49. 世界を救うお茶会に、元婚約者をご招待します
ヴェイン家の別邸が、みるみる近づいてきた。
私は屋根をかすめる寸前で長椅子を引き起こし、速度を落として建物の周囲を旋回した。
ジュリアンがここにいることは、イヴォンヌから聞いている。彼女が別邸へ忍び込み、教授の手掛かりを持ち出したことも、危ういところをスピカに救われたことも。
そして今、世界の魔法を取り戻す鍵は、あの元婚約者の記憶にしか残っていない。
「主、皇太子妃に相談しなくていいのか?」
「ディアーナ姉様とアリスには話してあるわ。ここでは教授に聞かれる可能性がある。まず本邸へ連れ出すの。事情を説明して、本人が承知してから記憶を開くわ」
「主、ジュリアンは飛ぶ長椅子に乗ったことがあるのか?」
「ないわ」
「ますます、主の力に心酔しちまうんじゃないか?」
スピカが心配そうにボソボソ呟いている。
「心酔なんてしないわよ。この変人がっ!とか思うだけよ」
私は別邸から距離を取り、窓の中をうかがうように旋回した。
さっきからピアノの音がしている。シューマンの《トロイメライ》だ。夢見るような旋律なのに、同じ小節で何度も音が乱れていた。ジュリアンはピアノが好きだったと思い出しながら、私はピアノの音の方に飛んだ。
「あっ!ロミィ!」
嬉しそうな声がして、ジュリアンが窓から顔を出して来たのは、その時だ。
ヘーゼルの瞳が私をとらえた。
「すごい!初めて見た!」
彼の瞳がキラキラと輝いた。
私は無性に腹が立った。スピカの予言が当たった。
何を呑気に「すごい!」ですか。
こっちは貴方が私に仕組んだことを全部知っているのよ。
腹立たしいが、お茶会のお誘いを成立させなければならない。
「ジュリアン、アッシュクロフトの本邸でのお茶会にご招待しますわ。エイトレンスのアルベルト王太子もいらっしゃいます。あなたもご一緒にいかが?」
さりげなく、権威欲が強いであろうジュリアンを刺激した。
——アルベルト、あなたを利用させてもらうわ、ごめんなさい。
——二人きりの誘いではなく、公のお茶会だと分かれば来やすいはずだ。
霊獣二匹はピタッと私のドレスの影に隠れて姿を見せない。姿を見た瞬間に、ジュリアンが怯えて悲鳴を上げるのは目に見えている。
「え?本当に?ご招待?」
「そう、ご招待よ」
「でも、君の新しい婚約者の家だよね……なんか遠慮しちゃうな」
——ほほう、権威欲より、常識をとるのね。
私はさりげなくさらに追加した。
「エイトレンス王妃様やアルテンハイム男爵令嬢もご一緒よ。皆でお茶会をするのに、残念だわ。じゃあ、また。ごきげんよう」
私は伝説のブルクトゥアタらしく、颯爽と滑空した。
「待って。魔力供給が止まって、朝から厨房の火起こしを手伝っていたんだ。この格好で王妃様の前には出られない。着替えるから待ってくれる?」
「着替える時間はないわ。実は魔法網の復旧に関わる話なの。事情は安全な場所で説明するから、今すぐ来て」
教授に口を封じられる前に、ジュリアンを別邸から連れ出したかった。教授は隠し回線を断たれ、寄生させていた術式も失っているはずだ。出てこれないだろうが、何をしでかすか分からない。
「恥ずかしいよ」
「非常時ですもの。王妃様もお召し物など気になさらないわ」
私は満面の笑みを浮かべて(吐き気がしそうだったが)、ジュリアンに手を差し伸べた。式魔も消えたようだ。ジュリアンはひとりぼっちで、長椅子に乗り込んできた。
「いくわよ!」
「うわぁ、最高だ!」
私の後ろで十八歳のジュリアンは子供のように歓声をあげたが、私の心は凍りついていた。
——少しくらい怖い思いをさせても、罰は当たらないかしら。
私は内心そう思いながら、アッシュクロフト本邸に飛んだ。
しばらく、風の音だけが続いた。
やがて背後から、鼻をすする音が聞こえた。
「ロミィ」
「何?」
「俺は……」
ジュリアンは何かを言いかけ、飲み込んだ。
「いや。先に、やるべきことをやる」
ジュリアンはそれ以上は何も言わなかった。
ドレスの影で、スピカが満足そうに小さく頷いた。
「主、こいつ、少しくらい脅かしてもいいか?」
フリッツの声がして、ジュリアンは長椅子の上で飛び跳ねた。危うく本当に落ちるところだった。
ジュリアンの身体が座面から浮き、私は反射的に彼の袖をつかんだ。
「空の上で驚かせないで!」
私は思わず叫んだ。
「……でも、今さら泣かれても、私はもうあなたのためには泣かないわ。私には、本当の私を見てくれる人がいるもの」
「主、オイラに感謝するところだよな」
スピカがヌッと顔を出して、いよいよジュリアンは叫んで騒いだ。
「うっさい!」
私はジュリアンを一喝すると、供給魔力の消えた街を通り抜け、アッシュクロフト本邸の庭に着地した。
庭では、イヴォンヌとラーズローが待っていた。二人が微妙に目を合わせようとしないのを見て、私はバッスルを届けに来たラーズローと、耳まで赤くなっていたイヴォンヌを思い出した。
こうしてジュリアン・エドワード・ヴェインは、自分の記憶が世界の魔法を取り戻す鍵だとも知らないまま、お茶会へ招かれた。
まさに、飛んで火に入る夏の虫だ。




