第32話 誘拐事件
昨晩のユリウス様とのやり取りがあってから、私は少しだけ気まずい気持ちで朝を迎えた。
最近、ユリウス様に関することで心が揺さぶられることが多い気がする。
昨日の彼の言動についても……なんだか“言い訳”を聞かされたようで、いまひとつ真意が読み取れなかった。
でも、私たちは所詮“仮初めの関係”。
お互いに割り切って、深いところまで踏み込まない――そのほうが良い。
だから、昨日のことなんて、わざわざ気にする必要はない。
……そう自分に言い聞かせることにした。
もしこの先ユリウス様に素敵な方が現れたなら、私はそれを祝福して差し上げようと思う。
ここでの生活や、魔力の実践を積めたことだけでも、私には大きな収穫だったのだから。
これからは少しでも自立した生活を送れるように、
“自分磨き”“魔力量の向上”など、自分自身にウェイトを置いていこうと思った。
(もう少ししたら、攻撃手としての実践も……能力を磨く訓練に挑戦してみてもいいのかもしれない)
そんなことを考えながら朝食を終え、部屋へ戻ったとき――。
ふと、テーブルの上に見覚えのないメモが置かれているのが目に入った。
手に取ってみると、それはエルミールからのものだった。
“親愛なるお姉様へ。
ユリウス様のことで、お姉様に二人きりでお話したいことがあります。
朝食の後、屋敷裏の納屋の前で待っています。
エルミール”
私は首をかしげた。
(ユリウス様のことで……?
一体、何を話したいのかしら)
気にはなったが、呼び出しを無視するわけにもいかない。
私は屋敷を出て、納屋のほうへと足を向けた。
***
納屋のある屋敷の裏手にやってくると、そこにはエルミールの姿はなく、他にも人影らしいものは見当たらなかった。
「……エルミール?」
秘密の話があると言っていたので、私は小声で周囲に呼びかける。
しかし、返事はない。
不審に思い、辺りを訝しんでいると――
不意に、後ろから何者かが現れ、私を羽交い締めにした。
「っ――!?」
何が起こったのかわからない。
抵抗しようとするより早く、私の視界は真っ暗になり、そのまま意識が途切れてしまった。
***
フェンネルが屋敷から忽然と姿を消したという事実は、瞬く間に屋敷中に広まった。
使用人たちは総出で敷地内をくまなく探し回ったが、どこにも見当たらなかった。
「一体、どこへ消えてしまったというのだ。
今朝までは確かに屋敷にいたはずなのに……」
ユリウスは憤りを隠せなかった。
「屋敷内にはどこにも見当たりませんでした。
ただ、納屋につないでいた馬が一頭、姿を消しておりまして……装備も一式なくなっております。
もしかすると、一人で外へ出られたのかもしれません」
執事はそう推測した。
「用事もなく、誰にも言付けもせず……なぜいきなり屋敷を飛び出す必要がある?
そんなこと、考えられない」
ユリウスには理由がわからなかった。
「近隣の街まで使いを出して、周辺を捜索させてくれ。一人で出ていくなんて、あまりにも危険すぎる」
ユリウスの指示を受け、使用人たちは四方へ散っていった。
静まりかえった部屋に一人残され、ユリウスは深く頭を抱え込む。苦悩と焦燥が胸を締めつけていた。
そんな時、戸口のところにエルミールが現れ、静かに告げた。
「……ユリウス様。
実はわたくし、姉が出ていった理由について心当たりがありますの」
「心当たり……?」
ユリウスは顔を上げた。
「はい……」
エルミールは、彼の隣へ寄り添うように立つと、甘い囁きを落とした。
「実は、以前から姉に相談を受けておりましたの。
“ユリウス様との関係に満足していない”――と」
「フェンネルが……?」
ユリウスは信じられないという表情を浮かべた。
しかし、エルミールはここぞとばかりにユリウスにたたみかけた。
「姉は昔からそうでしたわ。
“自分にはもっと高貴で魅力的な男性がいるはずだ”と、自分から縁談を断ったり、
ぞんざいな態度をとってお相手を困らせることも多くて……」
エルミールは、ユリウスに同情するように悲しげに眉を下げて続けた。
「もちろん、わたくしはあなたの価値を十分に理解しておりましたから、この縁談は逃してはならないと説得したのですけれど」
ユリウスは目を伏せたまま、言葉を失っていた。
「もしかしたら……わたくしがここへ来たことで、姉の不満をより募らせてしまったのかもしれませんわ」
「どういう意味だ?」
「だって……わたくしの夫、エドワード様は、もともと“姉の縁談相手”だった方。
わたくしが幸せそうにしているのを見て、姉は嫉妬して自暴自棄になったのかもしれません」
「フェンネルが……君にそんなことを言ったのか?」
ユリウスは、なおも信じられないといったように問い返した。エルミールは、真剣な眼差しのままコクリと頷く。
「ええ。間違いございませんわ」
ユリウスの胸に、重たいものが落ちた。
思い返せば――
出会った当初、彼もフェンネルに冷たく当たってしまったことがある。自分の呪いのせいで、フェンネルに不自由な思いをさせてしまった時期もあった。
確かに、最近のフェンネルはどこかよそよそしかった気がする。
昨晩だって、彼女はエドワードと親密そうに話しているのを目撃したし、理由を尋ねても彼女ははぐらかしたように思う。そう考えれば、辻褄が合うような気もしてきた。
「自分の姉ながら……何てわがままな方かしら、と。
あなたに無礼な態度を取っていたこと、妹として謝罪いたしますわ」
エルミールはそう言うと、念押しするようにユリウスへと身を寄せた。
ユリウスが何も返す言葉が見つからないでいるのを見て、エルミールは密かにほくそ笑んだ。




