45. 私の力を欲しがった元婚約者と、私自身を選んだ侯爵令息
フリッツが騒ぎ、イヴォンヌが早朝に一人で抜け出したと知った私とカイは、慌てて後を追った。だが、間に合わなかったようだ。追いついたときには彼女はもう出てきていた。
「こんなところにバッスルの忘れものかい?」
私たちが目をあげると、十七歳ぐらいの貴族男子がイヴォンヌの前に立っていた。
イヴォンヌの顔が真っ赤だ。
「あれは?」
私がカイに聞くと、「親友のラーズロー・ヴァルガイだ。ちょうど今日、俺のところに遊びに来るところだった」と囁かれた。
セント・エントン王立学院に通っている、カイより二つ上の親友らしい。
「ありがとう。ちょうど落として、探していたのよ」
イヴォンヌは優雅にそう言いながらも頬は赤く染まっていた。恥ずかしいらしい。
「屋根を飛び越えたか?」
「えぇ、何か問題でもある?」
イヴォンヌはそう言って、ラーズローが呆気に取られている隙にこちらに走るようにしてやってきた。
飛ぶ長椅子にすぐさま彼女を引き上げた。ラーズローは、飛ぶ長椅子へ引き上げられていくイヴォンヌを呆然と見送っていた。
その手には、彼女が置き忘れたバッスルがまだ残っていた。
「スピカ、いるわよね?」
イヴォンヌが神経質にいうと、彼女のドレスのひだの間から、スピカが顔を出した。
「いるさ、全く、オイラがいなかったら、危なかったぜ」
「ごめんなさい」
イヴォンヌは手に持っている手紙と書類を差し出しかけたが止めた。
彼女は迷っているように躊躇った。
イヴォンヌは神経質そうに私を気遣って、ついに観念したように首を振って私に渡した。
「二年前のロミィの婚約に王立魔術博物館の職員が関わった証拠よ」
イヴォンヌが差し出した手紙と、婚約契約書の草稿は、私の心を打ち砕いた。
——やっぱり、私の力だけが欲しかったんだわ。
「あっ待って!ロミィ、そういうつもりじゃなかったの」
慌てるイヴォンヌを制して、カイが私の肩をぎゅっと抱きしめた。
「君にどんな力があっても、なくても、俺が好きなのは君だ」
カイが真剣に私の顔を見つめて言った。
そして、私の手から草稿をそっと抜き取って、自分の上着の内側へしまった。
——今は、見なくていい。
そう言われた気がした。
本邸へ戻ると、カイは草稿をイヴォンヌへ返した。私の目に触れないよう、裏返したままだった。
朝食もまだだったイヴォンヌと一緒に、私たちは食堂で簡単なお茶とビスケットを食べていると、ルイ兄様がやってきた。
「ロミィ、ディアーナが目を覚ました」
その途端、私は立ち上がってルイ兄様に飛びついていた。
「よかったわ!本当によかった!」
「でね、少し、ロミィと話したいとディアーナが言っているんだ」
私は頷いた。
話したいことは沢山ある。
犯人のこと、アリスのこと、イヴォンヌが見つけた証拠のこと。
「少しだけだよ。いいね?昔、砂漠の家でのことを覚えているね?」
私は、やはり昔砂漠の家でディアーナ姉様が倒れた時のことを思い出して、頷いた。
「覚えているわ。少しだけ会話するわ」
「待ってください!私も一言ディアーナ皇太子妃に聞きたいことがあるのです」
イヴォンヌがすがるように言ってきた。手には例の手紙を持っている。
手紙を見たルイ兄様は顔色を変えてよろめいた。
「これをどこから?」
「ヴェイン家の別邸の家令の執務室からです。今朝、持ち出しましたが、方法は聞かないでください」
「あぁ、方法は聞かない」
ルイ兄様は一瞬躊躇った。だが、イヴォンヌに言った。
「一言だけだ。それ以上は、ダメだ」
「わかりました」
イヴォンヌは頷いた。
私とイヴォンヌは部屋にそっと入った。
ディアーナ姉様は、顔色が悪かったが、十一歳の時に見た時と同じように見えた。姉様は、深い眠りから覚めたばかりだった。
「ロミィ、元気そうで安心したわ。傷は残ってないわね?」
「はい、お姉様、全く傷はないです」
「アリスが到着したと聞いたわ。アリス・ブレンジャーは姉と違って信用できるわ。彼女には何でも話して大丈夫よ」
私は状況を説明した。イヴォンヌが手紙と婚約契約書の草稿を見せた。
「この草稿は、私たちは見ていないのよ。隠されていたの。でも、あなたが寝ている時に呼び出した霊獣スピカが、見抜いてくれた」
ディアーナ姉様はポツリと言った。
「試してほしいことがあるの。術式顕現で魔法網と赤い花を見て欲しいの。エイトレンス、ザックリードハルト、ヴァイセンブルク帝国、レスパーニュ、ピエモントと広がる魔法網の中の様子よ」
そこでディアーナ姉様が私に尋ねた。
「ロミィ。砂漠の家で術式顕現をしたとき、赤い花は見えた?」
「二度とも、一輪も見えなかったわ。ザックリードハルトやほかの国では増えていたのに、あの家だけは空白だった」
「あの家は、元々ブランドン公爵領にあったの。私が建物ごと砂漠へ移した。でも、魔法網の所在地変更はしていないわ」
イヴォンヌの顔色が変わった。
「では、あの家はどこの魔法網にも所属していない……?」
イヴォンヌが身を乗り出した。
「もし本当にあの家だけ汚染されていないなら、赤い花を運んでいるのは人間ではなく、魔法網だと証明できるわ」
そこでディアーナ姉様は頷いて、少し息を整えた。
「イヴォンヌ、アリス・ブレンジャーを呼んでくれるかしら」
「わかりました」
イヴォンヌが頷いて部屋を出ていくと、ディアーナ姉様は小さくささやいた。
「アリスは砂漠の家に来たことがないわ。アリスにとっては特別な家なんだけれど、彼女はまだ気づいていないの」
私には意味が分からなかった。




