第11話 裏庭の果樹園
ユリウス様はその後、屋敷には戻らずに再び外遊へと旅立っていった。
それからしばらくは、屋敷での静かな日々が続いた。
ある日のこと。
不意に私は屋敷の外を探索してみようと思い立った。以前に町でユリウス様遭遇した際、彼は私がこの土地の料理や特産物に興味を示しているのを覚えていて、こんなことを教えてくれたのだ。
――屋敷の敷地の裏手に広がる山々。あそこに昔、屋敷が農園として運営していた場所があり、今でも果樹の木々が毎年たくさんの実をつけるのだという。
また、周囲の畑にはこの地域特有の野菜が自生しており、時おり料理人たちも食材として収穫しているらしい。
その話を思い出した私は、早速メイドの一人を連れて屋敷の裏手へ出かけることにした。
もっとも、そのメイドは明らかに気乗りしない様子で、フェンネルの誘いに渋々ついてきたといった具合だった。
* * *
彼女――メイドは本音を言えば、旦那様の新しい婚約者になど同行したくはなかった。
昨今、屋敷の中ではすでにこんな噂が立っていた。
ーー新しい婚約者であるこの娘は、旦那様と同じように“魔力を持つ者”なのだと。
しかも、先日森の街道を塞いでいた巨木を、たった一人で破壊したという話まで広まっている。
「なんて恐ろしいのかしら……」
メイドは思わず背筋を震わせ、息をのんだ。
この北の地では、魔力を持つ者など滅多にいない。
旦那様も、そしてこの婚約者も、内地からやってきた“よそ者”だ。王都では能力者が珍しくないと聞いたが、ここ北の地の民にとっては“力を操る者”など魔物のような存在でしかない。
_しかも、旦那様には恐ろしい“呪い”がある。
以前お戻りになったときもそうだった。旦那様に触れた使用人たちは、皆ひどい激痛に襲われ、気を失ったり体調を崩したりしてしまうのだ。
今まで何人もの使用人や婚約者がこの屋敷を訪れたが、そのすべてが彼の呪いを恐れて去っていった。
メイド自身も、もとは貧しい北地の農家の娘だった。
幼い頃から両親の借金を返すために働き続けてきた。だからこの仕事を辞める余裕などない。
それでも――毎日、恐ろしい“人ならざる者”のそばで働くことに、もう心が擦り切れそうになっていた。
そんな中、今度の婚約者ときたら……。
”旦那様の呪いが効かない特異な体質”だというではないか。
メイドは顔面を蒼白にして身震いする。
確かに、あの晩餐の席で旦那様が彼女の肩に手を置いたとき、彼女は何の反応も見せなかった。普通なら、触れた瞬間に激痛に襲われて倒れてしまうはずなのに。
(やっぱり……この娘も旦那様と同じ普通じゃない。“魔物”かなにかなのよ。)
そう確信したメイドは、更に顔面を蒼白にしながら、森を進んでいった。
* * *
そんなメイドの心中など知る由もなく、私は楽しげに足を進めていた。
ユリウス様から聞いたとおり、屋敷を抜けて裏手の山へと続く小道を歩いていく。
風は心地よく、緑の香りが鼻をくすぐる。
しばらく進んでいくと、急に視界がひらけて道中とは異なる様々な植物や木々が生い茂る場所に出た。
広く開けたそこは、木々を切り開いて、畑のように整備されていた。
使用人たちが植えて手入れをしているのだろう。そこには、様々な種類のハーブや野菜が青々と茂っている。
視界の奥の斜面には果樹園が広がっていた。
木々にはリンゴや梨、ぶどうのほか、故郷では見かけない珍しい果実まで実っている。
季節は夏の終わり。枝という枝には、零れ落ちそうなほどたくさんの果実が鈴なりに実っていた。
「ここもすべて、お屋敷の敷地なの?
なんて広いのかしら……!」
私は感嘆の声を上げた。
「お嬢様、あまり遠くへ行かれるのはおやめください。この辺りには、凶暴な野獣が出没すると聞きます」
お供のメイドはおっかなびっくりといった様子だったが、私は気にも留めず果樹園の方へ進んでいく。
「こんなにたくさん実っているのに、とてもお屋敷の人たちだけでは食べきれないわ。
あとでもっと大きなかごを持ってきて……今度、町の人にも振る舞ってあげましょう。」
目の前に広がるのは、食べきれないほどの豊かな作物と果実。このまま放っておくのは、あまりにももったいない。
いくつか美味しそうな果物を摘んで屋敷に持ち帰ろうと、手を伸ばした――そのときだった。
「きゃああっ!!」
突然、背後からけたたましい悲鳴が響き、私は驚いて振り返った。
見ると、山の斜面の下でメイドが何かに怯えたように立ち尽くしている。
彼女の視線の先を追っていくと、農園の端のほう
――そこに、人の背丈の二倍はあるだろう巨大な野生の熊が姿を現していた。
熊は作物を荒らしに来たのか、全身を膨らませて唸り声を上げ、メイドを睨みつけている。
「熊を刺激してはだめよ! そこから動かないで!」
私は叫びながら斜面を駆け降りようとした。
しかし、メイドは恐怖に駆られてフェンネルの声など耳に入らない様子で、踵を返すと来た道を目散に走り出す。
それを見た熊が、怒りに満ちた咆哮を上げて彼女を追いかけていった。
(このままでは危ない……!)
私は咄嗟に手を前に差し出し、魔力を発動した。近くにあった栗の木のその一本に向かって衝撃波を放ち、木を粉砕する。
「バキバキッ!」と衝撃音があたりに響いて、メイドを追いかけていた熊が動きを止めた。
すると熊は、今度は私の方へと振り向いて咆哮を上げる。そのまま私に狙いを定めて突進してきた。
私は一瞬迷った_。
熊は私の方へ向かって、俊敏な動きで突進してくる。下手に魔法を使えば、前方にいるメイドに当たる可能性があった。
(慎重に対処しなければ_。)
私は神経を集中させたさせて両手を掲げた。
熊が目前まで迫り、そして二足で立ち上がって前足を振りかぶったその瞬間、私は再び衝撃波を放った。
「ドスンッ!」
轟音とともに、熊の体が後方へ吹き飛んだ。
巨体は斜面を転がり落ち、土煙を上げながら谷の方へ消えていく。
今回は、私が魔力を調整して放ったため、熊は後ろに弾け飛んだだけで致命傷には至らなかったようだ。
熊は転がってしばらく延びていたが、やがて呻き声を上げてのそのそと起き上がり、そのまま一目散に森の奥へ逃げていった。
「なんとか助かったわ…」
私は安堵して大きく息を吐き、次に逃げていったメイドの安全を確かめようと辺りを見渡した。
出口の方では、どうやら転んで気を失ってしまったのか、メイドがのびて倒れていた。
「_大丈夫? 怪我はない?」
私はその場からメイドに呼びかけると、自分も斜面を降りて様子を確かめようとした。
だがその瞬間――足元の木の根に足を取られ、大きくバランスを崩す。
「きゃっ!」
そのまま体勢を崩して斜面を転がり落ち、頭を打ったまま自分も気を失ってしまった_。




