47. 午前零時、魔法は消える
その日の午後には飼い猫を抱いたエイトレンスのアルベルト王太子と、エイトレンス王妃、つまりアルベルト王太子の母君が到着した。膝下まであるタバコブラウンの旅行外套を着て、肩を覆う短いケープを靡かせて馬車から降り立ったアルベルト王太子は、相変わらずだった。
「ディアーナが倒れたって、どういうことだ、ロミィ!」
「来て早々うるさいわね。相変わらず独身?」
私がうんざりした調子で言うと、アルベルト王太子は不服そうな様子で言った。
「見舞いに駆けつけた悪友への第一声がそれか?」
ディアーナ姉様とのことになると、今でも人が変わったようになるのは変わらない。なぜ、恋人のフローラ・ガドバン伯爵令嬢と結婚しないのかは謎だ。王妃も首を傾げてうんざりしたように目を回した。
私の横にアッシュクロフト家の嫡男がいることに気づいたアルベルト王太子は気遣わしそうに私に聞いた。
「今度の婚約は、誰が決めた?」
「私よ。私がカイを選んだの」
すかさず、カイが横からはっきりと言った。
「俺も、ロミィを選びました」
アルベルト王太子はカイをじっと見て、小さく頷いた。
「ならいい。今度は本物だな」
そこに、コンスタンツェが姿を現し、カイを馴れ馴れしく散歩に誘ったのを見て、アルベルト王太子は眉を吊り上げた。
「いや、私は忙しいので、是非エスル姉さんとどうぞ」
カイが即座に断ったのを見て、アルベルト王太子は私に目配せをしてきた。
コンスタンツェの目論見は丸見えなので、ある意味やりやすい。
昨日、彼女が村で誰かと短く話しているのを遠目で見たが、誰と話していたのか謎だった。
そこに王立魔術博物館の館長代理のアリス・ブレンジャーが姿を現した。
「あら、殿下、遅かったですわね。殿下、ディアーナ様のお見舞いは後です。まず停止承認をしていただきたいものがあります」
「君、ルイにはもう少し愛想がよかっただろう」
「ルイ皇太子殿下と殿下を同列に扱う理由がありません」
「本当に俺には容赦がないな」
「では、こちらへ」
アリスがテキパキと事情を説明し、アルベルト王太子は応接間に通された。テレサとミラ、執事のレイトンはアルベルト王太子とは、旧知の仲なので、ディアーナに張り付いているテレサ以外は、アルベルト王太子と王妃のお世話をしていた。
ユーリーは猫用に薄めた山羊乳を与えられ、大満足だった。しかし、霊獣香リスと霊獣ハリネズミの出現に、大慌てで椅子の下に隠れてしまった。
アリスが銀章に指を置くと、先ほど記録した術式顕現の像が、応接間の空中へ再現された。複雑怪奇で網の目を張り巡らしたかのような魔法網上に赤い花が咲いているのを見た王妃は、小さな悲鳴をあげた。
「本当に止めないとダメなんだな?」
「はい、殿下」
アリス・ブレンジャーははっきりと言った。
「病院や、購入魔力で生命を維持している者はどうなりますの?」
王妃は迷うように言った。
「独立予備魔力への切り替えは、病院、給水施設、鉄道信号、消防設備の順で進めています。ただし、すべてを救える保証はありません」
「停止しなければ?」
「赤い花が魔法網全域へ根を張ります。今やらなければ、こちらから停止することすらできなくなります。予備魔力は、三日分しかありません」
アルベルト王太子はアリスに囁くように言った。
「君は魔力を買っているんだったな。止めれば、君が真っ先に何もできなくなる」
「存じております」
アリスはにこやかに答えた。
自分が真っ先に何もできなくなる決定を、この人は自分の手で通した。
「では止めなさい。混乱の責任は王家が引き受けます」
