第6話 晩餐の席で
彼に詰め寄られていよいよ言い逃れができなくなったフェンネルは、あろうことかその場から逃げ出した。
踵を返し、先ほど客間の方角だと指さされたほうへ必死に走っていくと、なんとか元の回廊に行き着いた。
どうやら公爵は、追ってきてはいないらしい。
彼をあの場に置き去りにしたことに、フェンネルは少しだけ負い目を感じた。けれど、あの場で正直に自分の能力を打ち明けるのは、あまりにも危険に思えた。
これまで二度も、そのせいで立場を悪くしてきたのだ。仮にも貴族の令嬢が、破壊魔法などという危険な力を持っているとわかれば、嫌厭されるに決まっている。
さすがに屋敷に来てまだ二日目なのに、追い出されるわけにはいかなかった。
その後もフェンネルは怯えながら部屋に籠もり続け、気づけば日が傾き、夕食の時間になっていた。
***
「フェンネル様、夕食の準備が整いました。晩餐会場までお越しください」
執事が扉を叩く音に、フェンネルは飛び上がった。
けれど、いつまでも部屋に篭っているわけにもいかず、観念して部屋を出る。
「本日、旦那様が屋敷にお戻りになりました。視察の予定が早く片付いたとのことです。旦那様はすでにお席でお待ちです」
「……そうなのですね」
廊下を歩きながら、執事が報告する。答えながらも、フェンネルは内心動揺していた。
公爵とは、午前中に劇的な初対面を果たしたばかりだ。とても「初めまして」とは言えない。
***
執事に案内されて食堂の戸をくぐると、案の定、ユリウスは奥の席に一人で座っていた。彼はフェンネルに気がつくと、むすっとした顔でこちらを睨んだ。
フェンネルはできるだけ目を合わせないようにして、執事の後に続いた。
「旦那様、こちらがエポワール男爵家より参りましたフェンネル様にございます。フェンネル様、こちらが我が屋敷の主、ハイデルベルク公ユリウス様でございます」
執事は二人がすでに対面済みだとは知らないようで、当主へ向き直り、恭しくフェンネルを紹介した。その言葉に、フェンネルはおずおずと会釈をする。
「彼女とは午前中に中庭で顔を合わせた。本人から話は聞いている」
「左様でございますか。それは失礼いたしました」
執事は淡々と答えてから、フェンネルを公爵の向かいの席へと案内した。
フェンネルが席につくと、執事の合図で食事が始まる。使用人たちが、食卓へ次々と料理や果物を運び込んできた。
家主が帰還したことも相まってか、今日の夕食は昨晩のものよりも一層豪華に思えた。
見たこともないほど大きな七面鳥のロースト、年代物の美酒。付け合わせの野菜も青々として新鮮だ。
午後からずっと部屋にこもりきりだったフェンネルは、ここへ来て、自分がひどく空腹だったことに気がついた。
「フェンネル、こうして顔を合わせたところ悪いが、私は明日もまた所領の視察に出かけねばならない。私が不在の間は、執事のアルバートに色々と教えてもらうといい」
「またお出かけになるのですか?」
「ああ、我が所領は広大だ。領主として、色々とやらなければならないことが多い」
「でも……」
フェンネルはわずかに身を乗り出して、こう問いかけた。
「……あの。お加減は、もうよろしいのですか」
昼間のことを持ち出してよいものか迷ったが、あの後も部屋でずっと気になっていたことだった。
午前中にはあんなに辛そうだったのに、また公務で外出するなんて、少々多忙すぎではないか。
「なんということはない。いつものことだ」
「……ですが」
「君こそ、人の心配ばかりしている場合なのか?」
ユリウスは淡紫色の瞳を細めて、低く唸る。
有無を言わせない口調で撥ねつけられ、フェンネルは言葉を失ってしまった。
確かに、言われてみれば余計なお世話なのかもしれない。まだ知り合って初日なのに、これ以上詮索するのも気が引けた。フェンネルは考え直して、静かに食事へと戻った。
***
それからしばらくは、静かに晩餐が進む。
しかし、夕食も終盤に差しかかろうとしたとき、事件は起きた。
『ガシャンッ!』
「も、申し訳ございません!」
突然、甲高い音が響き、場の空気が凍りついた。
見れば、一人のメイドがユリウスの背後で尻もちをついている。辺りには彼女が落としたらしい食器の破片が散らばっていた。メイドはひどく取り乱した様子で、何度も頭を下げている。
一瞬のことだったので、うまく状況が掴めなかったが、どうやらユリウスが片手を上げた拍子に、その手がちょうど背後にいたメイドに触れてしまったらしい。その途端、メイドは皿を抱えたまま弾かれたように後ろへ飛びのき、尻もちをついてしまったのだ。
(一体、どうしたのかしら?)
