62. お茶か、契約書か
金色に透ける並木の下を、秋物のドレスと羽根飾りの帽子が行き交っている。カフェのテラスには薄い陽が差し、磨かれた窓ガラスには、黄葉と青白い空とが重なって映っている。
ザックリードハルト皇国、グランデュール地方。その中心に、皇都リードミンスターがある。最近、ひそかに評判を集めている店がある。
皇宮から凱旋門へ延びるグランヨーク大通りには、高級店が軒を連ね、立派な馬車と魔力配達郵便車が絶えず行き交っている。
ほら、今日もその華やかな大通りの一角で、馬車を降りて静かな脇道へ入っていく人々がいる。
貴族令嬢や学院の生徒だけではない。商人、職人、使用人——それぞれ何か困り事を抱えた人々だ。
彼らが向かうのは、ゴーニュの森へ続くゴーニュ門通り。
その七番地に、一軒の小さな店があった。
「蜂蜜菓子と銀のインク・ベルンシュタイン」
店の看板にはその名前がある。ロミィ皇女の店だとは誰も知らない。
入り口に黒板が出ており、説明書きが小さくあった。
『《蜂蜜と羊皮紙》契約相談室
菓子・紅茶・珈琲、術式書・魔法書を取り扱っています。
契約文書の読解も承ります』
注意書きで、営業時間は午後から、とだけ書いてあった。
近くのリードヴェイル地区には、聖セレスティーヌ女学院やセント・エントン王立学院があり、そこに通う貴族令嬢や貴族子弟が馬車で乗り付けてくることが多い。
しかし、注意深く見ると、彼ら以外にも、実際には街に住むさまざまな人々が店に通っているのが分かる。
***
カランコロンと、今日五度目の呼び鈴が鳴った。
焼きたての蜂蜜菓子の香りが漂う中、私は銀色のインクを入れたペンを置き、メイドのお仕着せのエプロンを整えた。
隣でイヴォンヌが先に来たお客様に話を伺っている。エスルお姉様の描く絵の包装紙が大人気で、入荷しても入荷しても、間に合わないほどだ。
「いらっしゃいませ」
扉の前に立っていたのは、革製の書類鞄を胸へ抱えた若い女性だった。
「お茶を召し上がりますか?それとも、読んでほしい契約書をお持ちですか?」
「式魔が悪さをしまして」
その言葉に霊獣香リスと霊獣ハリネズミが、カウンターの奥で耳をそばだてるのが分かった。
「蜂の形の式魔でして」
その瞬間、フリッツとスピカは若い女性の前に姿を現した。
「引き受ける!」
「おぉ、喜んで、退治してやるぜ」
「ちょっと待て、フリッツ、スピカ。まずはお話を伺うのが先だ」
カイがお茶を入れたポットとカップをお盆に乗せて運んできた。焼き菓子も添えて。
カイが、お盆を置くついでに、私の頬についた粉を親指でぬぐった。
「店主さん、粉がついてる」
「……お客様の前よ」
「知ってる」
私たちの店は、繁盛していた。
一般のお客様は、私が皇女だとは気づかない。
事情を知る学院の皆も、黙っていてくれる。
式魔の情報は、お客様が持ち込んでくれる。術式の綻びは、そう、こちらから行かなくても、向こうからやってきてくれる。
私はただ、皆に幸せになってほしい。
かつての私のように、悩みの中で周りが見えなくなった人へ、手を差し伸べたい。
私の力はささやかだ。
今日も、聖セレスティーヌ女学院の授業が終わると、お店に通う。
温かいお茶と、婚約者が焼いたお菓子をお渡しして、お悩みのお客様の温かい記憶を聞くだけだ。
それだけでも、顔が明るくなるお客様は多い。
窓際の一番奥の席では、カルメンが手帳を開いていた。頼まれてもいないのに、来店したお客様の時刻と用件を記録している。
その向かいで、リゼットが扇をゆるく揺らしていた。
「この店の噂を流しているのは、わたくしですわ。感謝なさって」
「フリッツ!スピカ!こら、勝手に話を進めない!」
イヴォンヌが霊獣二匹に説教している声がして、私は我に返った。
まったく、フリッツもスピカも、姿を現さない式魔に夢中なんだから……。
あの式魔は、もう教授の命令を遂行してはいないはずだわ。
——命令を出す人は、もういないのだから。
それでも、蜂は飛んでいる。




