第11話 傷モノ令嬢、結婚を迫られる
「契約結婚なんてどう?」
レオンハルトの告げたひと言に、ガーネットは最初理解が追いつかなかった。だが数秒を経て、ようやく違和感が広がっていく。
レオンったらどうしたのかしら。
いつもなら冗談だよって言う頃合いなのに、今日は妙に食い下がってくる。
離さないとばかりに固く握られた手首を、ガーネットは振りほどこうと力を込めて身を捩った。しかし逆に引き寄せられ、レオンハルトの甘やかな声が耳朶にふわりと触れる。
「ねえ、僕と契約結婚しようよ。ガーネにとっても悪い話じゃないだろう。公爵夫人なら、ガーネに意地悪できる人間だって限られる。そうだな……明日婚約式をして、1か月後に結婚が最速かなぁ」
つらつらと奏でられる未来予想図に、ガーネットの瞳は満月の如く丸く見開かれた。
「ちょっと待ってレオン。勝手に話を進めないで……だから私はっ……」
その時だった。
ガーネットの足元がぐらりと揺れる。ドレスをぎゅっと包み込むように、小さな温もりが背後からぴったりとくっついていた。ルビィが抱きついていたのだ。
ルビィはガーネットのドレスの布地をぎゅっとつまみ、背に隠れながら覗き込んでいる。
ママさまが困っているのを見過ごせない――幼いながらも、気遣うようにガーネットを見上げた。
「ママさま、大丈夫なの?」
「だ、大丈夫よルビィ。心配をかけてしまったわね」
レオンハルトに掴まれた手首を流れるように払った。不思議なことに、ルビィのためとなれば普段以上の力が湧き上がる。まるでその儚い存在が、ガーネットの眠れる強さを引き出してくれるかのように。
膝をついたガーネットはルビィと視線を合わせ、柔らかな髪にそっと手を伸ばした。優しく、穏やかに、慈愛に満ちた微笑みを添えて大切に撫でつける。
微笑ましい二人の様子を、レオンハルトは羨望の眼差しで見つめていた。
ずっと手にしたかったものが、そこにあった。しかし、この手に届かない。強く握りしめた掌が震えを帯びる。が、すぐに我に返り、口元に冷めた弧を描く。
「もしかして、この子が噂の隠し子? ……こんにちは」
淡々としたまま、レオンハルトはルビィを覗き込んだ。瞬間、コバルトブルーの瞳が小刻みに震え、瞳孔が開く。どこか爬虫類を思わせる冷たい瞳に、ルビィはビクリと背筋を震わせ、逃げ込むようにガーネットの背に身を寄せた。
人見知りでもしたのかしらと、ガーネットはあやすようにルビィの肩を優しく包む。やがて長い睫毛をゆっくりと上げ、レオンハルトの顔を捉えた。
「隠し子って……レオンも知っているのね」
「ああ、今日の王城はその話題で持ち切りだよ。ベルフィオーレ家の娘が婚約破棄の腹いせに隠し子を連れてきた…………誰の子だ、って」
そう淡々と呟きながら、レオンハルトは身を潜めたルビィを再び覗き込む。
「確かに、幼い頃のガーネによく似ているね。でも瞳の色とか、妙なクセ毛だとか……僕には他人の空似のように見えるけど」
値踏みするような冷たい観察眼で射抜かれ、ルビィはガーネットのドレスの布地を絞るように掴んだ。
微かな震えを感じ取り、ガーネットは即座にルビィの怯えを悟った。少々クセのあるルビィの柔らかな髪を、宥めるように優しく撫で梳く。
心地良さそうに淡い青碧の瞳を細め、ルビィは嬉々と頭を預けてきた。
ルビィの落ち着きを確かめたガーネットは、夜会でカイザーに説明したように言葉を連ねた。
「この子は遠い親戚のルビィよ。ご両親の都合でうちで預かっているの」
柔らかな唇に手を添え、言葉を呑み込むようにレオンハルトはゆっくりと頷いた。
「ああ、なるほど……そう、か……親戚の子。じゃあ僕がその正しい情報を広めておこうか。ガーネに隠し子がいるとか吹聴する不届き者は、おしおきしなくちゃね」
そう告げたレオンハルトの口元は、引き攣るように歪んでいた。普段の柔らかな印象は虚空の彼方へ消え去り、大変に悪い表情に染まっている。
思いがけないものを目撃してしまったガーネットは、目を丸くした。
れ、レオンがっ……とってもあくどい顔をしているわっ。
そうよね、レオンは筆頭書記官。この悪意蔓延る王城で、様々なことを経験しているはず。ちょっと寂しいけど、私は姉として見守ることしかできない。
ガーネットは生温かい視線をレオンハルトへ注いだ。その視線から察したレオンハルトは、呆れを含んだ息を漏らした。
「ガーネったら、また僕を子ども扱いしてるでしょ。こう見えて結構権力持ってるんだよ、僕。やることが出来たから、そろそろ書斎室に戻るね。そうだ、差し入れは何かな?」
「あ、すっかり忘れていたわ。昨日焼いたクッキーだけど、よかったら食べて」
控えていた侍女のセイラは、提げていたバスケットをガーネットの手元へと静かに滑らせる。受け取ったガーネットの指は微かに揺れ、心許なげにレオンハルトへと手渡した。
レオンハルトはバスケットを高々と掲げ、勝利を掴んだかのように喜びを爆発させた。
「やったー、ガーネの手作りクッキーだ。家宝にして飾っておこうっ♪」
あまりの喜びように、ガーネットもつい表情を綻ばせる。
「家宝って、もうっ。レオンたら冗談ばっかり。早めに食べてね」
「うん、たっぷり鑑賞してから堪能するよ。じゃあ、また明日ね」
軽やかに踵を返し、レオンハルトは風を切るように主廊下を渡っていく。その背に手を振りながら、ガーネットは不意に首を傾げた。
「ん……またあ、した? レオンって……たまに意味不明なこと言うのよね。優秀な人ってあんな感じなのかしら?」
背後で見守っていたセイラは、「そんなはずないでしょうっ」と激しく首を振っている。
ガーネットの足元に身を隠し、ルビィはレオンハルトの遠ざかる後ろ姿をじっと見据えていた。それは父を探す眼差しではなく、どこか警戒を覗かせるものだった。
そんなルビィに視線を滑らせ、ガーネットは思案に思案を重ねる。
親子のシンパシーどころか、隠しきれない敵意さえ感じる。
うーん。レオンはパパ様ではなさそう、よね……?
∻❖∻
――バタンッ。
激しい扉音が書斎室に鳴り響いた。
筆頭書記官にのみ与えられた小さな聖域で、レオンハルトは荒々しく足音を踏み鳴らした。カツカツとした靴の音を響かせ、青い革張りの書斎椅子に腰掛けると、書斎机に無造作に置かれた手紙をダンっと叩く。
苛立ちを抑えるように指先に力を込め、手紙はぐしゃりと形を失った。
「あの子は間違いなくガーネの子だ。僕が見間違えるはずない……だとすれば、卿の情報は真実ということになる……」
皴の寄った手紙には、ジェイソン・クレメンツ伯爵という名が記されていた。
【登場人物メモⅣ】
レオンハルト・シュナイダー
18歳。シュナイダー公爵家次期当主。現在は子爵位を所持。
ガーネットから見たレオンハルトは無邪気な幼馴染みだが、実際は非常に腹黒である。子供の頃からガーネットに好意を抱いている。令嬢が結婚したいNo.1。




