6. 逃げないで、ロミィ
私たちは優雅に聖セレスティーヌ女学院の庭園の木立の影に着地した。
私は軽く手をあげて合図をし、長椅子を引き返させた。
長椅子は我がロクセンハンナ家の居住である皇宮の地下にすっ飛んで戻って行った。
「主、長椅子にまた乗せてくれ」
霊獣フリッツはキラキラした瞳で私を見つめて、興奮した様子で頼んだ。
「いいわよ、こんな事でいいなら。あなた、結構素直な霊獣なのね。嫌味で皮肉屋なだけかと思った」
「……なんか、嫌な感じ。友達いなそうなのは、そういうとこだよ」
フリッツは悪態をつきながら、私をじろっと見た。
私は構わずに続けた。
「午後はダンスの時間だけど、貴方必ず大人しくしててよ」
「俺を召喚したのは主だろ」
ぶつぶつ言い合いをしながら、私たちは聖セレスティーヌ女学院の建物に入って行った。
私の肩につかまっていた香リスは、スッとスカートの影に隠れた。
無駄にペチコートという存在があるせいで、幾重にも裾があるドレスの構造は、フリッツの隠れんぼに便利だった。
午後の授業はダンス。
つまり、我が聖セレスティーヌ女学院の貴族令嬢たちが狂ったように熱をあげている、カイ・アッシュクロフトを始めとする、貴族子弟界隈のスター達が王立セント・エントンからやって来る。ダンスは大人気のクラスだった。
ダンスが踊れることは勿論、社交界デビュー前に貴族子弟界隈の高嶺の花として降臨できれば、生涯に渡る富と幸せに導かれると固く信じられていた。
エミリア・デ・アルバ嬢が狙っていたのは、皇女の私がこのダンスクラスに出られない事。
——おあいにくさま。生卵から生還した私は、霊獣を従えてクラスに出るわよ。
——エミリア、じっくり見てなさいっ!
私は唇を一文字に結び、霊獣フリッツをスカートの中に隠して、ダンスフロアに向かった。
周りを貴族令嬢達が互いに話しながら足早に通り抜けて行った。
「アッシュクロフト様はもういらしているそうよ」
「素敵だわぁ、私とダンスを踊っていただけないかしら?」
やがて王立セント・エントン学院の生徒たちが到着し、ダンスホールの空気が一変した。
令嬢たちの視線が、一斉に入口へ集まる。その中心にいたのが、カイ・アッシュクロフトだった。
***
散々いびり倒して、私を無能だと吹聴して回ったエミリアが、私の目の前で綺麗なお辞儀を披露している。
「私とは不釣り合いですわ。ぜひ、ロミィ嬢と仲良くしてあげてくださいませ」
心にもないことを、王立セント・エントン学院一の人気者であるカイ・アッシュクロフトに甘い猫撫で声で言っている。
——エミリアったら、なんなのよ。
「あぁ、そうするよ」
カイ・アッシュクロフトはニヤッと笑ってそう言った。
こちらをまっすぐに見たカイ・アッシュクロフトはすっと私に近寄ってきた。彼が耳元で囁いた言葉に私はビクッとした。
「皇女、卵の匂いはもう取れたか?」
ブロンドの髪の毛の間から、青い瞳が真っ直ぐに私を射抜くように見つめた。
彼は、からかっているのだ。
——いや?
カイは一瞬だけ、背後にいるエミリアへ冷たい視線を向けた。
——カイは全てを知っている?
私は驚いてカイの瞳を見つめた。その様子を苦虫を噛み潰したかのような顔をしたエミリアが睨んでいた。
エミリアの期待とは裏腹に、私のドレスが洗われて綺麗になっていたことと、カイ・アッシュクロフトが私に意味ありげに接近したことが、非常に気に食わないようだ。
私はエミリアの目つきにゾッとした。
私をいじめたエミリアは、カイの花嫁の立場を狙っているのだろう。
まだ15歳なのに。
——いや、もう15歳だから、というべきか。
その時、もう一人、私を値踏みするように目を細めて見ている貴族令嬢がいた。
従姉妹のイヴォンヌ・ド・モンフォール伯爵令嬢だ。
イヴォンヌの視線を追って気づいた。
——まずい!
私のドレスの裾から香リスのフリッツがのぞいていた。
「フリッツ!隠れて!見えているわ!」
私は小声で素早くささやいた。
「おっと、ごめん」
香リスは素早く姿を消した。
ますますイヴォンヌの瞳が険しくなり、私を睨むようにじっと見た。
——気づかれたかしら?
従姉妹のイヴォンヌに密かに手招きされた。
——無視しよう。
そして、私は逃げるようにしてカイから身を離した。
エミリアがすごい剣幕で私を見つめていたから。
モンフォール伯爵家特有の勘の鋭さを持つイヴォンヌは、私が霊獣を引き連れていることに何か勘づいたに違いない。
——面倒だわ……絶対にイヴォンヌに気づかれたわ!
足早にダンスホールを歩いた。
ダンス教師がリズムを刻み、生徒の貴族令嬢や貴族令息たちがペアになって、くるくると踊り出す間を私はすり抜けて行った。
でも、遅かった。
「逃げないで、ロミィ」
私は右手をさっと掴まれた。
イヴォンヌだ。
彼女にくるりと回された。
男役をイヴォンヌが務める気のようだ。
思わず手を引っ込めようとしたが、イヴォンヌは猛烈な力で私の手を掴み、離してくれない。
彼女の美しくブラッシングされた髪は赤毛から見事に赤銅色のブロンドの一種に変貌を遂げていた。
イヴォンヌの長いまつ毛の下から、青い瞳が私を私を見つめる。
「何……離してよ」
「あなた、また何かしたでしょ?」
「何って、何かしら?」
くるくるとリズムよくステップを刻みながら私とイヴォンヌはホールを回った。彼女のシフォンのドレスが華やかに円を描く。
「11歳のあなたが何をしでかしたか覚えているわよ。あの時と同じような事を、あなたまたしでかしたわね?」
私はドキッとして、手を振り解こうとした。
「放課後、温室に来なさい。バラされたくなかったら、誰にも言わずにね」
イヴォンヌは私に素早く囁いて離れて行った。
それに気づいた王立セント・エントン学院の背の高い男子学生がイヴォンヌの元に滑るように近づき、彼女にお相手を申込んだ。
彼はイヴォンヌの許可を得て彼女の手を恭しく取った。
私はカイ・アッシュクロフトが私に近づいてくるのに気づいた。
フリッツがスカートの下から姿を現す前に、ダンスホールから逃げるようにして去った。




