第4話 北の地へ
そんなわけで、私は冒頭のように――めでたく婚約破棄され、北の辺境へと厄介払いされることになった。
目的地へ向かう汽車の中で、私は小さくため息をついた。
同行する付き人や使用人は一人もいない。エドワードの屋敷での一件以来、私は嫌煙されて誰も近づこうとはせず、北の辺境地への旅路に付き添いを買って出る者などいなかったのだ。
私は汽車の席に腰掛けて、窓辺の縁に肘をついて外の景色をぼんやりと眺める。
これから向かう北の地には、ある恐ろしい噂があった。それは、私が嫁ぐことになった辺境のハイデルベルク公爵にまつわるもの。
人々の間で、はこう囁かれている。
ーー公爵は人食い鬼であり、これまで何人もの花嫁を迎えては、若くして食らい殺しているらしい
彼は、若くして北方をまとめ上げた名手と呼ばれる人物だったが、ある呪いに侵されていて、ついには正気を失ってしまったのだと……。
確かに、言われてみればこの縁談には少し不審なところがある。
本来、公爵位は王族に近い血筋に与えられる高位の爵位であり、その妃もまた大貴族の娘が選ばれるのが常。それなのにこんな末端貴族の我が家にまで縁談が来るなんて通常ではありえない。
たとえ北の辺境の地の公爵であったとしても、あまりにも格差のあるこの婚約を受け入れるだろうか。男爵家としては言う事無しなのだろうが、わたしは不安が拭えないでいた。
とはいえ、私にはもう帰る場所など無い。
とうとう家族からも見放されてしまった。居場所のない場所にしがみつくより、いっそ見知らぬ土地へ出るほうが、今の私には気が楽に思えた。
そんなことを考えているうちに夜は更け、窓の外には寒々しい気配が漂い始める。
北の地は夏が短く、冬が長く雪深い。
生まれて初めて故郷を離れた私は、肌に突き刺さる冷気に緊張も重なり、思わず身震いしてしまった。
***
――そして翌朝、汽車は北の地へと到着した。
手持ちの小さな鞄を抱えて汽車を降りると、頬に刺すような冷たい風が吹きつけた。
行き交う人々は皆、肩をすぼめて分厚いコートの襟を立て、うつむきがちに足を早める。
しかし、私はそんな寒々しい景色の中でただ一人、生まれて初めてみる景色と、冷たく新鮮な空気に、思わず目を見開いていた。
「エポワール男爵家のご令嬢、フェンネル様でいらっしゃいますね。」
突然背後から声をかけられ、振り返る。
そこには枯淡な顔つきをした初老の男性が立っていた。
「私はハイデルベルク公爵家の執事にございます。
お嬢様をお迎えに参りました。どうぞこちらへ、馬車を用意しております」
そう言うと、彼は私の荷物を抱え、先導して歩き出す。私はその背に従い、公爵家の馬車へと乗り込んだ。
屋敷へ向かう道中、私は窓から街並みと景色を眺めた。
噂どおり、この地はどこまでも寒々しい。季節は夏の終わりだというのに、遠くの山々は雪に覆われ、白く輝いている。駅前の小さな町を抜ければ、あとは枯れた草木が広がる痩せた大地。
今まで暮らしていた王都とはまるで違う光景。でも、そんな景色を眺めながら少しだけ心躍る自分がいた。
やがて道が開け、視界の先に目的の城が姿を現す。
「ここが……公爵のお屋敷ですか。」
「はい。こちらが公爵様と、これからお嬢様が暮らすお屋敷にございます。」
思わず息をのんだ。
先日滞在したエドワード伯の屋敷とは比べ物にならない。広大な庭園の遥か彼方に、まるで王宮のような巨大な城がそびえていた。
呆気に取られて眺めているうちに、馬車は門をくぐり、屋敷の入口へと到着する。
執事は、私を馬車から下ろすのを手伝うと、玄関口で私が羽織っていた分厚いコートを引き取った。
玄関には、使用人たちが揃って私を出迎えている。
「旦那様は只今ご外出中にて、屋敷を留守にしております。
お嬢様におかれましては、公爵様がお戻りになるまで、こちらでお待ちいただきますよう申し使っております」
「公爵様は……どちらに行かれているのですか?」
公爵にすぐ引き合わされるものと思っていた私は、思わず問い返した。
「はい、旦那様は所用にて郊外の街へ視察に出向いております。」
執事は簡潔に答え、再び歩き出す。
私は彼に導かれるまま上階へ上がり、客間のひとつへと案内された。
家主が不在のため、仕方なく私はひとりで遅い夕食を取った。
食事は質素なものと期待していなかったが、さすがは公爵家。
見慣れぬ果物や野菜、この地方特有の獣の肉など、どれも一級品の食材ばかりで、口に含めば、思わず舌鼓を打ってしまうほどの美味しさだった。
***
食事を取り終えて部屋に戻ると、私は一気に疲れが出てきた。
傍にあった寝台に腰掛けていると、女中が私の着替えや、湯浴みを手伝ってくれた。
知らない土地、知らない人々に囲まれ、緊張が続いたせいかもしれない。わたしはどっと疲れが押し寄せてきて、寝台の上に寝そべる。
身支度も済ませた事だし、今日は早めに寝室に入ろうとしたとき___。
側仕えをしていたメイド達数人が、部屋のドアの外にある廊下の片隅で、小声で話し込んでいるのが耳に入った。
「また……旦那様のもとへ、不憫な花嫁がやって来ましたわね」
「これで一体、何人目かしら。今回も長くは持たないでしょうね」
「今までだって何人も縁談の話はあったけれど、旦那様の恐ろしさに耐えきれず逃げ出してしまう。
行方不明になったまま戻らない方も多いというのに」
「……恐ろしいこと。」
メイドたちはひそひそと、不穏な話題を口にしている。私は思わずドアの内側に忍び寄って、耳をそば立てた。
「今回も、本当は姉妹のうち治癒魔法を持つ方を花嫁にと望まれたそうですのよ。
けれど、その方にはすでに婚約者がいたとか。だから仕方なく、何の力も持たない姉のほうが嫁いできたのですって」
「まあ……。もし妹御だったら、公爵様にかけられた呪いを解くことができたかもしれないのに。」
「全く、期待外れですわね」
私は息をのんだ。
どうやら公爵には、本当に何らかの呪いがあるらしい。そして、ここでも私はまったく期待も歓迎もされていないということを知ってしまった。
私はショックを隠しきれなかったが、考えてみれば当然だ。
忌まわしい力を持ち、役立つこともできずに厄介払いされた娘が、公爵家に釣り合うはずもない。
とはいえ、そんな私でも縁談を却下されることはなかったから、取り急ぎ向こうも了承しているのは事実ではある。
しかしこの分ではここでの婚約生活も、どこまで続くか_。
期待していなかったとはいえ、私は落胆の思いがのしかかってきた。
それにしても……公爵にかけられた呪いとは、一体どんなものなのだろう。
再び寝室に戻った考え事をしていたら、いつの間にかうとうとと寝入ってしまった。




