76. 結婚詐欺師の逆襲
コンスタンツェは「ただの知人」と言われて、よろめいた。
先ほどまで、本物の伯爵の後継者ではないかと浮かれていた気持ちは、彼の不誠実さによって一瞬にして踏み躙られたようだ。
——あまりの言いようだわ……。
こんな所に自分から十五歳の令嬢を呼び出しておいて、それはない。
——あまりにコンスタンツェをバカにしているわ。
私は彼女が不憫だった。
「ただの知人呼ばわりされる筋合いはないわ。あなたが私に恋していると信じたから、私はお母様の宝石箱も、印章も、委任状も。全部、言われた通りに持ってきたのよ」
コンスタンツェは涙を溢れさせ、震える声で、エリオットに詰め寄った。だが、エリオットはそっぽを向いた。
コンスタンツェの瞳がグッと細くなり、冷たい光を湛えた。
その瞬間、かすかな蜂の羽音がした。
気のせいではない。
私はハッとして後ろを振り返った。フリッツの毛が逆立ち、イヴォンヌが蜂の気配に驚いた様子で両手を胸の前で組み合わせて、身をかがめた。
まるでそこに蜂が飛んできているかのような音がした。
「こんな安っぽい指輪など……って、取れないわ……」
コンスタンツェは指輪を外そうとして、もがいた。
——コンスタンツェ、本人の前で「結婚しない」と宣言しないと、指輪は外れないのよ。
「君が太ったからじゃないか?私が小指用にあげたのに、君が左手の薬指につけたいなどと言うから……」
ハンサムなエリオットはすまして言った。
どこまでも失礼な男だ。
「あなたがコンスタンツェに差し上げたのかしら?」
エミリアは冷ややかな声でエリオットに言った。
「まさかっ!彼女が私から奪ったのだ」
エミリアはエリオットの言葉に首を傾げた。
「アルテンハイム男爵は事業で成功していますわ。そんな小さな指輪をコンスタンツェが欲しがるわけないと思いますけれど」
コンスタンツェも苦々しい表情で言った。
「えぇ、彼がこんな手紙を私にくださるから、わたくし、色々して差し上げようと思ったのですわ。まさか身分詐称者だとは知らず」
「失敬なっ!私がいつ身分詐称を」
言い争いになりかけたその時、スペンサー伯爵の母君が割って入った。
「わたくしの夫は先々代スペンサー伯爵でした。先代ロバートと、現伯爵フレデリックは私の息子です。では……あなたは、どなた?」
エリオットの顔が引きつった。彼が動揺したのが分かった。
だが、彼は言ったのだ。
「私はスペンサーの息子です。お祖母様」
「その証拠はあるのかしら?」
エリオットは黙って、ポケットから金のロケットを取り出した。表にはスペンサー家の紋章が見える。
——スペンサー伯爵家のものだわ!
アリスが両手で顔を覆った。手が震えている。
スペンサー伯爵の母君はそれを手に持ち、無言になった。しばらく黙り込んでいる。そして、ゆっくりと中を開けた。
中を見た彼女は、愕然とした様子でエリオットの顔を見つめた。
「あなたのお母様はエロディなのね?」
「そうです。母から、私はスペンサーの血を引くと言われていました」
「これは、確かにスペンサーの家紋です」
母君の視線が、ロケットのもう一方の写真で止まった。
何かを言いかけるように唇が動いた。
「私は身分詐称などしていないだろ?コンスタンツェ?」
勝ち誇った様子でエリオットがコンスタンツェに言った。
『私が本物の、スペンサー伯爵夫人になる可能性がある?』
一瞬だけ、その言葉の可能性がコンスタンツェの頭をよぎったのだと思う。
コンスタンツェの瞳が、一瞬だけ揺れた。
けれど、彼女はまっすぐにエリオットを見た。
「だったら、なんなのでしょう?あなたが本当にスペンサー伯爵家の血を引いていても、たとえ本物の伯爵夫人になれるとしても、もう関係ないわ」
まるでそこに蜂が飛んできているかのような音がした。
「私はあなたとは結婚しません」
彼女は指輪を抜いた。あっさりと。
抜けた指輪をエリオットに差し出して、コンスタンツェは冷たく言った。
「お返しします。二度と私に近づかないで」
エリオットは受け取らなかった。
指輪は、白いテーブルクロスの上にコロンと転がったまま残された。
ブンブンと明らかに音が大きくなり、イヴォンヌが小さな悲鳴をあげた。
指輪は外れた。それなのに、コンスタンツェの瞳に宿った冷たい光は消えなかった。
羽音に合わせるように、その身体が小刻みに震え始めた。
アリスが涙にくれた瞳を不意に天井にむけた。一瞬で、アリス・ブレンジャー子爵令嬢の鋭い目に戻った。王立魔術博物館の銀の紋章に指が触れる。アリスが私を見た。
そして、唇だけを動かした。
——エリオットに誓わせて。
指輪は、まだテーブルの上にある。
贈り主が受け取らないかぎり、約束は半分だけ残っているのだ。
エミリアも、コンスタンツェの異変に気づいた。
「私にも近づかないでくださる?私たち、あなたみたいな詐欺師はお断りなのよ」
エミリアは鋭くエリオットに言い、コンスタンツェの腕をつかんだ。コンスタンツェをエリオットから引き離そうと、エミリアはコンスタンツェの腕を引っ張った。
「ダメよ!コンスタンツェ。自分の感情に飲み込まれないで。私と一緒に明日の九時半には豪華寝台列車に乗るのよ。帰りましょう」
エミリアの言葉にムッとした表情でコンスタンツェが言った。
「ちょっと、私がまた男性に騙されたと心の中で嘲っているのでしょ」
「そうよ」
「カイみたいな人にまとわりつくならともかく、この人じゃダメよ。利用されるだけ利用されて捨てられるだけ。コンスタンツェ、あなたの価値を分かる人をこっちから騙すぐらいじゃないと、この私が許さないわ」
エミリアはツンと澄まして言った。
「なんで、あなたの許しが必要なの?」
「あなたがまたマウントを取るからでしょ」
コンスタンツェの瞳に宿っていた冷たい光が剥がれ落ちるように浮き上がり、蜂の形を取った。
コンスタンツェから蜂の式魔が離れた。
フリッツが歯を剥き出しにし、飛びかかろうとした。
イヴォンヌが「やつよ」と私にささやいた。
——そう。ジュリアンと一緒にいた式魔は、今はコンスタンツェにまとわりついているのね。
——コンスタンツェから離れた今が仕留めるチャンスだわ。




