと危ないわよ」
いつもお母様に怒られていた言葉をガーネットに言われ、つい口をムッと結ぶ。
「ルビィはもう5才なの、そんなに危なくないもんっ」
振り返ったルビィは石畳の崩れた縁に足を取られ、重心が乱れた。が、どうにか踏ん張り、再び地面を蹴った。
そのお転婆な様子に、ガーネットは思わず口元を綻ばせる。
空を切る隼の如く、ルビィは渡り廊下を駆けていく。
すると突然、柱の陰に潜んでいた何者かが、音もなく姿を現した。鮮やかな紅のドレスが視界を塞ぐ――吹き飛ばされたルビィは、石畳に尻餅をついた。
「あら……ごめんあそばせ」
ドレスの裾をはためかせ、令嬢は温度の欠けた謝罪を口にした。
息を呑むのも束の間、ガーネットはルビィへ駆け寄り、労わるように小さな肩に手を添える。その心配に染まった眼差しは、母が子を案じるそれと同じだった。
「ルビィ、大丈夫? どこも痛くない?」
「うん、大丈夫なの。失敗しちゃった、えへへ」
口元をふにゃりと緩め、照れたような微笑みを浮かべるルビィを捉え、ガーネットは安堵の息を漏らした。
「そう、怪我がなくてよかった」
――ガサッ。
石畳が纏う砂を蹴り、背後から忍び寄る影が。
背後で渦巻く黒い気配が、ガーネットの意識を冷たく撫でていく。
唇の片端を大きく吊り上げ、嘲るように歪んだ笑みを刻んだ令嬢は、喉を震わせて高らかに声を上げた。
「あら、あらあらあらぁ? よく見たらガーネット様ではございませんか……昨晩カイザー殿下に婚約破棄されたばかりだというのに、よくも王城に顔を出せたものですこと」
見知った声が空気を震わせ、ガーネットは沈むように瞼を伏せた。
はあ、やっぱり見逃してはくれないのね。
ルビィには、まだこういうものは見せたくなかったのだけど、仕方がない。
重苦しい溜め息がひとつ、冷えた石畳へと静謐に落ちる。すぐに安堵させるようにルビィへ微笑みかけ、その華奢な肩をそっと背後へと導いた。
「ルビィ、後ろに隠れていてね」
「……? わかったの」
呼吸を整え、ガーネットはゆっくりと身を起こした。
くるりと身を翻したガーネットの視線の先には、二人の令嬢が佇んでいた。
ヘイリー・ブロント伯爵令嬢と、ソニア・ノーラン子爵令嬢。
見覚えのある顔ぶれ、といっても親しい間柄ではない。幼少の頃から嫌味を浴びせてくる厄介な二人組である。
確か二人とも、昨夜の夜会に参加していたわ。
本心を封じるように、ガーネットは侯爵令嬢の仮面を纏い、優雅な微笑みを浮かべた。
「ごきげんよう、ヘイリー様、ソニア様」
扇子を口元に添え、ヘイリーは冷たい眼差しでルビィと訓練場を交互に見つめた。
「うふふ、可愛らしい『隠し子』とこのような場所で何用かしら。まさかもう、その子の新しいお父様をお探し?」
呼応するように、傍らのソニアも甲高い声を響かせた。
「んまあ、立ち直りの早いものですのね。昨夜、ミスティナ・クレメンツ様に殿下を奪われたばかりですのに。ふふふ」
くすくすと嘲るような二人の笑い声が渡り廊下を包んだ。
扇子で口元を隠しているが、歪んだ瞳は愉悦に満ちていて――底抜けた意地の悪さを如実に物語っていた。
この二人は幼い頃から、会えば必ず嫌味を落としていく。
私が言い返さないからか、ずけずけと責めてくるのだ。成長するにつれ、その言葉は酷く悪辣になっていった。
特にヘイリー様はカイザー殿下の婚約者候補だったらしく、殿下の婚約者の座に収まった私をひと際敵視しているようだった。
ぱちん、と扇子の乾いた音が反響した。
薄い唇の右端だけを上げ、狡猾な笑みを刻んだヘイリーは嘲るようにガーネットを見据えた。
「殿下はいつも嫌がってらしたものね、その」
石畳にカツカツと鋭いヒールの音を響かせ、ガーネットへと近づく。
刹那――
「ガーネット様の、その傷を……!」
力任せに襟を引き剥がされ、誰にも見せたくなかった左首元の傷を容赦なく暴かれる。ガーネットの呼吸が一瞬止まった。すぐに隠そうと襟を掴もうとするが、もう一人の令嬢ソニアが手首を押さえ込んで身動きが取れない。
いやだ、やめてっ。
ガーネットはただ、震える唇を噛みしめるしかなかった。
その首元には、微かな傷痕が花の蕾のように淡く残っているだけ。だが、口元に薄い笑いを刻んだヘイリーは、
「ああ、本当に醜い傷だこと……よく人前に出られますわねえ」
放たれた言葉はガーネットの心に無数の棘をばら撒き、ジクジクとした痛みが胸を蝕む。胸に刺さった悲痛が影響したのか、ガーネットの視界は眩むように揺らいだ。くらくらと歪む視界に、冷えた涙が滲む。
ガーネットの無言の反応を期待外れと言うように、ヘイリーは「はーあ」と溜め息を落とすと、掴んでいた襟をつまらなそうに離した。呼応するようにソニアも力を緩める。
解放されたガーネットは、慌てた手つきで首元を覆い隠した。
肩で息をつくガーネットを、2人は冷めた嘲笑を落としながら見下ろした。
だが、2人の悪意はそれで終わりではなかった。




