第12話 裏庭の果樹園2
「__フェンネル、しっかりしろ」
はっと目を開けると、眼の前になんだか見覚えのある顔が至近距離に迫っている。
「ユ、ユリウス様!?」
よく見れば、ユリウスは倒れていた私を抱き起こした状態で、心配そうに顔を覗き込んでいた。
私は驚きのあまり身を起こそうとして、私は再びバランスを崩してしまった。
「ど、どうしてあなたがここに……?」
気が動転していた私は、状況がうまく掴めない。
確か、彼はしばらく外遊に出ていて不在だったはずではなかったか_。
「今しがた屋敷に戻ってきたところだ。それで、君が裏山に行ったと聞いて探しに来た。
一体何があったんだ、メイドも入口の方で気を失っていたようだが?」
その言葉でようやく、熊が出没した件を思い出した。
私は記憶をたぐりながら、ユリウスに先程起こったことを話して聞かせた。
「ご心配をおかけしてすみません」
私は、ユリウスさまに抱きかかえられた姿勢のままで頷く。
「まったく……こんなところに女二人で来るのは危険すぎる。誰か森番か護衛を連れて行くように言われなかったのか?」
「そ、そうですよね……軽率でした」
ユリウスは眉間に皺を寄せ、心配そうに私を見下ろしている。
その横で私は、彼がこんなにも至近距離にいることに動転してしまい、気が気ではない。
「あの、本当にご心配なく……
ほら、私もう歩けますからっ」
そう言って私はその場から立ち上がろうとした。
しかし、足に力を入れた瞬間――再びぐらりと体勢を崩してしまう。
「いたっ……!」
立ち上がろうとした瞬間、くるぶしのあたりに激痛が走った。ユリウス様は再び私を支えると、心配そうに眉をひそめる。
「やはり足をくじいているようだ。
――捕まって」
そう言うや否や、ユリウス様は私の肩と膝の下に腕を回し、そのまま軽々と抱き上げた。
「わ、わわっ!?
な、なにをなさるのです!?」
抱え上げられたままの私は顔を真っ赤にして慌てふためくが、彼はしっかりと私を抱きとめたまま離さない。
「じっとしていて。もう一度、地面に叩きつけられたくなければ」
たしなめるような、低く抑えた声でそう言われ、私は言葉を失った。
今までユリウスさまとこんなにも密着したことなど無かった。
私は自分のけたたましい心臓の音が彼に聞こえてしまわないかヒヤヒヤしてしまう。
そんな私の動揺には気づく様子もなく、ユリウスさまは、軽々と私を抱えて斜面を降りていく。
気が動転した私は、一瞬だけ彼に能力を使って物理的に距離を距離を取れないか。
ーーという良からぬ考えが頭をよぎったが、そんなこと彼にできるわけがない。
私は顔から火が出そうなほど緊張しながら、ユリウス様の腕の中でおとなしくなり、そのまま屋敷へと運ばれていった。
***
屋敷に戻ると、抱き抱えられた私とユリウスを見て、使用人たちが驚きの表情と共に駆け寄ってくる。
玄関先で主人の帰りを待ち構えていた執事のアルバートが事態を察して前に進み出たが、ユリウス様は鋭い視線を向けて、彼を一喝した。
「アルバート、お前がついていながら
私の婚約者を危険に晒すとは、どういうことだ」
「……面目の仕様もございません。なんとお詫び申し上げればよいか……。」
私は彼がいつになく冷淡な口調で叱りつけるのを見て、ビクリと飛び上がってしまった。
言われて執事もまた神妙な面持ちで深々と頭を下げる。
(あの――勝手に出ていったのは私なので、そんなに彼を責めないでください……)
と、私は自責の念から口を開きかけたが、彼に抱えられている私が割って入るような雰囲気でもないので口をつぐんだ。
それよりも、私は別のことが気になっていた。
使用人たちは皆、一様に顔を見合わせていてまるで信じられないものを見たかのように私とユリウスを凝視している。
(……これまでに、旦那様が女性を抱き上げるところなんて、誰か見たことがあったかしら?)
