53. 一位の午後
「まぁ、カイさまよっ!素敵……!」
「キャァ、見ているだけで幸せになれるわ」
口々に黄色い声が上がる中で、カイ・アッシュクロフトは真っ直ぐに私の元に歩いてきた。
「ロミィ、俺と踊ってくれ」
「いいわ」
私は真っ赤になりながらも頷いて、カイが差し出した手を取り、ダンスフロアの中央にエスコートされた。
さりげなくカイの手が私の腰に添えられている。
歓声とも呻き声ともつかない声が上がった。
「行くよ、ロミィ」
「えぇ」
私たちは息を合わせて、目を見つめあって踊った。
実は、アッシュクロフト侯爵邸で散々練習した。イヴォンヌとラーズローがステップを直し、ルイ兄様とアルベルト王太子まで腕を組んで注文をつけた。ダンスは分からないと言ったアリスはルイ兄様ばかりを見つめ、アルベルト王太子はシャーロットのおやつ籠から葡萄を失敬していた。
皆のアドバイスと特訓の成果か、カイと私はうまく踊れているようだ。
「ナイス!」
イヴォンヌが前世の言葉を呟きながら、私のそばをくるくると回転しながら通り過ぎて行った。ラーズローは、イヴォンヌに首ったけのようなのに、イヴォンヌったら気づかないふりをしていた。ときどき、イヴォンヌが私よりずっと年上に見える。
「あの坊ちゃんは、純粋でいいわ」
イヴォンヌが二歳も上の彼のことをそう評しているのを聞いて、どの目線で仰っていますかと私は思ったりもした。だが、二人は良いコンビだった。
私たちが踊っている姿を見て、寂しそうにしていたのはエミリアだ。完全に壁の花になることを決めたらしいエミリアは、私とは口をきかなかった。
エミリアと目が合った。
エミリアは、すぐにそらした。
私は、幸せそうに見えただろうか。
私は昨日から連絡が途絶えたアリス・ブレンジャー王立魔術博物館館長代理の事が気になってはいたが、アリスのことだ、元気に連絡して来るだろうと思いなおした。
帰りの寝台列車で、アリスは私に小さな包みを預けた。「しばらく持っていて」とだけ言って、理由は言わなかった。
何人かの令嬢が、カイが私と踊る様子にイライラしたように扇をパタパタしているのに気づいた。
仕方ない。
カイの事が諦めきれないのだろう。
「ブスのくせに」
「あら、でも、カイさまも嬉しそうよ?」
「どうせすぐに捨てられるわ」
私の耳にはしっかり聞こえていた。
その瞬間、イヴォンヌがクルクル回りながら、その令嬢たちの中に突っ込んで行った。
「ごめん遊ばせ?」
「失礼」
モンフォール伯爵令嬢のイヴォンヌとラーズロー子爵令息は、澄ました顔で謝ると、またくるくるとダンスを踊り始めた。
「ナイスゥ」
私のドレスの影にしがみついていたフリッツが、私とカイにしか聞こえない声で囁いた。
思わずカイが吹き出して、私もつられて笑った。
午後の授業をすべて終えると、私はそろそろスペンサー伯爵夫人がお見えになる頃だと思い、聖セレスティーヌ女学院のロビーに向かって中庭を歩いていた。
砂漠の家は、ディアーナ姉様の叔母にあたるスペンサー伯爵夫人の邸宅だったという。あの素敵な邸宅の持ち主に会えると思うと、心が浮き立った。
足早にイヴォンヌが私の前を歩いているのに気づき、私は走って彼女に追いつこうとした。
イヴォンヌのライラック色のドレスが角を曲がって消えた。私も急いで後を追った。
だが、そこで見たのは、黒髪の知らない女性に首を絞められているイヴォンヌの姿だった。
「イヴォンヌ!」
私が思わず駆け寄ろうとすると、黒髪の女性が叫んだ。
「来ないで!近づいたら、この手が彼女を殺してしまう!」
フリッツとスピカがうなり声をあげて飛びかかろうとして、ぴたりと止まった。
「ここに、私のものがあるはずなの」
黒髪のその女性が私に言った。
「何を探しているの?」
「分からない。何を預けたのかも思い出せない。でも、返してもらわなければならないの!」
黒髪の女性が叫び、私は身動きができなかった。
女性は片手を無理やり引き剥がし、もう一方の手首を掴んだ。指が震えながら一本ずつ開いていく。
その隙に、イヴォンヌは腕を振りほどいて芝生へ尻餅をついた。赤くなった首を押さえ、激しく咳き込んでいる。フリッツとスピカが、その前へ駆け寄った。
私は泣きたかった。
誰だか分かったから。
顔には、見覚えがなかった。
先週まで一緒にいた彼女より、二十年以上も年を重ねて見える。
けれど、エメラルドの瞳と、その声を私は知っていた。
——アリス・ブレンジャー。
私が預かったのは、銀の紋章。王立魔術博物館の銀の紋章だった。
アリスは、自分が何を取りに来たのか知らない。
知っているのは、私だけだ。
銀の紋章は、いま、私の胸元にある。
——アリス。これ、あなたが私に預けたのよ。
——返したら、その手を動かしている誰かのものになる。