王妃の言葉を受け、アルベルト王太子が銀章へ手を置いた。
「王太子アルベルトの名において、現行魔法網の停止を承認する」
「ザックリードハルト皇帝の裁可は、ルイ皇太子殿下を通じてすでに届いております。ほかの関係国からも、テレグラフで承認をいただきました」
アリスはそう言って、私の方を見据えた。
「これで、関係五か国すべての承認がそろいました」
アリスは銀章へ指を置いた。
「本日午前零時、現行魔法網を一斉停止します」
魔力の供給が止まると、いろんな社会機能が麻痺するはずだ。
人々は、自分を守ってくれていたものがなくなる。
テレグラフで各国と忙しくやり取りが続いているようで、アルベルト王太子もルイ兄様もバタバタしていた。
「お茶をどうでしょう?」
私は皆を集めて、お茶会を催した。アッシュクロフト本邸の菓子職人達が腕を振るったデザートが運ばれた。サクランボや酸果桜のレーテシュ、苺や木苺のタルト、胡桃のトルテが人気だった。
「主、このお方は例の?」
「おい、フリーっツ、ダメだ。野暮な質問をするな!皇太子がいる!」
「スピカ、どうしても……」
「そこのリスちゃん、そうよ、この私の愚息がディアーナにフラれた例のお方よ」
エイトレンス王妃が霊獣香リスをチラッと見て、蜂蜜菓子に舌鼓を打ちながら言った。
「ググっ!お母様っ!」
アルベルト王太子はお茶にむせて、涙をこぼしながら、抗議の声をあげた。
「この会話は楽しいのよぉ、エイトレンス国民全ての共通の世間話として人気があるの」
「ですね!」
アリス・ブレンジャーがキッパリと言い、アイスクリームを食べている。
「あ、もちろん私はその場合ルイ皇太子派ですけどね!」
アリスはルイ兄様が同じ席にいるのに気づいて慌てたように補足した。
ルイ兄様とアルベルト王太子は、互いに顔を見合わせて、ため息をついた。
「私、子供の頃に褒められたのよねぇ、私が作ったお菓子が美味しいって……また焼いてみようかしら?」
王妃が話し出し、アリス・ブレンジャーも思い出したように話し始めた。
「私は魔術を覚えるのが得意だったんですよ。覚えているばっかりで使えなかったけれど。でも、ある日、隣に住む子爵を訪ねてきた子爵の姪っ子に教えたんですよ。そしたら、彼、まだ小さいのに雲の形を兎の形に変えたんです!もしかして、私、教える力があるのかしら?あれは楽しかった」
それをきっかけに、皆が忘れていた話を始めた。
私の顔を嬉しそうに見つめるカイの顔に気づいた。彼はにこにこしながら、王妃が自分が焼いた蜂蜜菓子を頬張る様子を眺めながら、私に幸せそうに笑った。
イヴォンヌも、甲斐甲斐しくお茶会を仕切りながら、幸せそうだ。
「ロミィ、お前の力だ。すごい事だぞ」
隣に座っているルイ兄様が私にそっと耳打ちした。
魔法が消えた世界で、人が温かい記憶を思い出すだけで、少し幸せな世の中に変わるのであれば。
私は各国の王や皇帝に、王宮や教会、駅に残された茶と菓子を民へ無償で振る舞えないかと願い出た。魔法が消えた世界で、殺伐とした気持ちではなく、民が少しでも幸せに過ごせれば。今夜すべての町で、とはいかない。それでも明日の朝、ひとつでも多くの場所で温かな飲み物が配られるように。
お茶会が終わるころ、その要請は五か国の共同施策として正式に決まった。
窓から初夏の夕日が差し、卓上の銀器と、食べかけの酸果桜のタルトを照らしていた。誰かが笑い、誰かが昔の幸福を語っている。
「ロミィ皇女。魔法網停止の術式は、あなたが唱えます」
部屋の笑い声が、急に遠くなった。
——私が、世界の光を消すのね。




