67. 【アリス視点】館長代理、浮気調査を始める
◆**アリス視点**◆
突然、アメリアが泣き出した。
それに驚いたカイは持っていたカップを落としそうになった。カイの作った苺のトルテを前に、胸を押さえて苦しそうに泣くアメリアは、豊かなブロンドの髪に、ブラウンの瞳の美しい女性だ。だが、自信の無さが全身から溢れるようなレディだった。
カイが思わずイヴォンヌに助けを求めようと、店内でイヴォンヌの姿を探したのが分かった。だが、あいにくイヴォンヌはまだ老紳士の相手をしていた。
アメリアが細い肩を震わせてさめざめと泣くので、カイの額に一気に汗が吹き出たのが分かった。
カイが焦って、たまたま客として店を訪れていた私に縋るように目配せをしてきた。
店に立つ時のカイは、学院のスターでも、侯爵家の跡継ぎでもない。ただの菓子職人だと決めているらしい。
生意気な口も、人を一声で動かす力も、金縁の丸眼鏡の奥にしまい込んでいる。
ただし、目の前で女性に泣かれることにだけは、今も昔もまるで慣れていないようだった。
仕方ないと私が腰を上げかけたその時、ようやくイヴォンヌの相手をしていた客が帰り、イヴォンヌがアメリアのテーブルにやってきたので、私はもう少し様子を見守ることにした。イヴォンヌは実年齢よりずっと大人だ。
「まずは、落ち着いて、お茶を飲みませんか?こちらは当店の菓子職人の彼が焼いた苺のトルテでございます」
イヴォンヌが優しく落ち着くようにと伝えて、さりげなく「カイが焼いた菓子だ」と身振りでカイを示し、カイと一緒にアメリアの真向かいに座った。
「あ、ありがとう」
アメリアは泣きながらお茶を飲み、苺のトルテを食べ始めた。ちょうどその時、ようやくロミィが店の裏口から入ってきた。メイドの衣装に着替えている。
泣きじゃくるアメリアに何事かと驚いた顔をしたロミィは、スピカとフリッツに肩をすくめられ、カイたちと一緒にテーブルについた。
「私は、小さい頃、とても両親に褒められたのです。聞き分けがいいと……でも、もっと気持ちが温かくなったのは、祖母に褒められた記憶です。お掃除が大好きで、祖母の引き出しを整理してあげたら、とても喜ばれたのです。メイドの誰より上手だと言われました」
アメリアは遠くを見る目つきになり、温かい紅茶を飲んだ。
「考えてみれば、聞き分けがいいという言葉に縛られていたのかしら……?」
アメリアはため息をついた。ボッティチェリの絵画から抜け出たような美女なのに、悩みは尽きないのだと私は思った。アメリアの表情はうっとりとした懐かしむような表情から、一転して、憂いを含む表情になった。
「いかがなされましたか?」
イヴォンヌが聞いた。
「実は、もう一つ相談事項があるのです。わ……わ……私の夫が浮気していると思うのです」
ロミィが静かにアメリアに聞いた。
「それは……確かなことなのでしょうか?何かその……疑わしいものを見たのでしょうか?」
アメリアは涙ながらに言った。
「造園業者の若い娘と夫が二人でカフェに入るところを、うちのメイドが見たのですわ。そのあと、二人でホテルに入ったと言うのです」
カイが思わずつぶやいた。
「ギャベンディッシュ公爵の入婿の浮気調査?」
浮気調査は十六歳のカイたちには荷が重すぎるのではないだろうか。
そこで、ついに、イヴォンヌが、店の奥でお茶を飲んでいた私に声をかけた。
「アリス、手伝ってくれるかしら?契約絡みではなく、大人の恋愛の問題のようなので、あなたに助けて欲しいの」
だって、ほら、あなたって四十代前半まで生きて、結婚もしていたでしょう?と言いたげな表情でイヴォンヌが私に言った。
私は面食らった。だが、自分の席から立ち上がった。
「なぜ、私が?私はただ、お客として店に来ただけなのに?」
私はこっそりイヴォンヌに耳打ちした。
ただ、目の前で十八歳のアメリアが泣いているのを見ると、放っておけないという気分になった。
「造園業の娘が次に来る日を教えてくださる?毎日来ているの?」
アメリアは、突然現れた第四の人物に面食らった表情になった。遅れてやってきたロミィ、イヴォンヌ、苺のトルテを運んできたカイの十代の三人組にしかお店のスタッフとしては他にいないように見えていたのだろう。私の登場に明らかに警戒した表情を浮かべた。
「えぇ、最近は毎日朝から来ていますわ」
「今日もかしら?」
「えぇ、今日も来ていると思いますわ」
「では、一緒に公爵家に行きますわ。私、アリス・ブレンジャーと申します。王立魔術博物館館長代理を務めております」
私が名乗ると、一気にアメリアの表情が明るくなった。
「あっ!新聞で拝見したことがございますわ。ブレンジャー子爵令嬢ですわね?」
「えぇ」
アメリアは、急に心強い味方が現れたと思ったようで、ほっとした表情になった。
「アメリアのことはよく知っているのよ」
私はロミィたちにそっと耳打ちした。
その頃、霊獣二匹は、大人の恋模様には興味がないようで、仲良くおやつタイムと決め込んだらしく、カウンターの奥に引っ込んでいた。
アメリアを放っておけなかった。
ただ、それだけだ。
——いや。
自分の問題から少しの間逃げられる。そう思ったのも事実だった。