ただ、ぶつかって転んだだけにしては、これはあまりにも大げさではないか。フェンネルは首をかしげる。手が触れただけで、後ろに弾き飛ばされるなんてことは、通常は起こり得ないはずだ。
考えている間にも、奥から駆けつけた数人のメイドたちが、慌ただしく食器を片付け始める。しかし、彼女たちの表情は一様に強張り、皆どこか怯えているように見えた。
すると、ユリウスは小さくため息をついて席を立った。
「私は先に部屋へ戻って休む。君はそのまま食事を続けて」
低い声でそう告げると、彼はそのまま食堂を出ていこうとした。フェンネルも慌てて腰を上げ、ユリウスを見送る。
すると、ユリウスはすれ違いざまにフェンネルの方を向いて立ち止まった。そして、おもむろにフェンネルの肩へと手を置く。
『ぽんっ』
当然ながら、何も起こらない。
にもかかわらず、なぜか周りにいた使用人たちは、それを見て一斉に目を見開いた。一気にその場に緊張が走るのを肌で感じる。
「ーーどうかされましたか?」
「君……本当に、なんともないのか」
フェンネルは首をかしげる。肩に手を置いたままのユリウスは、驚いたような顔をして、菫色の目を見開いていた。
たかが肩に手を置かれただけ。それのどこが、周囲をあれほど驚かせるようなことなのだろう。
「……いや。君が無事ならそれでいい」
ユリウスは短く答えると、フェンネルに背を向けて食堂をあとにした。
***
彼が行ってしまってから、フェンネルも手短に食事を済ませ、メイドに付き添われて自室へ戻った。
すると部屋に入るなり、そのメイドがフェンネルに小声で話しかけてきた。
「お嬢様は、一体何者なのですか……? あの旦那様に触れられても、なんともないのですか?」
「どういうこと? あなたの方こそ、さっきは一体何があったの?」
するとメイドは、あからさまに目を泳がせて一歩引き下がった。
「い、いえ……失礼いたしました。旦那様のことに関して、私から申し上げられることは何もございません」
そう言うと、メイドは逃げるようにして部屋から下がっていった。
***
翌朝。
フェンネルは昨日の一件が気になって仕方がなく、執事のアルバートにも同じことを尋ねてみた。
執事もまたメイドと同じように、ユリウスの呪いについて多くを語ろうとはしなかった。その代わりに、こんな話をしてくれた。
「旦那様は……かつて有能な魔法使いでした。通常、人はひとつの魔力を授かるだけでも稀なこと。ですが旦那様は、生まれながらにして複数の能力を操ることができる、類稀な才能の持ち主だったのです」
確かに、この世界では魔法の力を持つ者が現れるだけでも、相当稀なことだ。
幸運にもフェンネルのように魔力を授かった者がいたとしても、その能力は通常、一人につきひとつだけ。複数の力を持つ者など、これまで聞いたこともない。
執事はさらに続けた。
「旦那様は若くしてその才能を開花させ、その卓越した力をもって、瞬く間に領地を発展させてこられました。しかし、類稀な才能は、時として危険と隣り合わせでもあるのです。あの方の誠実さと前向きさが、あのような結果を招くなんて……」
「ーー一体、彼に何が?」
フェンネルが不安げに畳みかけると、執事はそこで口を閉ざしてしまった。
「旦那様の置かれている状況について、私どもは他言せぬよう、きつく申しつかっております。ですから、たとえ婚約者のあなた様であろうと、旦那様のことを申し上げることはできません」
執事は小さくため息をついた後、こう付け加えた。
「しかしながら、あなた様もまた旦那様と同じく、他にない特別な才をお持ちのようにお見受けいたします。……もし真実をお知りになりたいのであれば、フェンネル様ご自身で旦那様にお尋ねになるのがよろしいでしょう」
そう言い残し、執事は恭しく一礼して、部屋をあとにした。




