8. あなたは特別よ
「分かっているわ」
頷いたイヴォンヌは私を見つめた。
急にイヴォンヌの青い瞳に涙が溢れた。彼女は涙を拭って私に微笑んだ。
1887年のバッスルスタイルで、瞳のサファイアブルーと赤銅色の髪を引き立てるアイボリーのアンダースカートをはいている。装飾にアンティークゴールドという配色は、おしゃれが得意なイヴォンヌの工夫だ。彼女は前髪を細かく巻いた前髪、うなじに巻き毛を垂らしていた。
いわゆる完璧におしゃれな淑女に変身したのだ。
「ロミィ、自分をつまらない存在だと責めているでしょう?見えないギロチンの恐怖に怯えて、自分の存在を消そうとしているでしょう?」
私はイヴォンヌの顔をマジマジと見た。イヴォンヌは続けた。
「私の得意な事を思いださせてくれたのは、あなた、ロミィなのよ。ついでに前世まで思い出しちゃったけど、本来、私は世話焼きでおしゃれが得意だった。そこに幸せを人知れず感じるタイプだったの」
私はぽかんとしてイヴォンヌを見つめた。
——何言ってるの?
「あなたは引きこもってばかりいたから、このことをずっと言えなかったのよ。でも、霊獣を呼び出したぐらいだから、本来のあなたに戻ってきているのよね?」
イヴォンヌは期待を込めた目つきで私を見た。
「ロミィ、ずっと言えなくてごめんなさい。あなたは特別よ。飛ぶ長椅子に乗れるのも特別だけれど、あなたは、人が温かい気持ちになれる、褒められた記憶を呼び起こしてくれるのよ」
私は言葉を失った。
何をイヴォンヌは言っているのだろう?
「そんな力があっても、なんの役にも立たないでしょ」
そう言いながら、私の目は洗ったばかりのモスリンのドレスを必死に見つめた。
視線を上げたら、
イヴォンヌの目を見たら、
きっと大粒の涙が溢れてしまうに決まっていたから。
不意に彼女に言われた言葉が、私の胸を打った。
体が熱くなり、心が震えるのが分かる。
13歳で婚約破棄された時、私は何がおきたのかよく分からなかった。
婚約破棄の理由すら教えてもらえなかった。ただ、単に、私には商品価値がなくて、ゴミ以下に思えた。
そこから先、どんなにその感情を否定しようとしても、その感情が私を包み込んで圧迫した。
恋すら分からなかった私は、自分が婚約相手のジュリアンに初恋をしていたのだと、後から分かった。
でも、その時にはもう自分の部屋から出られなくなってしまっていた。
人目が怖かった。
隠れてずっと過ごしたかった。
イヴォンヌの言葉は、私が心を潰してしまった時には届かなかった言葉だろう。
今だからこそ、私は生身の人間として、彼女の褒め言葉を受け取ることができるかもしれない。
「一体、誰との婚約打診書や婚約協議書、婚約条約、婚約契約書なの?」
「そんなのカイ・アッシュクロフトに決まっているじゃない」
「えぇ!?」
「おっと、あのきらきらした貴族ちゃんか?」
私とフリッツは一緒に驚きの声を上げた。
「腕がなるわ。スターと皇女が結ばれるのが、一番みんなが幸せなのよ」
イヴォンヌはイタズラっぽい顔をして、私たちに囁いた。
そんなの当たり前でしょ?と言いたげな感じに、私はうろたえた。
「ちょっと待って。向こうがどう思っているかが大事じゃない?」
私は反論をした。
大体、カイ・アッシュクロフトのようなキラキラスター男子が私と婚約するはずもない。
イヴォンヌはふふっと笑った。
15歳ながらレディに変身を遂げようとしているイヴォンヌは、私に軽やかにウィンクをした。
「向こうは大賛成だったわよ?」
フリッツは歓声をあげた。私はそんなバカなと後ずさった。
一瞬だけ嬉しい、と思ってしまった。
——それが、いちばん怖い。
——何を舞い上がってるの?ダメよ。
婚約打診書。
婚約協議書。
婚約条約。
そして、婚約契約書。
二年前も、この四つの書類が、同じ順番で私の前に並べられたのだから。