(旦那様には誰も触れられないはず……。触れれば皆、呪いの力で倒れてしまうのに……。)
(なのに、どうしてこの方は平気な顔をしているの……?)
直接声が聞こえたわけではなかったが、使用人たちの表情がそう語っている。
そうでなければ、単に私の無様な様に、空い口が塞がらないだけかも知れないけれど。
続いて、何人かの使用人が前に出て、治療のために私の身柄を預かろうと手を伸ばす。
だが――ユリウス様はなぜだかそれを拒否した。
「いい。私が連れていく」
ユリウスはそのまま屋敷の廊下を進んでいく。
周囲に見守られながら運ばれていく私__
こうなるとさすがの私も、自分の軽はずみな行動を後悔し始めた。
***
「じっとしていて。
――今、直してあげるから」
そう言うと、ユリウス様はおもむろに私の足首のあたりへ片手をかざし、静かに力を込めた。
その瞬間、驚くような感覚が走った。
じんわりと温かな光が足元に広がり、くじいていたはずの痛みが少しずつ和らいでいく。
私は、噂に聞いていたユリウス様の魔法のことを思い出して、ハッとする。
「……ユリウス様。あなたはもしかして――治癒の魔力をお持ちなのですか?」
「ああ、この程度の傷ならば治癒できる。
私の持つ魔力のうちの一つだ」
淡々とした口調のまま、彼は添えた手にさらに力を込める。
執事も言っていた。
公爵は、生まれながらにして複数の魔力を操る稀代の逸材なのだと。
この世界では、一つの能力を授かるだけでも稀だ。二つ以上の力を持つなど、もはや伝説に近い。
だがユリウス様は貴族としてその力をもって生まれ、更に卓越した才能で、貧しい北の大地を豊かにしていったのだという。
「よし、これで大丈夫だろう」
気づけば痛みがすっかり消えていた。
ユリウス様は治癒の手を止め、私の肩を支えて長椅子から立ち上がらせてくれる。
「痛みはない?」
「はい……すっかり良くなったみたいです。ありがとうございます。」
そっと足に体重をかけてみても、さっきのような痛みはまったく感じない。
本当に不思議なほど、完全に癒えてしまっていた。
そういえば、妹のエルミールも治癒魔法を使えたけれど、これはその比ではないほど正確で迅速。
一度の治癒魔法使いの中でも高い魔力を有していることがわかる。私は素直に感心してしまった。
そばで様子を見守っていたユリウス様も、安堵したように頷く。
「私の力で大抵の怪我や病気は治せるけれど……あまり無理はしないように。」
「……はい、気をつけます。」
お礼を言って部屋をあとにしようとしたとき、不意にユリウスが私の手を取り、その場に引き止めた。
「…? どうしました?」
彼に向き直った瞬間、ユリウスが私の腕をぐいと引き寄せる。
私は足がもつれ、そのままかけていたソファへと倒れ込んでしまう。仰向けになった私の上に、ユリウスが覆いかぶさるように迫ってきた。
(わわっ……!)
心のなかで悲鳴を上げたが、彼は気にも留めず、じっと上から私を見下ろしている。
「あれからずっと気になっていたんだ。
君は本当に、私がどこをどう触れても平気なのかと疑問に思っていて」
そう言って、ユリウスは私の顔へかがみ込み、両手で頬を包むようにして覗き込んできた。
(……⁉︎)
ユリウス様の大胆な行動に、私は気が動転して、顔から火が出そうだった。
至近距離で迫る淡紫の瞳は、好奇心に見開かれていて、私は思わず吸い込まれそうになる。
固まったまま動けない私とは対照的に、ユリウス様は淡々と私の顔や体へ軽く触れ、一通り確かめたあと、ようやく身を引いた。
「……やはり、何をしても君にはなんともないということなのか」
ユリウスは私の動揺に気づかないまま、平然とそう言ってのける。
(な、なんともなくないですが……!)
と、私は心のなかでで叫んでいた。




